第十一話 当然の憎しみ

 でも、どうだったのだろう。

 今度は別の疑問を感じ、カルは徳利の中を覗いているキユウに視線を向ける。

 呑兵衛の伯父は長話をして喉が乾いたのか、店の奥にいた店主に酒の追加を頼んでいた。


 カルにもう一つの疑問が浮かぶ。それは二人の周りにいた人々はこの結果をどう思ったのだろう、ということだ。

 例えばキユウ……彼は大切な妹がいなくなったことを、どう思っていたのだろう。だって父と出会ったことで母は駆け落ちし、キユウの側からいなくなってしまったのだ。


 キユウにとってリラは大切な家族。罪人である男のせいで二度と会えなくなってしまった。家族を失うことがどれほど苦しいことなのか、自分はわかっている、だから……。


「キユウ、あのさ……」


 もしかしたらという不安が浮かぶ。聞かない方がいいかもしれないが気になった。

 だから喉に力を入れ、カルは言葉を振り絞った。


「二人のこと、キユウはどう思っていたんだ。キユウは母さんに会えなくなって、さびしくは、なかったのか」


 その疑問は案外さらりと口から出ていた。キユウのことだから、そんな悪いふうに思っているわけがない。妹がいなくなったのは悲しいが、仕方のないことだ、と。酒を飲んで憂さ晴らしして、気持ちを切り替えたのだろうと都合良く解釈していたからだ。


 だがキユウの酒を傾ける手が、ほんの一瞬止まったのをカルは見逃さなかった。

 それは己が剣士ゆえ、相手の動き――例えば刀をどこに降り下ろすかを見逃さないための、一瞬を見逃さない動体視力の高さゆえ。常人なら気づかない、ほんのわずかのこと。それでも自分にはわかってしまった、そこに、キユウの動揺があることが。


「……さてね、どうだったかね、忘れたよ」


 その一言でカタはついた。この話は終わりだと打ち切るように、キユウはおちょこを傾けた。

 それはそれ以上立ち入ることを禁じるような、ハッキリとした拒否だとカルは感じる。キユウもそれ以上は何も語ろうとはせず「うまいな」と言いながら、空になったおちょこに徳利から酒を注ぐ。


 そっか、そうだよな。キユウは二人のことは……いくら適当な伯父でも妹を失ったのは、やはりつらかったのだ。

 カルは卓に視線を落とす。視界の端に映るタキチの赤い紐が心配そうに優しく揺れている。


 でもそれも当然だ。自分だって家族を奪われたら許せないだろう、憎しみを抱くだろう。キユウだってそうなのだ。妹を連れ去った男を許せないし、そんな父を愛した母も許せない。

 では、その結果である自分のことは。

 自分のことは……?


「……カル、おい、カル」


 ぼーっと卓の木目を見ていた時、何度かキユウに呼ばれていたようだった。呆けた頭でキユウを見ると目が合い、彼は不敵な笑みを浮かべた。


「……あとで俺も追いつくから、カルは先に街中で情報を集めていな。これ以上、被害者を出したくないだろ」






 カルは事件の手がかりを集めるため、街に出た。

 けれど、まずはどうしたものかと早速途方に暮れてしまい、木の塀に寄りかかりながら、大通りの人の流れをただ見つめていた。


 殺人事件が起きている最中といっても通りは行き交う人々で今日もにぎやかだ。大半の人は事件のことなど知らずに過ごし、事件が解決したとしても、事件があったことすら知らずに過ごすのだろう。


 それぐらいにバスラは広く、人口数は地方で一番であり、窃盗やケンカなどの小さな事件なら日常茶飯事のことである。国を揺るがすぐらいの大事件ならともかく、人が数人死んだぐらいのものは、まだまだ小さな事件という範疇だろう。


 それでも刀による殺人は重罪であり、犯人はほぼ死刑となる。この行き交う多くの人の中に、たった一人だが人の命を軽んじる存在がいる。そんな罪を犯す奴を野放しにはしておけない、これ以上悲しむ人が出る前に解決しなければ。

 カルは気合いを入れるべく、腰の刀の鞘を握った。


 昨日の件のことも踏まえ、事件の原因かもしれないと予想していることは二つある。

 一つは摂取した者を錯乱状態に陥らせ、理性の働かぬ行動を起こさせる麻薬や薬の類だ。

 昨日の男の様子を見れば、これは当てはまる。

 しかしこれは薬を常用する中毒者でないと起こることはない。日常に嫌気など差していないだろう親子や、仲の良い夫婦が、そんな薬をやっているとは考えにくい。よって薬が引き金になっているとは言いにくいだろう。


 もう一つは自分とも関わりが深い、妖刀によるものだ。妖刀の多くは人間を守護するものとして存在するが、稀に人間に災いをなすものも生まれる、とキユウに教わったことがある。

 それは妖刀ではなく、呪われた刀“呪刀”と呼ばれる。


(呪刀って、どんな形をしてるもんなのかねぇ、おれっちも見たことないや)


(俺もない。でも呪いなんだから恐ろしい力なんだろうな。原因は呪刀、か)


 その可能性は高いかもしれない。呪刀が出ているのなら異様な事件は起こりえる。手に持った人をおかしくし、身近にいる愛する者に斬りかかり、命を奪うことも。


 呪刀……それがどんな形で、どんな影響があるのか知らないが。とりあえず刀に関する情報を集めてみようか。それなら事件の目撃者だ。


 カルは数時間前に夫婦の事件が起きた住宅街を訪れた。木造の平屋が並び、多くの所帯が暮らす区域は簡素な着物を着た子供達が裸足で走り回り、平和と言える時に包まれている。

 桶の中でのかくれんぼ、物干し竿での打ち合いごっこ。そんな遊びは自分も小さい頃にやったな、と見ていて懐かしさを感じた。


 そんな穏やかな日常の中に、一つだけ時の止まった建物があった。木の引き戸は今後もう開くことはないという感じに閉ざされ、戸の前には鮮やかな花々が手向けられている。

 それは亡くなった人への弔いの花だ。周辺に住む交流のあった者達、亡くなった者の親族が置いたのだろう。


 その花を前に、しゃがんで手を合わせる紺色の着物を着た青年がいた。

 青年は静かに黙祷を捧げている。その集中する姿から、きっと亡くなった者と深い関係があった者だと見受けられる。合わせた指先は微かに震え、丸まった背中には曇天のような翳りが漂い、彼の抱く深い悲しみを表している。


 青年はしばらく黙祷を捧げると小さく細く息を吐いてから、ゆっくりと立ち上がった。

 そして振り向いた先にいたカルに、腫らしたまぶたを見開いた。


「あ……あなたも黙祷ですか? すみません、陣取ってしまって」


 青年は会釈すると、その場を離れようとする。ちょっと待って、とカルは彼を引き止め、事情を説明した。

 青年は倒れそうな顔でうつ向いた。


「そうですか、事件を追っているんですね……解決をして下さるなら、お話します。あれは実に不可解な出来事でした……」


 青年の言葉と共に、周囲の空気がひんやりとしてきたような気がした。

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