タヌキとの出会いは野山の中で
第十五話 死にかけのタヌキ
幼い頃、カルが住む村の近くには走り回ったら一週間――それ以上はかかるだろうという広大な山があった。自然の動物達が暮らし、四季折々の草木が育ち、人間にとっても動物の肉や山の恵みという貴重な食料を得るための場所だ。
そこでクウタと秋の味覚を探し回っていた時のこと。葉もなくなりつつある木々の下、落ち葉を踏みしめ、乾いた風を感じ、子供ながらの底を尽きぬ体力で。太腿までしかない短い丈の衣を着た二人は山中を走っていた。
「カル! そろそろ戻らないと。稽古の時間なんじゃないの?」
ある程度の時間を遊んだところで、クウタが声をかけてきた。この時からもクウタは真面目な性格で、親の門限をしっかりと守る良い子だった。絶対に大きくなっても定職に就き、良いお嫁さんをもらって幸せに暮らすんだろうな、と誰もが思うぐらいに。
カルは自分の腰に提げた刀にチラッと目を向けると「もう稽古の時間かぁ」と愚痴をこぼした。遅れて行けば、キユウがねちねちと小言を言うのは目に見えている。その姿を想像すると、遅れて行くのは得策ではない。ちゃんと稽古に出て、彼の厳しい指導を受けるべきではある。
わかっている、重々わかっている――が。
カルは首を横に振り、それらを頭の中から振り払う。そして再び落ち葉を踏み始めた。
「大丈夫、大丈夫! 全力で走れば間に合うし!」
「えぇーっ⁉」
クウタは否定の悲鳴を上げたが、カルは気にしなかった。毎日行う剣術稽古の時間は目前に迫っているが今は怒られようとも、もう少しだけ遊びたいのだ。厳しい時間より楽しい時の中にいたい。
だがクウタを見てみると。彼は困ったように口角を下げていた。
「カルー、俺、おかあにお使い頼まれてんだよー、だから戻ろうよー」
真面目なクウタは親の頼まれごとがあったらしく、刻限に慌てていた。自分のせいで彼が怒られるわけにはいけない。
「そっか、じゃあクウタは先に帰っていいよー。俺はもう少しだけ遊ぶから、じゃあまたな!」
「え、あっ、カルゥ――!」
戸惑うクウタを置いて自分は一人、山頂を目指して再び山を駆け上がった。
後ろからクウタが心配そうに呼んではいたが、カルは聞こえない振りをしてしまった。
秋の山の中にはたくさんの木の実やキノコが落ち葉の中に埋もれている。中には極上の高級キノコもあり、高級品を滅多に食べることのできない自分にとって、この時期は毎年の楽しみでもある。
自分の家はごく普通の農家だ。値段が高くて手が届かない物に駄々をこね、両親を困らせるわけにもいかない。
ならば自足でまかなえば問題はない。お金はかからないし、自分も両親もおいしい物が食べられる。
それは自分なりの親孝行のつもりだ。血は繋がらないがとても良くしてくれる両親に、滅多に食べられないおいしい物を食べさせてあげたい。これでもそんなことを思っているのだ、遊びたいだけではない、断じて。
「うーん、この辺はもうないか……ちっ、獣がみんな食べちまってるなぁ」
もちろん食材を狙っているのは人間だけではない。秋ということもあり、冬に備えた動物達も栄養価の高い物を求めて探し回っているのだ。自分より勘が働く彼らの方が物探しに有利なのは当然だが、なんとか先駆けて見つけたいところ。
カルは小高い丘の上へ駆け上がり、背伸びをして周囲を見渡した。
すると少し離れた先の赤や黄色の落ち葉の中に黒い物体が埋まっているのが見えた。
それは動かず、葉の中でじっとしていて、死んだ獣のようにも見える。だが肉を食らう烏などが集まっている様子もない。
行ってみるか。
カルは丘を駆け下り、それに近づいた。
それは、やはり動物だった。
「……タヌキ?」
ふさふさした茶色い毛並み、丸みのある長めの尻尾。タヌキで間違いない。
タヌキは腹から血を流し、呼吸は苦しそうに口を半開きにしていた。今にも息耐えそうな感じで頭を地面に伏せたまま。虚ろな目でカルを一瞬見たが、すぐに遠くを見つめた。
「野犬にでも襲われたのか」
襲われたがなんとか逃げ出してきたのだろう。でも傷が悪化し、動けなくなり、悲しくも命をなくす瀬戸際に立たされているのだ。
こんな命のやり取りは自然では常に行われている。だから人間が関わったとて、どうしようもないことだ。
「傷、痛いよな……」
だがカルはタヌキを放置できなかった。目の前で消えそうな命に少しでも何かできないかと思い、自分用に持っていた化膿止めとなる薬をタヌキの傷口に塗ってやろうと手を伸ばした。
驚いたタヌキは「シャッ」と威嚇の声を上げ、首を持ち上げた――が体力はすぐに尽き、再び頭を地面に伏せる。
その隙に薬を塗り込んでやった。痛むのか、細長い鼻がヒクヒクと動いているが暴れずに手当てを受け入れてくれている。
手当てが終わるとタヌキはスンと安心したように小さく鳴いた。
「……俺にはこんなことしかできねぇけどな、悪いな」
おとなしくなったタヌキを見ていると、かわいそうに思う。毛並みから見て、まだ年も若そうなタヌキ。これからも本能の赴くままに生きるつもりであっただろうに、こんな半ばでその命を終わらせるなんて。
しゃがみ込んだまま、カルはタヌキの頭をひとなでした。タヌキは気持ちが良かったのか、半開きの口から細い息を吐いた。
「少しは、安心できるか? ならよかった」
怪我をして苦しいだろうに。手の感触に心地良さそうにしてくれるタヌキに、かすかな情がわく。できるなら生きてほしいが。
そう思いながら、カルがタヌキの頭をもう一度なでようと手を動かした、その時――カルは周囲を囲む獣の気配に、すぐさま顔を上げた。
「しまった……!」
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