第三十一話 隠されていた憎しみ
「行くぞっ!」
カルは決死の覚悟で相手に背を向け、泉に向かって走り出した。
先程から聞こえる女性の言葉を最後の頼みの綱と信じて。背後からは強い殺気が迫っている。
頼みの綱が外れたら……あとはない。
「頼むっ!」
泉に手が届いた。水をわずかに手の平にすくう。
そして水の冷たさを感じる前に、背後に迫る存在に向かって腕を振り払い、清めの水をまいた。
うまくいった!
清めの水を浴びた呪刀や天狗面男の周辺から、ジュウッという蒸発するような音と共に蒸気が発した。
(わぁぁぁっ!)
そして高い声の悲鳴が響く。聞き覚えのない声は子供のもののように聞こえた。
(い、今の声は、誰だっ?)
カルは白く上がり続ける蒸気を見つめる。
次第に蒸気は風によって薄れていき、中から立ちすくむ男が姿を見せる。
「キユウっ!」
カルが名を呼ぶと男は膝から崩れ落ちた。
持っていた黒い刀も、天狗の面も地面に転がり、カランカランと音を立てた。
面の下にあった顔はよく知る人物で間違いなかった。生きているとわかる顔色を見て、カルは胸をなで下ろす。よかった、生きてる。
そんな彼に駆け寄ろうとした時だ。
「来るな、カルっ」
荒い呼吸を繰り返しているキユウの言葉に、足が阻まれた。立ち止まると、彼の足元に転がる黒い刀から、苦しげな呻きがゾワゾワと背筋を這い上がるように響いてきた。
(うぅぅぅ……カル……カル……ゆるさない……カルゥゥ)
苦しげに呻く声はさっきの悲鳴と同じ、子供の声だ。自分の名前を呼び、恨みを吐く声には悲しさもあり、そして激しく恨んでいるのが伝わってくる。となれば自分を知る存在に違いないが。
「お、お前は誰なんだっ?」
カルが声を上げると、落ちた刀が以前見た黒い霞をまとい始め、一筋の柱となって、ゆっくりと空中に上がっていく。
憎しみの邪念。見ているだけで闇に飲み込まれてしまいそうだ。
黒い霞は空中に全て漂い、楕円のような塊になった。
(ゆるさない、カル、ゆるさない……)
そう言って霞は空中に霧散し、消えた。また次の獲物を求めているのか、それとも恨みを持つ自分を殺すすべを探しに行ったのか。
すぐに後を追いたかった。しかし今はキユウの方が心配だ。深追いはせず、カルは再び彼の元に近づくと膝を折って声をかけた。
「キユウ、大丈夫か?」
キユウも地面に膝をつけたまま、片手で顔を覆っていた。先程までの殺意はすっかりなくなっている。気力が抜けたと言えなくもない。
「ちっ……全く、ひどい伯父だよな……お前を殺そうとしたり、してな……」
キユウの力のこもっていない言葉を聞き、カルを首を横に振る。
「だってそれは……呪刀のせいだろ」
今度はキユウが首を横に振り、それを否定した。
「違う、呪刀のせいだけじゃねぇんだ……俺はお前を、殺そうとしていたんだ。昔からな。お前の血が……俺は憎くてたまらなかったんだ」
それはキユウが語る、過去についての真実。
あいつの血筋を残してはならない。
それが狙いで近づいたんだ。
キユウは、そう語り出した。
それは自分が物心もつかない幼い頃。バスラを離れ、村に移り住んで間もない頃のことだった。
『……おじさん、だーれ?』
カルは一人、外で土いじりをして遊んでいた。まだ村に来たばかりで友達もいない。新しい両親とは、まだ少し距離を取っていて、一人で遊ぶことは日課となっていた。
そんなカルの目の前に一人の男が立つ。
男は腰に刀を提げ、良い体格をしていて、とても強そうに見えた。
『お前が、リラとあいつの子か』
この時の自分は、リラという名前が誰なのかわからず、ただ男を見上げていた。複雑な思いを宿した目つきで、自分を見下ろしている男を。男の右手は腰に提げる刀を掴もうと動き出している。
カルはこの時、自分の命が危ういということなど何も考えてはいない。男を見つめ、そして空を飛んでいる一羽の鳥に視線を向けた。
『あ、鳥さんだぁ』
空を飛んでいた鳥が目の前に降り立つ。白い翼の綺麗な鳥だ。
その鳥はくちばしに何かを咥えていた。
その何かを男の目の前の地面に置くと、すぐさま飛び去った。
『わぁ、きれいな刀だね』
カルは大きな目を爛々とさせる。目の前にあるのは今の鳥のように白さが特徴の小さい刀。まるで見ている者の気持ちを白く染めてくれるような白い鞘の短刀だった。
『これは……』
男はそれを手に取る。意識をその短刀に奪われたかのようにしばらく見続けていると、ふとカルの方に視線を向けてきた。
その瞳に、もう複雑な思いは宿っていなかった。
『……小僧、俺が剣術を教えてやろう』
『けんじゅつ?』
『あぁ、人を殺しもするが、誰かを守るための技でもある。それをお前に教えてやる』
その日からキユウとの関係は始まった。
厳しい日々。けれどそれからしばらくして妖刀が使えるようになってからは時折優しさを見せてくれた。
『キユウは、俺の師匠で……俺の、大事な、家族なんだ、よ……』
そしてその言葉を口にしたら、ある日突然消えてしまった。自分が求めても、彼は自分がいらなかったんだ。自分も彼を親代わりにしようとしていたのかもしれない。
キユウにとって自分は憎しみの対象でしか……。
「はいはーい、ギンちゃんが来たよー?」
そんな時、この場に全く似合わない、のんきそうな神様の声が聞こえた。
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