第十七話 かけがえのないタヌキ
不意に聞き覚えのない少年のような声がカルの耳に届いた。
カルは刀を振るって野犬を牽制しつつ、今の声は聞き間違いかと辺りを探る。
気のせいではない。声は腕に抱いたタヌキから聞こえてきていた。
(なんで、ただのタヌキにそこまでするんだよっ……とんだ、お人好しガキンチョめっ)
なぜ声が聞こえるんだ? 普通は思うだろう、その疑問も。こんな危機的状況では自分の頭に浮かんできていない。
なんだ、このタヌキの声か、ぐらいにしか思っていない自分がいる。
「お前、人の言葉しゃべれんのか、すげぇな」
(そんなこと言ってる場合じゃないだろっ)
そうこうしているうちにも野犬は次々に飛びかかってきている。
だがカルの片腕は依然タヌキを抱いたままだ。したがってカルは右の片手で振るう刃のみで野犬を相手にしている。本当は余裕ぶってタヌキと会話している場合ではない。
それでもなぜか、怖いという気持ちは微塵も感じなくなり、逆に安心するような、穏やかな気持ちになっている。
このタヌキの声のせいだろうか。
(もういいって言ってるんだよ、おれっちなんかのために――)
刀を一振りしてから、カルは叫ぶ。
「いいんだよ、俺がそうしたいんだからっ」
タヌキは(えっ)と驚きの声を上げた。
「誰かのために刀を振るえてんなら、それでいいんだよ。俺は誰かのために、刀を振るって、守ってやるんだって、誰かを守れる強い男になるんだって、決めているんだから!」
誰かのために戦えている初めての実戦。戦うのは野犬相手、守るのはタヌキという微妙な組み合わせだ。
それでも自分が誰かのために、いざという時は刀を振るう覚悟があるようだということがわかり、カルは不謹慎でも今の自分を誇らしく感じた。剣術を習ったはいいが実際に相手へと振るう覚悟がないまま、臆してしまう者もいるという。
習ってみて「こんなの簡単じゃん」と自分も思っていたが、実際に戦う場に出たらどうなるだろう、恐怖で手も足も出ないんじゃないか。自分でもわからなかったから。
でも自分は戦えることがわかった。この名もないタヌキのために。名声も富も得られないけれど、守ってやりたいからという思いだけで。
(お前って奴は……まったく面白い奴だなぁ……)
タヌキが呆れたように、嬉しそうに言う。
そして――。
(ありがとう、な)
タヌキがふっと笑ったような感じがした。
ありがとう。感謝の言葉がもう一度呟かれたが、その後は何も言わなくなってしまった。
様子が変だと思い、カルは抱えたタヌキを見やる。
タヌキはぐったりし、身体には、もう力を入れていなかった。カルが動くごとに垂れた頭と尻尾も揺れる。
けれどまだ温かみはある。ついほんの前まで血が通って身体を温めていたからだ。その血を通わせる鼓動は、もう動いてはいない。
命の灯火はあっという間に消えてしまった。元から怪我によって弱っていた。弱った状態では自然では生きられない。
悲しいことだが、どんな生き物にも等しく死は訪れる。成仏して転生して、また新しく生まれ変わると言われている。生まれ変われば、また幸せが待っている。それでいい、それが自然の理だ。
それでも少しでも触れ合えた存在の死は悲しいものだ。
「くそっ……」
守り切れず、悔しいと打ちひしがれる最中でも野犬は迫る。こうなればタヌキの死体を守って戦い抜き、後できちんと供養してやろうと決めた。
カルは片手で握る刀を中段に構え、切っ先で野犬をとらえた、その時だ。カルは刀のある変化に気づき、刀を凝視した。
刀が。形が――というよりも、まとう雰囲気が変わっていく。
刀身は新録の葉のように色づいていき、刃が淡い緑色の輝きを放ち出す。鍔には下緒とはまた違う赤い二本の飾り紐がスルリと現れ、鍔に勝手に結ばれる。
そして刀を握るカルの手に、不思議な温かさが伝わってくる。それは手の平だけでなく、心も温めてくれるようだった。嬉しいという感情が、どこからか湧いてくる。まるで刀がそう思っているかのように、それが伝わってくる。
(……よぉっ! これならおれっちも力を貸せるな! どうだい、これっ、すげーだろ!?)
命が消えたはずのタヌキの声が、再び頭に響いてきた。
「えっ、お前死んだんじゃ?」
腕の中のタヌキは変わらず、グッタリと息絶えている。だが明るく、飛び跳ねんばかりの彼の声がカルには聞こえる。
(勝手にお前の刀に宿らしてもらった。おれっち、お前とずっと一緒にいるって決めたんだ!)
刀に宿る? なんだそれ?
よくわからないが何かが起きたらしい、刀にタヌキの魂が宿ったらしい。そんな不思議な出来事なんて本当に起こるんだ。
けれど一人じゃないという心強さが自分に安心感を与えてくれる。力が湧いてくる。
もう大丈夫だ、これなら。
こいつがいれば自分は戦えるっ!
「よっしゃ! じゃあ一緒に戦おうぜ!」
カルは刀を横へと払う。すると優しい風が辺りに渦巻くのを感じる。
(任せろっ! 相棒っ!)
カルの刀さばきにより、風と共に動く刀は野犬の身体を次々と斬りつけていく。
しかし不思議なことに致命傷を与えてはいない。軽傷を負っただけの野犬は驚き、怯えながら山の中へと逃げ去っていく。
(命は無駄に奪うもんじゃない、魂が穢れるからな、わかるだろ? 穢れた魂は憎しみを持つ。憎しみを持った魂は、災いをなす存在になるから)
「なんだよ、それ? 難しいな」
(大きくなりゃ、わかるって! ほらまだ野犬がいるぞ!)
わかったよ! と気合いを入れ、カルは刀を振り続ける。新録の刃は秋の山に不釣り合いの色をしているが優しい風を巻き起こし、木の葉を散らす。
生涯の刀、相棒、けれどタヌキ。
カルはかけがえのない存在を手に入れたのだ。
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