第四十話 もう一つの邪念
ダイと母を見送り、カルは静かに息をついたところで口を引き締めた。
自分には、もう一つやることがある。それはすぐにでも、やらなければならないことだ。
カルは隣に立つキユウを見上げた。
「キユウ……もう一つ、ここには人々を脅かすかもしれない邪念があるんだよな……?」
キユウは何も言わず、天を見上げている。
「母さんが教えてくれたんだ。キユウの中にある、邪念のことを……それを退治してほしい、俺にしかできないって言っていた。強くなった俺なら、今ならできると」
それはどこにあるのか……わかっている。さっきまでは感じなかったけれど、今ならそれを感じ取れる。きっとこれも母さんの力だ。母さんの“兄を助けてほしい”という愛だ。
(恐ろしい力の存在が今ならわかる)
キユウの左腕は――以前は皮の手甲で隠されていたが。先程からもずっと黒い道中合羽の下に隠されている。面を被り、襲ってきた時も。ダイの呪刀と対峙していた時も。彼は左腕では刀を振るわなかった。
振るえなかったのだ。
キユウはこちらを見ないまま、フッと笑った。その様子はそんなことは大したことじゃないというような、いつもの飄々とした彼だ。
「すげぇな、カルは。俺より妖刀使いとしての能力が秀でてきたみたいだな。お前はますます強くなるだろうな」
そう言うと、キユウは右手で道中合羽を脱ぎ捨てる。すると彼のたくましい体格と、カルが気にしていた左腕が姿を現す。
そのゾッとするような真実に、カルは怖気づきそうになった。だが気持ちを奮い立たせて、それに向き合う――向き合わなければならない。本当は嘆きたいような気分でも。
(カ、カルッ、なんだよ、これ、酔っ払いの腕が……)
タキチが怯えた声を出す。
カルは「あぁ」と己を強く保つようにうなずいた。
伯父の身の起きている、恐ろしい現実。それは刀を扱う自分にも、いずれ起こり得る可能性があることなのだろう。
キユウは力の入らない左腕を軽く動かした。
「カル、この世の中には様々な力を持つモノが存在する。妖刀使いも俺達以外に多くいるし、刀を使う者も多くいるが……皆、その力ゆえに苦しむ。この力は誰かを守るためにあり、誰かを葬るためにもある。それは仕方ないことだ。だがお前はその力があるがゆえに、今の俺を救うことができる」
上半身の着物を着崩したキユウの左腕はだらんと垂れ下がり、その全貌がよく見える。
呪刀と同じだった。黒く変色し、もう人のものではないと見ただけでもわかる。
邪念が、キユウを侵食しているのだ。刀ではなく、腕に憑いて。その腕はそう遠い先ではなく、呪われたモノとしていずれ刀を振るい、腕と共に呪刀と化すだろう。
そして多くの人に災いをもたらす。
「いつから、そうなったんだ?」
恐ろしい現実――向き合っていると言葉が震えてしまいそうになる。それでもなんとか唇に力を込め、震えないように努めた。
弱いところを見せてはいけない。俺は剣士だ。災いを断ち切る存在なのだ。
「さぁな。ずっと前から左腕は違和感があった。如実にこうなったのはここ最近かねぇ」
その言葉を聞き、やはりと思った。
カルは消えてしまった母――白い鞘の短刀のことを思い返す。
あの存在は何もしてこなかったわけではない。過去、キユウの手元に渡り、自分に対する彼の憎しみを消してくれていたと同時に、彼に対する多くの憎しみをも抑えていたのだ。
キユウが憎しみに負けぬよう、ずっと守ってくれていた。だからキユウはダイの邪念にとり憑かれていても正気を失わずにいられた、だが――。
『邪念は大きくなっていき、もう私には抑えきれなかった。救うためには……その方法はあなたにしかできない。だから危険を承知で、私はあなたの手元に来たの。でないと伝えられなかったから』
白い鞘の短刀が自分の元に来たことで母の力が離れ、キユウは邪念にとり憑かれた。己の身に起こること全てはキユウも察し、覚悟はしていたのだろう。
だから自分に殺させようとしたのだ。ダイの邪念だけではなく、他の邪念にも身体を奪われ、取り返しがつかないことをしてしまう前に。
『兄さんの中にある邪念から兄さんを助けて。お願い、カル』
『母さん……それは、つまりキユウを……』
『そうね、でもこのままでは兄さんはいずれにしても死んでしまう。心が死んでいても身体は動き続ける……罪もない人を、子供を、手にかける存在になる……そんなのは許されない。だからカル、お願い、あなたにしかできないから――』
母の最後の言葉を思い返し、カルはその重みを胸の中でグッと受け止める。
「……カル、俺は今まで多くの呪刀を葬ってきた。だがそれは同時に呪刀を持つ者――その魂を葬ってきたことになる。刀で人を斬れば魂が穢れる。それは相手が憎しみの心を持つからだ。憎しみは邪念となる。邪念は刀だけでなく、様々なものにとり憑く。そして人々に災いをなす」
キユウの語りを聞きながら、カルはダイのことを思い浮かべる。
彼は悪漢に殺されてしまったが幼い心ゆえに憎しみを持つことはなく、そのまま安息を得るはずだった。だが両親の愛が自分へと向き、自分への憎しみを抱いてしまった。
その魂は憎しみに穢れ、その憎しみは邪念となり、多くの人の命を奪った。
人の心は時に大きな力を持つものだ、憎しみも愛も……。
このままじゃ、キユウも同じ運命をたどる。
俺はキユウがそうならないように救わなければならない。それが母さんの願いでも、そしてキユウの願いでもある。
このタキチを使って……。
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