第十話 今は亡き両親

「お前の母親は俺の妹。名前はリラだ」


「リラ……」


 綺麗な響きの名前だと思った。


「こっからはちょっと暗い話になるけど、お前も男だ。しっかり受け止めろよ」


 キユウはおちょこの酒をグイッと飲み干し、唇を湿らせた。


「そしてお前の父親は流刑者だ」


 カルは早速、目を丸くした。

 流刑者。それは何かしらの罪を犯し、処罰をするための場所に送られる者ということ。

 いわゆる罪人……そんな相手が、なぜリラ――キユウの妹と。

 キユウはゆっくりとした口調で、たまに酒を含みながら語り出した。


 ある日のこと。流刑者である一人の男が刑地へと連行されていた。

 だがその男は見張りの目をかいくぐり、とある山中に逃げ出す。刑地に送られれば当然、死ぬまでそこで過ごすか、処刑による死は免れない。多くの流刑者が見張りの目を盗み、逃げ出そうとする。男もその一人だった。


 しかし大抵の者はすぐに再び捕まってしまう。運良く逃げ出せても、いつ見つかるかもしれないという生きた心地のしない人生が待っている。

 そんなどちらかしかない選択肢の片方を男は選び、そして逃げていた。


 一方、とある村娘のリラは日頃の生業である食材集めを山中で行っていた。

 だが運悪く、リラは山に住む獣に襲われ、命からがら逃げている最中であった。


 そんな時、二人は偶然にも出会う。理由は違えど、どちらも命が危うい状況。


 リラは男に助けを求めようとしたが、彼が流刑者だと腕に入れられた罪人の印である入れ墨から察し、彼に声をかけるのを戸惑った。

 一方の男は獣に襲われる寸前のリラを見つけ、また選択を迫られることになる。


 彼女を助ければ自分の身が危うくなる。助けたリラが兵士に知らせる可能性があったからだ。でもこのまま力のない彼女を放って逃げれば、彼女は獣に襲われて死ぬ。そうとわかっていて見殺しにしてもいいものか。

 普通の流刑者ならば絶対に彼女のことは見捨てる、自分の身が一番だからだ。


 だが男はリラを助けた。迷いもなく。リラの姿を見た瞬間には、もう助けに走っていたのだ。

 手枷をはめた手で器用に、どこからか持ち出していた小太刀を振るって獣を撃退し、リラを救った。

 リラは信じられないものを見る目で男を見た。

 男は自分の命運もここまでか、と逃げるのをやめ、その場に座り込む。

 そんな男の前にリラはゆっくり歩み寄る。

 そして男に向かって手を差し伸べた。


『ありがとう』


 男は耳を疑ったが、そこには慈しむような笑顔を浮かべる彼女がいた。

 この時のリラは男に対する恐怖は微塵もなくなっていた。ただ感謝と、自分を助けてくれた男への愛しさが込み上げていたのだ。

 彼女は兵士に知らせなかった。

 命の恩人である男に情けをかけたと同時に、恩のある男を愛してしまったのだ。


 それでも相手は罪を犯した男。親や親類が祝福してくれるわけもない。

 一緒にいるのを誰かに知られれば男の身が危うくなると思ったリラは愛する男と駆け落ちをしてしまった。

 二人には後々、一人の男子が生まれたという。


 カルは深く、細く、息を吐いた。喉が詰まる、胸がズキッとする。


 その子供が自分なんだ……。

 二人は祝福される関係ではなかったけれど、自分が生まれたことを幸せに思ってくれたのだろうか。二人は幼い自分といて、どんな顔をしていたのだろう。

 笑っていた? 悲しみに暮れた? 哀れんだ?

 その疑問の答えは望めない。望めないが願ってしまう。

 幸せであった、と。思っていたらいいな。


「まぁ、お前の親父は言われなき罪であったとも言われているが、そこまではわからん。俺はお前の親父には会っていない。何より、二人はどこかに行っちまったからな。今の話も、俺も親や知人に聞いただけで、どこまでが本当だか知らねぇけどな」


 わかっているのはカルが産まれた少し後に、流刑者である父は逮捕され、処刑されてしまったこと。

 母のリラはこの地に移り住み、女手一つ、バスラでカルを育ててきたが病には勝てず、物心もつかないカルを残して天国に旅立ってしまったこと。

 その後は母の知り合いであった育ての両親に引き取られ、こうして今の自分がある。


「そうだったんだ、俺の両親……」


 実の両親のことがわかった。切ない部分もあるがわかってよかった。

 カルは今の話を胸の中にしっかりと刻む。

 二人が決断し、選んだ道。

 自分の生という結果を少しでもよかったと感じてくれたら嬉しい。二人の生きた証として、誇らしく思ってくれていたなら。


 しかし、キユウはまだ教えてくれていないことがある。


「……なぁ、キユウ、レンっていう奴のことは知らないか?」


 不意に浮上してきた名前に、キユウは「誰だそれ」と興味なさそうに聞き返す……ということは知らないのだ。


「あ、いや、なんでもない」


 キユウが知らない。

 それをなぜ“あの銀狐”が知っていたのだろう。


『そういやアンタ、リラとレンの息子だろ。気配が一緒だわ』


 飛天から飛び出した時、突然、目の前に現れたしゃべる銀狐。それは知らない二人の名前を出していた。

 カルが「それって誰だ」と問うと『いずれわかるよー』と、のんきに言って銀狐は去ってしまった。


 キユウの話を聞いた今なら確実にわかる。

 母はリラ、父はレン。

 しかしキユウは父の名前すら知らない。とぼけているわけではなさそうだ。


 両親のことを知る銀狐……今度、あの銀狐にも、きっちり話を聞かなければ。とりあえず銀狐がなぜしゃべるのか、その正体も気になるところだ。

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