第三十六話 憎しみと悲しみ

 ダイが憎悪と悲しみに満ちた叫びを上げると、呪刀が人形の手を離れ、意思を持ったかのように、ひとりでに宙を舞った。黒い切っ先はカルに向けられ、突き刺さんと鈍く光り、そして鷹のような素早さで滑空してきた。


「タキチッ!」


 咄嗟に妖刀タキチを抜き放ち、呪刀を弾く。カァンと細い金属音が鳴る。

 呪刀は再び宙を舞う――が、またすぐに方向を正し、カルに狙いを定めてきた。


「カルッ!」


 今度は駆け寄ってきたキユウの刀が飛んできた呪刀を叩き落とす。呪刀は地面に勢いよくぶつかり、弾んだ拍子に近くの木にぶつかった。

 しかし相手は命を持たぬ金属。いくら叩きつけようともすぐにまた、しつこい虫のように宙に浮かび、刃をぎらつかせる。


(うぅ、くそっ、人間の振るうものじゃないから動き方が半端ないっ!)


 再び向かってくる黒い刃。刀身には霧のように黒い霞がかかっている。弾くとそれが霧散し、息を吸い込むと呼吸に良くないものであるのか、胸が苦しくなった。


「うっ……!」


 ズキン――胸が痛い。カルの身体が均衡を失い、傾く。呪刀が隙を狙い、飛んでくる。


(カルッ!)


 必死なタキチの悲鳴の後、重い金属音が響き、周囲の空気までもが振動する。そんな重い呪刀の一撃を受け止めたのは、己の使い慣れた刀を“両手”で構える、キユウだった。


 ギリギリギリと刃がこすれ合う。合わさる刃が小刻みに震えているのはキユウが全力でそれを受け止めている証拠だ。

 両者の様子を見たカルは愕然とした。今まで見えなかったものが今――見えてしまったのだ。


 キユウが両手で刀を構えたことにより、黒い皮の手甲に覆われていたキユウの左手が。今さっきは片手で刀を振るい、道中合羽の下に隠れて見えなかった左手が……!


「カルッ! 早く態勢を立て直せっ!」


 しかし今は気にしている場合ではない。

 この隙にカルは呪刀と距離を取り、タキチを真正面に構え直した。

 目に焼きついた光景が離れない。

 今のは、キユウの左腕が、そんな。


(カル、カル、大丈夫かっ? ケガ、ないよなっ)


(タ、タキチ……あぁ、だ、大丈夫だ、まだやれるからっ……!)


(ダメだ、少し息を整えろっ。酔っ払いが相手をしている間に、少しでもっ!)


(……タキチ?)


 珍しくタキチが焦っていた。それが痛いぐらいわかり、カルは動揺した。


(カル、ゆっくり、落ち着け……頼むから)


 タキチの声が不安気に震えている。なぜだろう、そう思いながらカルは言われた通りに深呼吸をする。


 そしてすぐにその理由はわかった。それは自分の動きが呪刀の速さについていけていないのだ。キユウでさえ、全力で攻撃を受け止めなければいけない相手だ。それをまだ経験の少ない剣士である自分が渡り合うなど無謀なことなのだ。


 ……でも、やらなきゃならないから。


「タキチ、大丈夫だ、俺は。だから安心して俺に力を貸してくれ。お前が不安だとこっちまで不安になってきちゃうよ」


 カルは息を整え、刀を握りながら、その刀身に口を寄せる。刀に宿る魂を安心させるように、ゆっくりとささやく。


「俺は負けない。頼もしい相棒がここにいるんだ。俺とお前がいれば誰にも負けないよ」


 いつも励ましてくれるタキチに、今度は自分が励ましを口にする……なんか変な気分だ。

 けれど今の自分には恐怖心はないのだ。なぜかはわからない。

 しかしあそこで暴れるダイの邪念は自分にしか静めることができないと思うと。

 “兄弟”として屈してはいられないのだ。


(……悪い、カル……ありがとうな。うん、いかなきゃ、だなっ)


 タキチの声に再び覇気が戻る。

 カルはタキチの柄を握りしめて「行くぞっ」と叫ぶと、二本の赤い飾り紐が炎のように揺らめいた。


「ダイッ! こっちだ、俺はここにいるぞっ!」


 カルは前に躍り出た。するとすぐに呪刀は狙いをキユウから自分に変え、獲物を睨む獣の瞳のような黒い光を向けた。

 カルは地を蹴り、呪刀に向かって走る。


「タキチ、行くぞっ!」


 気合いを入れ、真上に構えたタキチを一気に振り下ろす。タキチも「ふんっ!」とその瞬間に気合いを入れ、刀は見事、呪刀の峰の部分に当たった。そのまま真上からの圧によって呪刀は地面に叩きつけられ、当たった衝撃で砂煙が舞う。


「やったか!」


(ダメだっ、カル、後ろに引けっ!)


 地面に叩きつけられた呪刀は、またすぐにカタカタと動くと宙に飛び立つ。カルの命を奪うまで何度でも呪刀は襲い来るのだろう。


 しかしこの繰り返しの攻防にて次第に不利になるのは体力が徐々に減っていく人間の方だ。現に度重なる刀のぶつかり合いで、カルの腕は痺れつつあった。


(カルっ、このままじゃお前が持たないっ!)


「わかっているっ!」


 このままではダメだ、なんとか刀を破壊できないだろうか、いや無理だ。憎しみのこもった刀は岩のように頑丈で攻撃を受け止めるのが精一杯だ、破壊なんて。

 では操る主をなんとかできれば?

 ダイの気を静めることができないだろうか。

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