第三十八話 母の愛

「カルッ!」


(カルーッ、しっかりしろーっ!)


 走り寄ってきたキユウに肩を支えられ、うつ伏せだった身体を反転させられる。その瞬間、キユウが腹の傷を見て息を飲んだのがわかる。

 自分でも感じる……ここまでの傷は良いものではない、と。妖刀が使えるとはいえ、身体はただの人間なのだから。


(お、おい、酔っ払いっ! カルは、大丈夫なんだろっ? 大丈夫だよなっ、なぁっ!)


 地面に落ちてしまったタキチは必死に声を上げるがキユウは返事をしないまま、自分を悲しげに見つめている。

 こんな顔のキユウは初めて見た。


(キユウも、こんな顔するんだ……)


 いつも適当に生き、本気になることがないと思っていたのに。自分を憎みつつ、愛情も抱いてくれていたなんて思わなかったのに。


(今になって、キユウのことがわかるなんて……)


 今までも距離を取っていたのは大事にされていたからだ。憎しみで傷つけないために。

 先程、キユウと戦っていた時、白い鞘の短刀も言っていたじゃないか。


『今の彼は邪念に憑かれている。愛する者を手にかける邪念に――』


 ダイの邪念にとり憑かれると愛する者を手にかけようとする。その事実は正直、危機を感じつつも嬉しかった。


 今なら認められる……自分はずっと家族のぬくもりが欲しかったんだ。あたたかい両親の他に、血の繋がる人物からの愛情が。

 かっこ悪いけど、さびしかった、ずっと。

 ダイの気持ち、わかるよ。

 一人は嫌だよな。


(でも大事にされていたんだ、俺は……)


 それを感じただけでも自分は幸せな奴だ。色々な人に愛されてきたんだ、いいじゃないか、さびしがることなんてなかった。

 今度は俺がダイといてやりたい。

 大事な“兄弟”だもんな。


 これが死ぬということなんだ……そう思いながらカルは目を閉じた。次第に腹の痛みが薄れていく、何も考える必要がなくなる。

 この感じが……心地良い。

 眠るように意識が遠退いていく頭の中。ふと、そよ風が吹くような優しい声がした。


(カル……)


 自分の意識がすぅっと軽くなったような気がした。

 カルは目を開け、まばたきをする。空が見える、綺麗な空が――それに、まだ光は見えている。自分は生きている。


(カル、あきらめるのはまだ早いわ。あなたには私もついているのだから)


 声がどこからか響いてくる。それは先程も聞こえた女性の声だ。


「この声はっ……!」


 驚きの声を上げたのはキユウだった。

 彼は周囲を見回し、声の存在を探す。そして何かを感じたのか、カルの腰にある白い鞘の短刀に目を向けると、キユウは短刀を手にし、刀身を鞘から抜き放った。

 すると真っ白く、輝く刀身が姿を現した。


(おっさん、その刀は?)


 話せないカルに代わり、タキチが問う。


「わからん、数年間ずっと持っていたが妖刀のようで何もできねぇ不思議な刀だった。それでもなぜだか手離すことができなくてな……だが」


 キユウが刀身に、そっと指を這わせる。

 そして語る、この短刀を手放した理由について。


 この短刀がお前の元に行きたがっているような気がした。だから今朝、宿屋の娘に預けたのだ、と。


(この声……さっきもキユウを助けてくれた声……一体……)


 今度は誰を助けようというのか。

 カルが考えていると、白い短刀は不思議な力が働いてキユウの手を離れ、ひとりでに空中を浮遊し出す。

 命の鏡のような力があるのかと思ったが。短刀から姿が具現化することはなく。ただ落ち着いた女性の声が周囲に響いた。


(ずっと何も言わなくてごめんね。私は意図的に力を封じていただけよ、兄さん。いつかあなた達の願いを叶えるために)


 兄さん?

 白い短刀は確かにそう言った。それはキユウを差した言葉のようだ。

 じゃあ、この声は……。


「……リラ? お前は、リラなのか?」


 短刀は返事をしないが、静かにあたたかい気を放っている。


(兄さんがカルを憎むのはわかっていたわ。だけど、いつかわかってくれると信じていた。その時は兄さんの願いを一つ、叶えようと思っていた。大事な家族を……いつも優しくしてくれた兄さんを捨てて出て行ってしまったことへの償いとして。私は妖刀になり、力を隠してこの時を待っていたの)


 でも、とリラは言葉を区切る。漂う短刀がわずかに動いた時、自分の方を見ている、とカルは思った。自分は今、優しい母の視線に見守られているのだ。


(願いはなんでも、ではないの。私達の大切な子、そして兄さんにとって大切な人のために私の力を使ってほしい……それが私の願い。私はそれを叶えるために存在していた。そして今、それをやっと叶えることができる)


 白い光がまばゆくなる。刀身から放たれた光はカルの腹部を照らすと、さらに全身を優しく包んでいく。母に抱かれているような、なんとも言えない気持ち良さ。傷が、身体が、心が、あたたかくなっていく。

 カルは心底安心できる存在を見上げ、自然とほほえんでいた。


「か、母さん、なんだね……ほとんど覚えていないけど、なんとなくわかるよ……」


 別れたのは小さい頃。記憶にも留められていないが、そこにいると気配でわかる。

 大事な存在、母だから。


(えぇ、そうよカル……あなたはとても大きくなったわね。あなたの成長した姿は私にも、あの人にとっても大きな喜びよ。どうか、もっと強く、たくましく、元気に生きてね)


 次第に腹部の痛みが消えていく。手を当ててみると着物は血に染まったままだったが、傷は何事もなかったように癒えていた。


(兄さんの願いは、あなたの無事……願いは叶えられた)

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