第四十一話 憎しみを断つ!

(カル、そんなの……嘘だろ)


 タキチが悲しげに呟く。カルはそんな悲しみに応えるように、タキチの柄をギュッと握り締めた。


 家族を、大切な人を斬るなんて信じられないと思っていた。けれど、これは憎いからじゃない。助けたいからだ。

 でも心は苦しくなるばかりだ。


「キユウ……」

 

 やっと気兼ねない存在としていられると思ったのに。自分はこの男を今から斬らなければならない。もっと多くの人が犠牲になる前に。そう母さんと約束した。

 でも苦しい、怖すぎる、嫌だ。

 そんなの。やりたくない……!


「カル、時間があまりねぇからな、頼むぞ」


 キユウはカルとタキチの前に立ち、両手を身体の左右に提げたまま、目を閉じた。


「カル、一度しか言わねぇけどな……お前は強くなった。俺の自慢の甥だ。そしてこの俺が一番に愛せる奴なんだぜ。光栄に思っておけよ」


 その言葉は嬉しくも、ひどいと思った。

 今さらそんなことを言うなんて、最後まで憎まれ口を叩いてくれれば良かったのに。

 キユウに認められる……それはずっと昔から実は願っていたことだ。いつか彼に認められたい。剣士として、弟子として、人として。彼を越えることも認められることもずっと目標だった。

 家族として過ごすことも。


 カルはタキチの柄に手を触れる。タキチだって嫌なはずだ、ケンカばかりとはいえ、関わりの深い人物を斬ろうとしているのだから。


(カル……)


「タキチ……俺、俺は……」


 やらなければ、わかっている。でも心身がものすごくそれを拒んでいるんだ。


「俺はっ……!」


 こらえていた恐怖があふれ、カルは歯を食いしばったがガタガタと震えてしまう。息ができなくなり、心臓が痛くなった。柄を触る手にも力が入らない。前を向くこともできず、うつむく。


 無理だ、こんなのっ……!

 なんでキユウを斬らなければならないんだよ、俺は……。

 ごめん、母さん、俺には……!


(カル、しっかりしろよ)


(タキチ……?)


 恐怖に押し流されそうになったカルの脳に届いたのはピンと鋭いタキチの声だった。


(おっさんを助けられんのはカルだけなんだろ? じゃあ……じゃあさ、怖いけど、つらいけど、やんなきゃ、だろっ⁉)


 カルは指をゆっくり動かし、タキチの柄に触れる。無機物であるのに、この妖刀はいつも宿主の心を反映している――あたたかい。


 タキチ……いつもそうだった。タキチは自分が怖がっていれば励ましてくれる。恐怖を吹き飛ばそうとしてくれる。今さっきまでタキチだって震えていたくせに。タキチだって、つらいのに。


 カルは震えながら、なんとか呼吸をする。タキチに触れながら恐怖心を和らげていると、タキチが「なぁ」と力強い声で言った。


(斬るっていっても、あの黒い腕だけ落とすとかはダメなのか? なんとかできないもんなのか)


(斬る、腕だけを……?)


 タキチの提案にカルはわずかな希望を感じ、息を飲んだ。だがそれで本当に大丈夫なのかは、わからない。結局ダメだったらキユウを苦しめるだけだ。でもそれなら片腕だけで済む。

 それでも嫌だ、斬るのは。

 でもやらなきゃ……。


「カル、私も力を貸してあげるよ?」


 不意に聞こえた足元からの声。

 見れば狐姿のギンちゃんがちょこんと地面に座っていた。


「そのタヌキの考えはアリだよ。タヌキのくせに良い考えじゃないか。うまくいくかは五分五分だけど私が力を貸せば大体うまくいくだろうね」


「ほ、本当か……ギンちゃん、本当に?」


 目を見開くカルの問いに、ギンちゃんは尻尾を軽やかに振った。


「アンタは良い人間だ。レンも良い人間だった。これも縁だ。私みたいな存在が何度も力を貸すことなんてなかなかないけど、私はアンタが好きだ、力を貸すよ。まぁ、腕を失うのは避けられないけど、あと痛い。まぁ、斬られるから当たり前かね」


 ギンちゃんの言葉を聞き、カルは前に立つキユウを見る。

 成り行きを見ていたキユウは、なんでもいいけどよ、という不敵な笑みを浮かべていた。


「安心しろ、酒飲んでるから痛みもねぇよ」


 こんな時に、と思うようなキユウの返しに、タキチは(この酔っ払い)と苦々しくボヤく。

 けれどカルは見出だせた希望に涙が出そうなほど安堵していた。そしてキユウとタキチのやり取りがすごく嬉しいと感じた。これからもこのやり取りを見られるのだ、と。

 そのためには、やらなければならない。みんなの力を借りて。

 自分の剣術は誰かのために振るうもの。

 それを今、示すんだ。


「キユウ」


 カルは意を決した。もう怖気づきはしない。

 キユウは安心したように再び目を閉じた。


(大丈夫だ、カル。ちょっとつらいだろうけど、そのつらさは、おれっちも担う。おれっちとカルは一心同体だ。お前に勇気を、おれっちは与え続けるからな)


(ありがとう、タキチ)


 カルはタキチを鞘から抜き放つ。

 周囲に山の風を思わせる、森の匂いと自分の黒髪を揺らす微風が巻き起こる。風と草の香りが故郷を思い出させ、少し胸が落ち着く。

 深呼吸で胸の中を森の香りで満たす。


「いくよ、カル」


 ギンちゃんも尻尾を揺らし、全身を輝かせる。

 わかった、とカルは応え、タキチを真上に掲げた。


「キユウ、俺は、あんたを――助けるっ!」


 カルは目の前にある積年の憎しみの源に、緑の光放つ妖刀を振り下ろした。

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