第三十九話 別れ
「リラ……すまねぇ、本当に……」
キユウが空中を漂う短刀に声をかけ、頭を下げる。キユウのその言葉には色々な意味での謝罪が含まれている。憎んだこと、冷たくしたこと、厳しい指導をしたこと、大事な甥を助けてくれたこと……色々だ。
リラは何も言わなかったが優しくほほえんでくれているような気がした。彼女は誰のことも恨んではいない。全てを優しく見守っていたのだ。
短刀は力を使い果たしたのか、徐々にその姿が透き通ったものとなっていく。
妖刀は自らの意思と叶えたい願いを持つもの。
その願いが叶えられたら役目は終わる。
この世から完全に消えようとしている。
(兄さん、カルをお願いね。今ではあなたのただ一人の家族……大事に思ってくれているのでしょう?)
その問いに、キユウは低い声で「あぁ」とつぶやく。その声には揺るぎないものが感じられた。
(そして――ダイ)
リラは側にうずくまっている小さな黒い存在に声をかける。怯えている子供が安心できるよう、なだめる母のような優しい声音で。
(ダイ、みんなにお別れをしたら私と一緒に行きましょう)
ダイは驚いたように「えっ」と声を上げる。黒い顔の中にある、存在はしていない目が、救いの神が現れたように前を見ている、ような気がする。
ダイは悩んだように下を向き、少ししてから、こくんと首を縦に振った。その様子を見てリラは嬉しそうに笑う。その笑みは“母”そのものだ。
血は繋がっていないけれどダイにとって、リラは母という存在に、たった今なったのだ。ダイの母が、自分にとっての母だったように。
よかった、これでダイは一人じゃない。
(カル、あともう一つだけ、あなたにお願いがあるの)
今まで周囲に語っていた母が、今度はカルの頭の中に語りかけてくる。それは自分のみにしか伝わっていない言葉だと、なんとなくわかった。
カルは意識を集中させ、母の語る言葉を聞く。
それは驚愕の事実だった。
(そ、そんなっ……本当なの、母さん)
(本当よ、そしてもう時間はあまりないの)
その言葉に、カルの心は揺れる。胸がズキンと腹を刺された時よりも痛くなった。
(そんな……そんな……俺には……)
できない、と言おうとした時、母が自分の名前を鋭い声で呼んだ。
(カル、カル……ダメよ。とてもつらいことなのはわかる。私もつらい。でもあなたがやらなければもっと大変なことが起き、そして兄さんも不幸になる。あなたに重大な責任を負わせてしまうけれど、それは私と兄さんの願いよ。誰もあなたを恨まない、むしろあなたに助けてもらったという嬉しい気持ちになれる。だからやらなければならないの、他の誰でもない、あなたが)
息子である自分につらいことを突きつけているのは承知の上。母の声が張り詰めている様子でそれはわかっている。
わかっているが……でも……。
(でも、俺にしか、できないこと、なんだ……)
カルは目を閉じ、やるしかない、と決めてから震えるまぶたを開ける。大切な存在を助けるために刀を振るう、そのための剣術なのだ。
(わかった……母さん……俺が、やる)
(カル、絶対よ)
(……うん)
そう約束すると、母は(よかった)と、つらそうに眉を歪めながらも笑った。一人前になったわね、と言う言葉が自分の胸を少しだけ、じんわりとさせてくれた。
もうお別れのようだ。
(あなたの幸せを祈っているわ。私の大事なカル)
短刀の周囲が光にあふれる。そしてたくさんの小さな光の粒と化す。それは天へと緩やかに昇っていく。天へ向かって、美しい光の粒の螺旋ができている。
傷の癒えたカルは何事もなかったように立ち上がり、その螺旋をジッと見上げた。心の中で「ありがとう」と何度もつぶやきながら。母の最後を、天に消える様子を見送る。
(どうか、父さんとあの世で末永く、幸せに……)
そしてもう一人、その存在について行こうとする者がいた。
(あ、あ、の……カル)
足元で小さな戸惑う声がした。見てみれば黒い人形でしかなかった存在が人の姿を取り戻していたのだ。短い黒髪の小さなかわいい男の子、それはダイだ。
ダイは胸の前で両手をモジモジとさせている。
(あ、あの、カル……ぼくもあの人についていく……いろいろと、ごめんなさい……ぼく、わるいことばかりした……)
生きて会えていれば自分と良い遊び相手、良い兄弟になっていたのかもしれない。
そう思うと胸が痛かったが、カルはダイのために無理に笑った。
「大丈夫だ、ダイ。お前は強い子だ。一人でずっと頑張ったんだもんな」
「でも、たくさんのひとも、ころしちゃったよ……」
「……うん、それは……許されないことだ。けどダイはちゃんと悪いことだと反省した。反省できる子に神様は怒らないよ。ダイ、これからはさ、お前の強さで俺の母さんのことを頼む。しっかり守ってやってくれ、俺の分まで」
そう言ってダイの頭をなでてやると、ダイは孤独にとり憑かれていたのが嘘のように屈託のない笑顔を見せる。
「うん、まかせて。ぼくが、かあさんを、まもるからっ」
やっと彼にも明るい日差しが差し込んできたのだ。できれば違った形で会えていたなら。そう思ったがそんな考えを振り払い、カルはダイに「さすが俺の兄弟だ」と笑みを返す。
「カル、ありがとう、ありがとう……バイバイ」
ダイはにっこりとほほえむと、リラと同じく光の粒と化し、後を追うように空へと昇っていった。
「ダイ、バイバイ……母さんをよろしく……」
さよなら、俺の兄弟。
次は幸せな時を歩めますように。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます