第16話 妻を呼ぶ罠?
木場幸司はいたって普通の男子に見えた。
罪を犯した人についてインタビューされた近所の人が、いやあ、そんなことする人にはちっとも見えなかったけどねえ、なんて答えるのをテレビで何度か見たけど、まさにそんな感じだ。
小さな顔にくりっとした可愛らしい目のせいで、中学生といっても通用しそうだ。
しかし青白い肌はとても病的で、釣り上がった眉とゆがむ口元が彼の印象をとても悪くしていた。
「俺を知ってるか?」
木場は俺に問い詰める。
「俺を見たことがあるか?」
ゆっくり首を横に振ると、木場は自虐気味に笑った。
「ならこれはどうだ?」
小刻みに体を揺らすと、木場は別に人間になった。
人相から体つきまでまるで別物の男になる。しかも、
「ほら、これは? 見たことあるか? こっちはどうだ?」
問いただすたびに別の人間に変ぼうしていく。
「相手にすんな。あれは
市川さんが俺を安心させてくれる。
最終的に幼稚園児のように小さくなった木場は、両手で顔を覆って自らを嘆きはじめる。
「誰も本当の僕を知らない。誰も僕を見つけてくれない。みんな僕を無視する。みんなが僕を」
「うるせえなあ」
市川さんが机の中に入っていた誰かの教科書を木場に投げつけた。
「いきなりそんなこと言われたってこっちはピンとこねえんだよ。要件があるならさっさと言え! 上と繋いでやるからよ!」
しかし木場は市川さんを狂気の眼差しで睨みつける。
小さな子供だからとても気味悪く、俺も市川さんもその迫力に押されてしまった。
「黙って見てな。ここは交わることのない世界を繋ぐ交差点になる」
そして木場は笑った。
情緒不安定なのかと思うくらい今度は無邪気に笑い出す。
「センパイ達がやって来てこの町を食い潰すんだ。お前らは眺めてろ。俺を無視した報いを世界中の奴らが受けるんだ」
ハハハ、たまんないよ。と一人で悦に入る木場を俺たちは黙ってみていることしか出来ない。
膝を崩し、腹を抱えて笑う木場。
その肩に、一枚の札がぐさりと刺さった。
立て続けにさらに三枚、木場の頭と背中、そして胸に、トントントンとリズムよく札が刺さっていく。
言葉もなく木場は床に突っ伏して動かなくなった。
「来たぜ」
市川さんが呟いた。
天井に大きな穴が開く。
降り立ったのはやはり葉月さんだった。
「旦那様! ご無事ですか?!」
髪を振り乱し、市川さんを思いきり突き飛ばし、光のような速さで俺に駆け寄り、手をぎゅっと握ってきた。
葉月さんのあの甘い匂いが緊張と混乱で硬直させていた俺の体を一瞬のうちにほぐしてくれる。
「ごめんなさい。まんまと罠にはまってしまって」
「いいえ。全ては市川の責任です」
「なんでそうなるのよ」
いつも上質な和服を着こなしていた葉月さんだったが、今日はさすがに動ける格好をしようとしたのか、真っ黒いジャージを着ていた。
「私の旦那様になんということを……」
動かなくなった木場に近づこうとするが、
「お嬢さん、まだ終わりじゃありませんよ」
市川さんが呼び止める。
「どういうことです?」
「お嬢さんが考えている以上に木場は出来るやつです。奴はおそらく……」
しかしそれ以上話すことは出来なかった。
床が突然消えてなくなって、俺たちはまっさかさまに落ちていく。
四階の教室から、一階へ。
普通なら体を強く打って大けが、あるいは死ぬかもしれないという一大事だったが、葉月さんが繰り出したお札が三人のまわりをくるくる回ると、俺たちの体は風船のようにふわりと浮きながら、ゆっくりゆっくり落ちていく。
「助かった……」
俺は床に両手を突いて思わず呟いたが、湿ったコンクリートの感触に違和感を感じて周囲を見回した。
ここはさっきの高城学校じゃない。
学校は学校でも、火災のせいで黒焦げの廃墟と化した、市川さんの言葉を借りると、表の学校だ。
あの日から学校は立ち入り禁止になっており誰も近づくことは出来なくなっていたが、遠目から見ても再起不能になったことは明らかだった。
人に例えれば、皮膚はただれ、体は穴だらけで、焼失した部位もある。
特に屋根はほとんど崩落してしまったから見上げると星が綺麗に見えてしまう。
って星?
今、夜なの?
笹川さんの尋問に同席したときはまだ午前十時半くらいで、それからどう見積もっても三十分くらいしか経過していないはずなのに……。
いやいや、今はそんなこと考えてる場合じゃない。
「これは……」
葉月さんが驚いた様子で廃墟を見回す。
「なぜ……、どうやって」
あちこちに歩いて、匂いを嗅いだり、黒ずんだ壁に手を触れたり、地面に散らばるガラスの破片をつまんだりと、忙しい。
「お嬢さんがやったんじゃないんですね」
市川さんが葉月さんの背中に話しかけるが、探索に没頭する葉月さんには聞こえなかったらしい。
一体どうしたんだろうと戸惑う俺に市川さんが耳打ちする。
「俺たちは一瞬で表の世界に帰ってきた。普通ならそんな気軽に行ったり来たり出来るもんじゃないんだ。なのに木場はそれをやった。あいつはただの学生じゃない、もっと……」
市川さんが核心を突こうとすると遮られるジンクスでもあるのか、またしても邪魔が入った。
「芦屋の小娘! 俺を見ろ!」
木場の声が聞こえる。
四階にある半壊した教室から、木場が俺たちを見下ろしている。
「これが何より欲しかったんだ。まんまとよこしたな、馬鹿娘」
木場の手に握られているのは、偽物を倒すときに葉月さんが使ったお札だった。
奴は
さっきの幼子の体から一変、格闘家のようなたくましい体になっている。
「芦屋が安倍と並びうる地位を築いたその力の源は転移にある。そうだよな?」
転移。
山梨にある保本家と兵庫の葉月さんの実家を繋いだ術も転移といえるだろうか。
葉月さんは険しい眼差しで木場を見ている。
「俺が何より欲しかったものを見せてやるよ」
木場は葉月さんの札をぐっと握りしめ、クシャクシャにした。
その瞬間、木場のすぐ近くに小さな光の球が浮かび上がる。
奴はそれに左手を突っ込んだ。
それを見て叫んだのは市川さんだった。
「しまった! 式神か!」
結論から言う。
木場が芦屋家の札を利用して起こした転移術。それを使って奴が手に入れたもの。
それは木場の偽の死体だ。
火事で死んだ木場幸司の亡骸は、泣きわめく生徒達に見送られながら富士神総合病院の霊安室に運ばれていたらしい。
奴はそれを取り戻したのだ。
長い間、木場幸司として多くの生徒や教師を惑わしていた男は、俺よりもでっぷり太っていた。まるで昼寝をしているかのような穏やかな顔だった。
俺たちの前にいるのは二人の木場幸司だ。
一人は生きていて、一人は死んでいる。
「まずいって!」
市川さんが木場に向かって走り出すが、見えない壁にぶつかって弾かれる。
その転がる姿を目で追う葉月さんは夢を見ているような、あやふやな顔をしていた。
「無駄だよ無駄無駄! 何もかもが遅いんだってお前らは!」
木場は笑いながら叫び、死体の上に手を置いた。
「術者は人の魂や感情を食らってより強くなる。こいつは確かに人形だが、長いこといろんな人間と関わってきたことでこんなに丸く太ってくれたよ」
死体の大きく膨れた腹をまるで太鼓のようにポンポン叩いて笑う。
「こいつの中にあるのは人が人に見せる感情全てだ。安心、感謝、敬意、親しみ、憧れ、緊張、不安、恐れ、嫌悪、軽蔑、嫉妬、恨み、怒り、殺意、まだまだたくさん」
どうだ、すげえだろとばかりに得意顔になる木場、
その目をかっと見開いて、俺に言った。
「保本大吾、よく見とけよ。こいつは未来のお前だ」
そして木場幸司はもう一人の木場を……。
食べ始めた……。
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