第七話 求めたいものは

 男は警備兵に連れていかれ、母親を殺害した罪で処刑されることになった。

 男は獄中でも叫んでいたという。自分は母を殺してない、殺す気なんかなかった、母を愛していた、と。


 そのことを聞いて、カルの心は虚しくなる。

 実の母親を愛していたのなら、なんでその命を奪ってしまったのか。殺してないと叫んでも、やったのは間違いない。

 なのに愛していたと言うのはなぜなんだ。実の母親を斬るなんて……刃を向けた時点で苦しくはなかったのだろうか。


 自分には“育ての両親“”も“実の両親”も、もういないのに。どんなに会いたいと望んでいても。


「そんな暗いところでたたずんでいると、悪漢に襲われるぞぅ」


 バスラの街中に流れる川、その川上にかかる橋の欄干に手を置き、星が輝く夜空と川の流れの空間に浸っているとキユウがふらりと現れた。また酒を飲んだのか、彼の特徴とも言える酒の匂いが微風に乗って漂ってくる。


(ふん、カルにはおれっちがついてるっつーの)


 だから心配なんか余計だ、と言わんばかりのタキチの声が響く。もちろんキユウにも聞こえてはいるだろう。


 カルは感謝の意味も込め、相棒である刀の鞘をそっとなでた。いつもありがとう、タキチ。今はお前が俺の家族だ。


 側に来たキユウに視線を向けず、川面を見つめたまま、カルはたずねた。


「キユウ、バスラで起きているこの事件、原因は妖刀なのか?」


 川面は水の流れに合わせ、反射して映る星を揺らめかせている。水のせせらぎを耳に感じている中、キユウが「ふぅ」と息をついた。


「さっきの男が持っていた刀だがな、あれは普通の刀だ、妖刀じゃない。お前もわかってんだろ。妖刀の気配がなかったのは」


 この事件は妖刀がからんでいるかも、カルはそう予想していた。

 しかし先程、対峙した男の持っていた刀はいたって普通の代物で妖刀の気配は全くなかった。そう感じたことについては自分もキユウも同じだったようだ。


 よくよく考えてみたら妖刀はタキチみたいに意思を持ち、人を守護するものだ。なら人斬りをするのは根本的におかしい。

 つまりまだ謎には全く手が届いていないのだ。


「けど今回の事件は大事な人を手にかけてしまうものばかりなんだろ。何も理由なしに親や家族を斬ったりなんて、できるもんなのか……?」


 自分なら、とカルは考える。親や家族を肉親を斬るなんて、斬りたいと思うその感情を持つことすら、ありえないと思ってしまう。

 それは家族というものはいつまでもいるとは限らない存在だと、そう感じている自分だからなのかもしれない。


 だって家族は大事だ。いないとさびしいし、いればどんな時でも……口うるさい時があっても、煩わしくても、支えになる。

 いなくなってしまったら、もうその優しさも、煩わしさも、感じることはできないのだ。


「家族に憎しみを抱くことなんて、あるのかな」


 カルの疑問にキユウは答えなかった。自分と同じく夜空を仰いでいた。


「さぁな、人の気持ちなんてわからんよ。それにこの事件、俺一人じゃままならんからお前を誘ったのさ。まだまだ調べるのはこれからってところだ。それに大事な甥の成長した姿も見たいしな」


「……何言ってんだか」


 ホントだぜ、とキユウは言う。

 ならばなぜ、キユウ……あんたは六年前に姿を消したんだ。あの日突然、何も言わずに。


 六年前、ある日の稽古終わり。激しい稽古に疲れた自分は仰向けで地面に寝転がっていた。

 こんなのが明日もあると思うと重たいため息しか出なかったが、両親の期待のためにもちゃんとやらないと、と心の中で葛藤をしていた。


 一方のキユウは側に立ち、自分を見下ろしていた。その視線は『もうバテたのか』と言いたげだった。


『……キユウ、俺、少しは強くなったか?』


 体力が尽き、しゃべるのも気怠かったが、ふと聞いてみたくなった。


『くだらねぇ質問だな、なんでそんなことを聞く』


『くだらなくて悪かったな……俺は早くあんたに追いつきたいんだよ』


 寝転がったままそう言うと、キユウは意外そうに目を見開いた。


『なんだ、気持ち悪いこと言いやがって。頭がやられたのか』


『ははっ……違うっつーの。はぁ……俺にとって、あんたは目標なんだよ。いつか必ず追い越してやるんだ』


 普段はそんなこと絶対に言わない。

 だけど極度の疲れのせいか、この時だけはなんでも言える気分になっていた。

 だから言ってしまったんだ、変なことを。


『キユウは、俺の師匠で……俺の、大事な、家族なんだ、よ……』


 自分が言ったその言葉に、キユウがどんな顔をしたのか、カルは知らない。なぜならその後、気を失うように眠ってしまったから。


 だが朦朧としながらも口にした言葉は真実だ。

 キユウは大事な血の繋がる家族。酒好きで稽古は厳しいが尊敬できる師匠……それなのに。


 その翌日に起きた現実は、カルを暗い淵に突き落とした。


『キユウが、キユウが、いないんだ。どこにも、いないんだよっ!』


 それは突然だった。キユウは姿を消した。翌日も翌々日もその次も現れることなく、村の者は誰も彼の姿を見ていなかった。

 会えないままに時間だけが過ぎていく、それが六年という月日だ。

 彼とは偶然この地で再会した。それはとても嬉しいことだ。


 しかしあの時、いなくなったことについて。キユウはまだ何も語ってはいない。まるで忘れたふりをしているかのように。酒場でも刀事件の話だけをしていた。今もこうしてその理由を語る気配はない。


 自分はその答えが知りたい。教えてはくれないだろうが口にせずにはいられなかった。


「あのさ、キユウ……六年前、キユウはなんで突然いなくなったんだ?」


「……なんだぁ、今更」


「別に、知りたいだけ」


 カルは“わざと”素っ気なく返した。でないと自分の抱く感情をこの男に知られてしまうから。

 あの日、キユウが姿を見せなくなってから、自分の心は何かを求めていた。両親に見られないようにこっそり泣いて、どこに行っちゃったんだよと悲観に暮れて。木刀で叩かれた厳しい指導ですら恋しく感じた。


 この頃にはタキチも側にいたのだが、あの男とはまた違う存在であった。だから求めているものを埋めることはできず、励ましてくれるタキチに非常に申し訳ない気持ちだった。

 もちろん両親もいたのだ。“育て”の両親が。

 二人はとても優しく、けれど厳しさもあり。


『息子には強い人間になってもらいたい』


 そんな望みを二人とも持っていた。あの時はなぜだろうと思っていたが今になるとわかる気がする。自分達がいなくなり、一人で生きていく時のために必要だったのだ、強さというものが。


 二人は血の繋がる両親ではない。

 しかし自分を育て上げてくれた、とても大事な存在だ。いつまでも心の中には二人がいて「頑張れ」と言って笑っている。


 そんな素晴らしい存在なのに。かけがえのないものだとわかっているのに。どうして自分はこんなに、この男が良いのだろう。


 こんな酒好きを“求めていた”のだろう。


 夜空に視線を向けていたキユウが、その視線を下げる。横目で自分をチラッと見ると予想通り、彼はとぼけるように鼻で笑った。


「……さてねぇ。昔のことなんで覚えちゃいないな」


 そう言われ、カルは「そう」とだけ呟く。

 わかっている。何を言ってもキユウは本音を言わないし、自分を遠ざけるのだ。理由はわからないがいつもそうだ。近づこうとすれば遠ざける。なぜなんだよ、キユウ。


「それより、お前はなんで旅に出たんだ? あの村で役人にでもなっていれば、その腕前だ。両親と一緒に十分に暮らしていけただろうに。なんでまた流れ者になる道を選んだ?」


「両親は……半年前に亡くなった。俺は自分の力を試したかったから旅に出た。もっと強くなるために。あんたに教わったこの剣術を、もっと鍛えるためにな」


「ほぉ、いい度胸じゃねぇか」


「あと――」


 カルはそこで言葉を途切らせた。キユウに「あと?」と聞き返されたが「なんでもない」と、ごまかした。


 心の中でカルは呟く。それはタキチだけが聞こえるものだ。

 俺は“実の両親”について知りたいんだ。

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