第二話 タヌキとおっさんと

 カルの目前の卓上には、蒸したばかりで白い湯気を立ち昇らせる酒蒸し饅頭が皿の上にドンと詰まれていた。

 それを見て思わず生唾を飲み込む。見ただけで胃が活発に動き出したみたいで胃がきゅうと痛くなった。


 ここはバスラにある大衆酒場だ。まだ真っ昼間ということもあり、薄暗い店内には整然と木製の椅子や卓が並ぶだけで他に客はいない。

 仏頂面の店主は自分たちが注文した物――饅頭と熱燗の入った徳利とおちょこと、つまみである焼き鳥を卓に置くとまた店の奥に引っ込んでしまった。多分魚を焼いているようだ、焼き魚の匂いがする。


「やれやれ、好物が饅頭とはな。相変わらずカルはお子ちゃまなんだなぁ」


 カルが座る卓の斜向かいに座り、上半身の着物を着崩している中年男はそう言って、おちょこに注いだ酒を飲み始めた。

 小馬鹿にされたのにはちょっと腹が立ったが空腹には抗えない。


「そっちは相変わらず呑兵衛なんだな」


 皮肉には皮肉を返してから、カルは饅頭にかぶりついた――うわっ、やわらかくてウマい……!


「くくく、まぁそう、ふてくされなさんな。数年ぶりに会ったってのに。そんな返しじゃ、かわいくないぞ」


「かわいいは余計だっ。そもそも勝手にいなくなったのはそっちだろ」


「あぁ、なんだぁ? 俺が急にいなくなってさびしかったって感じだな」


「さ、さびしかないよっ! うるさいよキユウは!」


 カルは男――キユウを見ないようにしながら、次の饅頭を口に含んだ。

 すると卓の横に立てかけていた赤銅色の鞘に収まる刀――タキチが鍔の下に巻かれた赤い二本の飾り紐をふわりと揺らした。


(……カルゥ、この酒好きのおっさんがホントにカルの剣術のお師匠さんなのか? おれっちにはただの髪ボサで無精髭のおっさんにしか見えないんだけどー)


 少年のような、いぶかしむ声が響く。この声は普通の人間には聞こえていないものだ。

 だから席の側を通り、焼けた魚を持ってきた店主も何も反応はしていない。この声は“特定の者”だけが聞くことができるのだ。


(ホントだぞ。こんなナリだけど腕は確かなんだ)


 頭の中で返事をすると(えぇ、めっちゃ胡散臭いな)とタキチは悪びれもせずに言った。

 カルはたまらず吹き出してしまった。


 確かに見た目はただの中年のおっさんだ。手入れのしていない伸びた黒髪を雑に束ね、桑の実色の着物を着崩した、だらしない格好。

 だがその下に見える黒い肌着の上からでもわかる胸板の厚さは男が武道に優れ、剣術に精通した剣士であるという証だ。首や腕、肌に刻まれた無数の傷、日に焼けた皮膚、力を入れれば浮き出る筋肉。


 手入れはしている黒髪と、日には焼けているけど程よい筋肉しかない自分とは正反対だ。言いたくはないが同じ男としては武勇に優れたキユウはずっと昔から憧れの存在でもある……ホントに言いたくはないが。


(ふーん、まぁ見かけによらないってやつかぁ。んでもってカルの伯父さん、なんだっけ?)


(そう、母さんの兄なんだ)


 実の伯父でもある人物。今では唯一、自分と血の繋がりのある人物だ。

 そんな男と六年ぶりの再会となるなんて思いもしなかった。


(へー、まぁ確かにあの巨大猪も一発だったもんなぁ。確かに強いっちゃ強いんだろうけど……うーん、でもやっぱり飲んだくれにしか見えねぇ)


 目の前で何も気にせず、キユウは酒を堪能している。そんな様子を見ていたら、カルはまた吹き出しそうになったが今度はこらえた。早めにこの語りかけてくる相棒に真実を教えてやらないとかわいそうかもしれない。

 だが先に口を開いたのはキユウだった。


「お前の妖刀はずいぶんとおしゃべりみてぇだなぁ、なんだ下等動物か?」


 キユウは卓上に肘を突き、カルの刀を見て目を細める。

 すると二本の赤い飾り紐が反論するかのようにフワッと持ち上がった。


(か、下等動物だとーっ! 失礼な、おれっちは立派なタヌキだいっ!)


「――ぶっ、なっ、タ、タヌキだぁ?」


 キユウはケラケラと笑い出した。


「ずいぶん、どん臭そうなヤツじゃねえかっ」


(なんだよっ! そっちは胡散臭いじゃないか! この酔っ払い!)


 カルは二人のやり取りに大笑いした後でキユウに説明した。

 自分の持つ刀の正体は確かに一匹のタヌキの魂である。ひょんなことから知り合い、ずっと共に旅をしているんだと。 


 この世界には様々な意思の宿る刀が存在する。

 それは妖刀と呼ばれ、一般的には妖怪の類とも言われているが多くは悪いものではない。刀を持つ者を守護する相棒みたいな存在だ。


 だが妖刀を扱えるのは刀を扱え、想いを読み取れる精神力に富んだ一部の者のみ。それが刀の声を聞くことができる特定の者だ――と、自分は昔、キユウに習ったことがある。


(ちぇっ、カルゥ、このおっさんも妖刀使いなら最初から言ってちょーだいよね)


 不貞腐れたタキチに「ごめんな」と謝罪しておく。タキチの飾り紐は力をなくしたようにヘニョヘニョになっている。

 だがキユウが「ずいぶんと、おにぎやかなタヌキ様で。旅もうるさくて退屈しねぇだろうな」と言うと。


(うっさい、酔っ払い!)


 タキチはまた元気にわめいていた。なんだかんだでこの妖刀タキチと酒飲みの剣豪は仲良しになれそうな気がする。

 皮肉な言い合いをする両者に苦笑いを浮かべてから「ところでキユウの、それは妖刀?」と。


 カルもキユウが腰に提げている刀を指した。象牙のように白い鞘が特徴の綺麗な刀――いや、刀というよりは短刀と呼ばれる長さの物で、武器よりも護身用として所持するのが一般的な代物だ。その短刀からも妖刀のような特殊な力を感じる。

 しかしキユウは首を横に振った。


「こいつはよくわかんねぇ。ある時からずっと持ってはいるが交信はできねぇ」


「交信ができない刀なんてあるんだ」


「なくはない、な」


 ふぅん、とカルは短刀をジッと見る。自分が妖刀と交信ができるようになったのも、実はいつの間にかのことだった。タキチと出会った頃だったかもしれない。

 けれど妖刀はタキチしか相手にしたことはない。だから他の刀がどんな感じで話したりするのか。自分の相棒のように、こんなおしゃべりな奴ばかりじゃないのか。ちょっと興味があったのに残念だ。


「……あぁ、そういえばな、カル」


 カルは白い短刀からキユウに視線を戻す。

 そこには酒好きの酔っ払いではあるが、剣豪としての実力がにじみ出る、飄々とした男がいた。


「話を戻すけどな、この都で刀絡みの事件が起きているのは知っているか?」


「刀絡み? いいや」


「人がな、死んでるんだよ」


 カルの心臓が跳ねる……人が死ぬ事件。刀や戦があふれる世の中では珍しいことではない。


 だがバスラの都の門をくぐった瞬間、人々の噂は耳に届いていた。

 また人斬りだ、という暗い悲鳴を。

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