第三十五話 小さな黒きモノ
人の記憶というものは生きていく上で忘れることも当たり前のようにある。過去は残ると同時に忘れ去られるもの。
それは良くも悪くも人を生かすことに繋がる。
けれど忘れ去られた者は忘れ去られたことを悲しむ場合もある。
特にまだ幼い子供なら、なおさらのこと。子供はさびしいのを嫌う。だからどんな時でも、どんな存在となったとしても親や家族を求めるのだ。
「呪刀による事件が起きたのは約半年前。それ以前はなかった。俺はそれが不思議だと思っていた。バスラに呪刀が存在するなら、ずっと前から事件が起きてもおかしくないのに、と思っていたから」
子供達の墓場へ通じる石畳を歩きながら、カルは語る。
「邪念は憎しみや恨みから生まれる。それは人や刀にとり憑き、人に災いをなすものになる。でも一人でもこの世に“想っていてくれる人”がいれば、その想いで憎しみは相殺される。人の想いは一番強い武器にもなるから……母さんがキユウの憎しみを消してくれたようにね」
「つまり半年前までは今回の原因の邪念を抑える存在がいた、ということか?」
キユウの問いかけにカルはうなずく。だから長い間、呪刀の原因となる邪念がバスラにあったとしても事件は起きなかった。
だが半年前、邪念を抑える役割となっていた人達が、この世からいなくなってしまったのだ。
カルもよく知る人達が。
(抑えていたのはその人達、けれど憎しみを抱くようになった原因は……俺……)
亡くなった子供達の冥福を祈るために作られた墓地。数多く列をなして並んだ墓石の数は、それだけ多くの子供達が亡くなったことを意味する。親にとっては辛い別れの場だ。
そこには子供達の魂に安らぎを与えるためなのか、犬や猫などの動物をかたどった像があちこちに置いてあり、不気味ではないが物哀しい雰囲気を作り出している。ところどころ小さな墓石の前には綺麗な花々が供えられており、亡くなって時間が経っていても間もなくても。子を想う親の気持ちというものが見て取れる。
今でも覚えているよ、成仏して生まれ変わっておくれ、来世ではすくすくと幸せにね、と。みんな昇天した魂の、次の幸せを願っているのだ。
そんな彩り豊かな墓石が並ぶ場所から離れた位置に、一つだけ色もくすみ、苔むした墓石があった。いかにも長年手入れをされていないという墓石。その表面の文字も苔で読むことができず、人々から忘れ去られているのがわかる。
そして唯一、この墓石の存在を知っていた者達は半年程前に亡くなってしまっている。
「カル、ここは?」
墓石を見てキユウがたずねる。
カルは深く息をついてから口を開いた。
「俺の兄弟と言えるべき奴の墓だ」
「お前に、兄弟?」
これにはキユウも驚いていた。
だがリラには子供は一人しかいないはず、と見開いた目が問いかけていた。
「ついさっきギンちゃん――命の鏡に見せられた、もう一つ真実なんだ」
それは忘れ去られた過去のことだった。
育ての両親には血の繋がる子供が一人いた。
名前はダイ。このバスラで生まれ、バスラで育っていた少年。明るく元気で、いつも街中を駆け回るごく普通の子供だった。
しかし当時、治安の悪いバスラでは流行り病の他、様々な理由で悪漢に襲われる子供も多くいた。身代金目当て、人身売買のための誘拐。ただ命を奪い、自分の欲を満たすだけの狂気じみた殺人。
そんな勝手な思いを抱く大人の手に、ダイも捕まってしまった。まだ三歳になったばかり。一人でほんの少しだけ、外で遊んでいた時だ。賭けに負けた憂さを晴らそうと街中をフラフラしていた身勝手な人間により、刀を突き立てられた幼い身体は、泣く間もなく。その命を奪われた。
納得ができるはずもない理不尽な事件。犯人はすぐに捕まったが大切な我が子を失った両親は深く悲しみ、ひたすら涙に暮れる日々を送る。
「そんな時だ、同じ時に俺も母を――」
(カル、前っ……!)
話している最中、タキチが声を上げた。目の前に黒い霞が現れたのだ。
キユウは腰に提げた刀に右手を伸ばし、身構える。
一方でカルは微動だにせず、その霞を見つめる。
(うぅぅ……さびしいよぉ……だれも、いないよぉ……にくいよぉ……)
霞はもぞもぞと動き、次第に
それは声を上げている。さびしさ、憎しみを、子供の声で呻いている。
(おまえだ、おまえがぼくのおとう、おかあをつれていったから)
黒い身体の中からサビた小太刀が現れる。
その小太刀を見て、なぜか懐かしいとカルは感じた。小太刀は人形の手に握られると霞に包まれ、黒い刀と化す。
呪刀、呪われた刀の完成の瞬間だ。
(カル、こいつがお前の兄弟だってのか? すごい憎しみをおれっちも感じるぞ)
タキチもその身に恐怖を感じたのか、刀自体がカタッと身ぶるいしたように揺れた。
「あぁ、俺の兄弟……育ての親の元に生まれたのに悲しい事件によって死に、この墓に埋葬された。だけど両親はバスラを離れてしまい、以来こいつはここで一人ぼっちになってしまった。こいつの両親が亡くなったのがきっかけで、その憎しみが今こうして、呪刀騒ぎを起こしたんだ。俺への恨みを晴らすために」
(おまえがわるい。おまえが、ふたりをつれていった。ぼくは、わすれられてしまった)
幼くして亡くなったダイだったが両親に見守られ、安らかに眠るはずだった。
しかし自分が現れたことで、両親はバスラを離れ、別の地で暮らすようになってしまったのだ。
我が子のことを心底愛していた、だが愛していたがゆえに失くして苦しんでいた。その悲しみを忘れるために。自分達が前を進むためにも、置いてきてしまったのだ。
離れた地で我が子の安息を願い、ずっと祈っていたけれど。その二人がいなくなり、彼を想う存在はもうこの世に誰もいないのだ。
(ゆるさないっ!)
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