第二十五話 会いたくないのに!
「まったく、世にも高名な剣豪様のおかげで助かりましたよ。最近は物騒な事件も多いですから。隣国へ行くのも命がけなんです」
相手へこびるような男の猫なで声がする。
「なぁに、こちらも良い代価を頂いているんだ。護衛でもなんでも引き受けさせてもらうさ」
襖の向こうでは男が二人、話をしている。内容からして一人はキデツだろう。
ただもう一人の人物の声に、カルの神経は研ぎ澄まされる。聞き覚えのある声だ。ここ最近は身近でよく聞いている気がする。
(カル、この声……あいつじゃ?)
タキチも同じことを思っていた。ならばそうなんだろう、この声の正体は。ここ数日、自分の前に姿を現さず、どうしたのかと心配していた存在。
キデツと思われる人物も相手を“剣豪様”と呼んでいた。剣士としてそんな実力のある人物はそう多くはいない。
どうやら彼は報酬の対価として、隣国への護衛を依頼されていたようだ。遠くまで出ていたのなら彼の姿が数日間見えなくても不思議ではない。
(なんであいつが、ここにいるんだろう。一体何をしているんだろう)
気になってソワソワとしていると(落ち着け、話を聞いてみよう)とタキチが冷静に声をかけてくれた……うん、落ち着け自分。
「できれば剣豪様にはこのまま屋敷にいて下さると私も非常に心強いのですがね」
「悪いが契約はここまでだ、俺も他にやることがあるんでな。それに長い契約は好かない」
やはりこの口調は彼のものだ。こんな時に、なんでこの男はいるのだ……息が詰まる思いをしながら引き続き、中の会話に耳を澄ます。
「わかっていますよ、あなたは大金を積んでもどこにも身を置かない方だと。まぁ、せめてお礼はさせて頂きたいので。この秘刀以外にも良ければお楽しみをご用意させて頂きますからね」
……秘刀っ!
それは自分が探し求めている物だ。それをなんと今は彼が持っているらしい。
命の鏡――その名前の由来は刀身が鏡のように磨き抜かれているからだとギンちゃんが言っていた。かつては自分の生みの両親も手にした物。
それが今、そこにある。
(カル――カル、嫌な予感がする。いったん、ここを出ようぜ。あいつが目的のもん持っているなら後で――)
「そこの、何をしている?」
タキチの話が途中で遮られた。
カルは息を飲み、声の方を振り返る。
そこには巡回中であろう屋敷の兵がいて怪しむ視線をこちらに向けている。
慌ててカルは口を動かした。
「あ、はい! キデツ様を、さ、探して、ましてっ」
「そうか、客人の相手に呼ばれたのか。では中に入ればよかろう」
カルが「あっ」と口を開けた時には遅かった。
兵は襖ごしに――中に声をかけてしまった。
(わわわっ、しまった!)
(カカカ、カルッ! わっわっ、とりあえず、おおお落ち着け!)
どっちも慌てふためいてしまう。兵によって開けられた襖を見て背筋がひやりとする。中から「おぉ、もう来たのか?」とキデツが膝をついた姿勢のまま、こちらを覗いている姿が見えた。当然、キデツと目が合ってしまうわけで。
「おぉ、これはこれは。なんともまばゆい者が用意されたではないか。お主、見かけない顔だが新人か? こちらに参れ」
自分を見た途端、キデツの目が火でも点いたように爛々となったのがわかった。先程からこの姿を色々な者に注目されているのだ、恥ずかしながら良い線いっているのだろうと思う。だから屋敷にも簡単に入れた、そこまでは良かったのだが。
(キデツには見つかりたくなかったのに……)
キデツは少年が好きという趣味嗜好の持ち主だ。見つかったら厄介になるのは明白だ。
しかもすぐ近くにはあいつがいる。姿を見られ、気づかれてしまったらと思うと……恥ずかしさで畳をひっくり返したいぐらい、暴れ回りたい気分になるだろう。
「あ、あの! す、すみません! 忘れ物をしてしまい――」
まだあいつには見られていない。なんとかその場を離れようと試みたが、キデツに「いいから参れ」と言われてしまい、カルは広間に入るしかなくなる。ここで逃げ出しても騒ぎになるだけだ。
うぅ、バレませんように。
(カル、頑張れ、頑張れ……あ、おれっちは黙らなきゃな……)
タキチがしゃべると彼に交信がバレてしまうから。タキチは口を閉ざし、妖刀の放つ独特な気配をも消した。
唇を引き結び、カルは恐る恐る広間へと足を踏み入れる――と、すぐさま外にいた兵によって襖が閉じられ、逃げ場を塞がれた気がした。
女性の所作はわからないが、カルはとりあえず膝を折り、床に三つ指をついて頭を下げる。背中に刀を隠しているので動作が少々きついが、できればこのまま頭を下げたままでいたい。そんな気持ちで前に座す二人の気配を感じていたら、キデツが声を発した。
「ほら、顔を上げなさい」
カルはゆっくり深呼吸をしながら顔を上げる。
そこには金持ちだと証明している上等な着物に身を包んでいるが垂れ目がちの中年男と、見慣れたこざっぱりとした剣士がいた。
二人は酒を飲み交わしていたらしく、酒の匂いが漂っている。それが彼の匂いのように感じ、カルはバレるかもという恐怖でますます身体を強張らせた。
「ぬぬ、なんという美しさだ。お主、私がいぬ間に雇われた身か? お主のような者なら顔を見ただけで忘れるはずがない。気に入ったぞ」
キデツは口元にある整えた顎鬚を触りながら、カルを上から下へとねっとりとした視線で見てくる。それだけで粘着質なものが背筋を伝うようにゾクッとした。
ふとあの時の、店の少年達のことを思い出した。あの着飾った少年達もこんな気分で、客である相手からいつも見られているのだろうか。こんな全身が震える、何をされるのかという恐怖と常日頃、戦っているのだろうか。
自分は耐えられそうにない。キデツの視線だけで手が震えそうで。その震えを悟られないように抑えるのが精一杯で。
戦いのある場とは全く違うこの雰囲気の中では自分が弱い存在になってしまったように思う。
タキチに触れたい。触れると安心できるのに。
カルは震える手を握りしめた。
「ふぅん、なるほどな……俺も気に入った。キデツさんよ、そいつは俺にくれ」
カルの緊張の糸がプツンと途切れる。頭の中を真っ白にしながら今の声の主に、ゆっくりと視線を向ける。
そこには曲げた片膝に肘を乗せ、酒の杯を傾けるあの男がいた。
今、なんて?
緊張の糸が再び結ばれる。緊張に加え、全身が汗ばむぐらいに発熱を始める。とんでもないことを言われたような気がして、口の中の水分が一気に蒸発した感じだ。
「え、いや、この者はまだ……」
「家宝以外にも礼をするって言ったじゃないか。礼金でもらった金をそのまま渡すから、こいつを売れ。お前の店じゃあ、そういうのも売っているんだろ。でなきゃ、お前の店は客の希望通りにはしないって触れ回ったっていいぞ」
キデツは「うぐぐ」と悔しげな声を出す。
そして悩んだ末に「わ、わかりました」とうなずいた。
そこはなんとか粘ってほしかったかもしれない。まだ見知らぬ男の方が、何かあっても暴れればいい、とヤケを起こす気にもなるのに。
相手がこの男では。
この姿を、自分を気づかれては……嫌すぎるじゃないかぁっ……!
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