第二十六話 ドタバタ騒ぎの末
(わぁ、タキチ! どうしよう、どうしたらいいよ、俺はっ)
(まぁ、カル、落ち着け、落ち着けってばっ。とりあえずあいつが来る前に、なんとかしてずらかろうぜっ!)
着物の裾を四方に揺らしながら、カルは箪笥や敷き布団などの調度品で整えらた部屋の中を右往左往していた。
だが部屋の中に広さはなく、数歩歩いただけで壁際から壁際に行くことができてしまう。調度品の他には控えめに周囲を照らす行燈と目隠しのための衝立。室内と廊下を区切る障子はしっかりと閉じられているが他の人間の声や気配がないことから、この一室は屋敷の奥にある場所だと察することができる。
つい先程、とんでもない事態に大広間で頭を真っ白にしていたらキデツに呼ばれた家臣に連れていかれ、気づけばこの部屋に来ていた。
しばらくお待ちを、とだけ言われたが、もう数十分が経過している。
(このままじゃあいつが来ちまうよっ! こんな姿、見せられないって!)
カルがそんな考えで焦る一方、タキチは別の考えで焦っているようだった。
(いやいや待て待て。姿はバレないとしても、このままじゃお前はあいつと、その――)
タキチが何やら言い淀んでいるが、今のカルにはその先の言葉を予想する余裕はなかった。
このままでは、この姿をあいつに見られてしまう、それだけが気がかりなのだ。見られたら恥ずかしいこと、この上ない。何やってんだぁ? なんて言われ、呆れられるだろう。
(イチかバチか、正面から出るか? タキチ、どう思う?)
(うぅん、出てもいいけど。見つかったらヤバいにはヤバいよ。もう暴れる覚悟?)
(暴れてなんとかなりゃね……)
屋敷のどこにいるのか見当もつかない。抜け出ても、すんなり外までとはいかないだろうが、このままではダメだ。
(あぁ、でも命の鏡が……どうしよう)
この屋敷に潜入した目的の物がまだ手に入っていない。これでは着付けと心のすり減り損だけだ。
(あとでさぁ、あの酔っ払いに事情を話せば貸してくれんじゃね? っていうかなんで、あの酔っ払いは命の鏡をもらってるんだろ)
(あいつぐらいなら、ちょっとした仕事でも価値のある対価をもらうさ)
だがあいつのことだ。希少な刀を簡単に貸すとは思えない。ならば今度はそっちからこっそりと拝借して……いや、それこそ無理だ。寝込みだって襲えやしないだろう。
(くそ……とにかく今は命の鏡より自分の身だ)
ギンちゃんには悪いが命の鏡が屋敷から持ち出されるなら。今は自分の手に入らないが先のことは後で考えよう。
そう決心したカルは障子に手をかけ、そっと開いて首だけを廊下に出してみた。
左右に伸びた廊下、そこに人の気配はない。
(い、今だ、逃げるぞタキチ!)
カルは部屋から飛び出した。人が来ないうちに、捕まらないうちに。
しかし足早に廊下の角を曲がった時だ、もう運が悪いとしか言いようがない。
「お、お前っ、どこに行くつもりだ」
そこにいたのは酒の臭いを漂わせる、この屋敷の主だった。
キデツは自分が部屋から脱走したのだと察し、慌てて皺のある手を伸ばしてきた。
(逃げろ、カル!)
タキチの声に即座に反応し、元来た廊下を逆戻り。足音荒く、廊下をドタバタと駆け出した。
「だ、脱走だっ! 誰か、誰か!」
背後でキデツが兵を呼ぶ声する。騒ぎを聞きつけた兵がわらわらとどこからともなく現れ、後ろから追ってきている。
(やっべ! タキチ、出口がわかんねぇよ!)
(わわわ! とにかく庭とか目指せっ! 明るい方! 障子も壁もぶち破れっ!)
んな無茶な! この広い屋敷のどこが庭なのか。とりあえず太陽の光を感じる方、風を感じる方と思って、野生の勘――は働かないが勘を頼りにカルは走る。
後ろからは数十人ぐらいの足音が迫る。捕まったらどうなる……嫌な予想しかできない。
捕まってたまるか!
長い通路を走り、角を曲がり、迫りくる足音に心臓がバクバクする。
息を切らしながら慣れない着物姿で走り、とある角を曲がり、障子の前に来た時だった。その障子がスッと開き、隙間から腕が出てきた。
えぇ⁉ と思った時にはすでに遅し。二の腕を捕まれ、すごい力が自分を引っ張る。
室内は薄暗かった。明かりはないが障子紙から廊下の明かりはもれており、室内で座っている人物の正体をうっすらと照らす。
「奥で寝っ転がってな、寝たふりだ」
聞き覚えのある声、その突然の言葉にカルは一瞬戸惑う。
だが廊下を走る足音がすぐそばで聞こえた。なので言われた通り、息を殺し、奥にある敷き布団の上に横たわった。
「……ったく、うるせぇなぁ。この屋敷は客人の興を削ぐ真似をしやがるのか?」
そこにいる男が廊下にわざと聞こえる声で文句を言う。すると障子紙に映る人影がザワザワと動き、やがて一人の人影がこちらを伺うように頭を下げていた。
「あっ! 剣豪様こちらに⁉ 騒々しくして申し訳ありません。実は先程の少年が逃げ出してしまい――」
「あぁ? 何言ってやがる。それならここにいて、もうおねんねしてるぞ」
キデツと思われる人影が「えっ」と驚くと同時に身体を揺らした。
「そ、そうなのですかっ? しかし今さっき……」
「ウダウダ言ってんじゃねぇよ。いい加減にしねぇと今度はお前さんの警護どころじゃねぇ。俺直々にお前さん相手に刀を振るうことになるぞ」
キデツが「ひぃ」と小さく息を飲んだ。
「わ、わかりました。申し訳ございません。どうぞごゆるりとお過ごしくださいっ……ほら、皆行くぞっ」
キデツの合図で追いかけていた兵達の人影が消えていく。次第にしんと静まり返り、安全とわかった男は「やれやれ」とため息をついた。
「全く、ずいぶん面白いことしてるじゃねぇか。で、そんな格好で何してんだ」
男はククッと愉快そうに笑う。
色々と言い返そうと思ったカルは寝転がった姿勢から起き上がり、男を睨んだ。
「そっちこそ、なんでこんなところにっ」
「あぁ? 俺は仕事だっつの。あのな、剣士っつーのは色々ちまちま働かねぇと食い扶持がなくなんだよ。お前がたくさん饅頭を食いやがるからな」
そう言われ、カルは反論もできない。確かに彼がおごってくれるから、たくさん好物を食べてしまったが。
「まっ、お前が何をしようとしていたのかは大体察しがついてんぜ。だからたまたま居合わせた俺が穏便にことを進めてやろうとしてたのによ――全く」
座って動かないでいたカルの元に、彼はスッと身を屈めた状態で近づいてくると口に何かを押し当ててきた。布のような物、妙な臭いがする。
「だがまだここで騒いでると奴らに見つかる。だからもう少し寝とくんだな。安心しな、俺が運び出してやるから――」
頭がフワフワとしてきた。自分の意識が保っていられなくなる。
彼の言葉に「なんで」という疑問を抱きながら、カルは意識を遠退かせた。
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