第20話 夫が攻撃を仕掛けるとき
どんな言葉を使えば、銃を撃った後の衝撃を伝えられるだろう。
俺の体にあるすべてのもの、内蔵、筋肉、血管、血液、細胞、ありとあらゆるものが消えた感じ。
全身から力が抜け、床にうつ伏せで倒れる。
その状態から動くことが出来ない。
なんとか起き上がろうと思っても、指先にまで立ち上がれという指示が届かない。
結局、俺はイモムシのように地面を這うだけだった。
「お、おい、どうしたんだよ……」
市川さんが駆け寄ってくる。
俺の背中に触れようとするが、体がとても熱くなっていたようで、悲鳴を上げながらすぐに手を離した。
「おまえ……」
息も絶え絶え、顔も真っ青、そして口から舌まで出して、俺は誰が見ても死にそうな状態になっていた。
市川さんもこれではどうしようもないと思ったのか、呆然とするだけだ。
「敵はどうなりました……?」
かすれた声を絞り出すと、市川さんはハッとして周囲を見た。
「なんだこれ……」
市川さんは四方八方動き回り、そして言った。
「全部死んでる……。どうなってんだよ……」
その言葉に俺は安堵した。
強烈なな眠気が襲ってきていたので、このまま目を閉じて寝てしまおうかと思うくらいだったけど、あの少年が言ったことを思いだした。
左手には道満札がある。
あれを葉月さんに届けなければ……。
生まれたての子鹿みたいに立とうとしては転ぶを繰り返す俺。
その右手にある銃に市川さんは気付いたらしい。
「そのイケてる銃はなんだよ……」
「元気になったら説明しますんで……」
ゼロに近かった体力が少しずつ戻ってきているのを感じていたので、今は市川さんより葉月さんに集中したかった。
それでも二本足で歩くという、人として当たり前のことがまだできそうになかったから、とりあえず這って進むしかない。
「葉月さんに、渡さなきゃ……」
道満札を握りしめながらうわごとのように同じことを呟く俺を、市川さんが背負ってくれた。
「何をどうしたのか知らねえが……、こんなことに命なんか賭けんなよ」
責めるというより、市川さんは悲しそうだった。
「そういうのが一番嫌いなんだよ俺は……」
どんなに力を込めてもびくともしなかった教室の引き戸を市川さんはあっさり開けた。銃を撃ったことで道満札の結界を破ったようだ。
廊下は敵の死骸でいっぱいになっていた。
人の形をしたもの、犬の形をしたもの、イノシシの形をしたものなど、どこかで見たことあるけど全身が黒ずくめの物体が足の踏み場もないくらいに倒れていた。
市川さんは死体の山をゆっくりと歩いていく。
「こんだけの数をよく一撃で倒せたもんだな……」
確かにどこを見ても死体だらけだが、その一方で俺はいやな気配を感じていた。
ここに触れたら静電気がバチッとくるだろうというビリビリした感覚に似ている。
「まだ生きてる奴がいる……」
「なにぬ?」
武器の使い方が悪かったのだろう、仕留めきれなかった奴がいるのをひしひしと感じる。
「だったら早くお嬢さんと合流しねえと……」
そこで市川さんの足が止まった。
「遠くに敵がいるぞ……」
廊下の突き当たりで、猿が三匹、天井にぶら下がっている姿が見えた。
足が二本、手が四本という奇妙な姿をしている。
どうやらこちらには気付いていないようだ。
市川さんは息を押し殺して来た道を戻ろうとしたが、俺はそれを許さなかった。
戻っても葉月さんはいないのだから、無駄なことだと思ったのだ。
銃のスイッチを安心モードに切り替えて、猿に向かっていきなり撃った。
「おい、馬鹿かお前!」
当然市川さんはパニクるが、
「なんとかします……」
と俺は宣言する。
弱っていたので声は弱々しいが、気合いは入っていたつもりだ。
きっちり狙いを定めたわけではなく、なんとなく猿に向けて撃っただけだが、銃口から放たれた光の球は意思を持つかのように自ら猿に当たりに行く。
攻撃を喰らった猿が消滅する。
不意を打たれ、仲間がやられたことで残りの二匹が俺たちに気付いた。
矢のような速さでこっちに突っ込んでくる。
それを見た市川さんの混乱はさらに増す。
「やばいやばい! 死んじゃう! やだ、怖い!」
わかってはいたけど、いざというときにパニクる人なんだろう。
「じっとしてくださいって!」
絶叫マシンに乗る前の子供みたいにじたばた暴れるので、背負われてる俺は滑り落ちそうになる。
そのせいで見当外れの場所に銃を撃ってしまったが、またしても光の球が自ら軌道修正して敵にぶち当たってくれる。
それでもあと一匹いる。
すごい勢いで接近してきているから、すぐにでも銃を撃つべきだったが、慌てすぎて敵の死体につまづいた市川さんがとうとう派手に転んでしまった。
釣られて俺も倒れる。
固い床の上ではなく、ぶよぶよした敵の体に思い切り倒れ込んだ。
その弾みで銃を手から放してしまう。
まずいと思って顔を上げた瞬間、黒い猿がすぐそこまで来ていた。
敵は大きな四本の腕を高々と振り上げ、俺と市川さんを同時になぎ払おうとする。
やられる!
そう思って目を閉じたけど、攻撃が来ない。
どうしたんだと見上げると、猿の体に右手がない。
床に落ちている。
猿もどうしてこうなったのかわからないのか、自分の右手をぼうっと眺めているだけだったが、それも一瞬だった。
何処からか飛んできた一枚の札が猿の腕と頭部をすぱすぱっと切断して、敵はただの塊になってしまった。
「旦那様!」
葉月さんが階段を駆け下りてきた。
ジャージの左腕の部分が流血でビタビタになっている。
陶器みたいに綺麗な白い肌にも切り傷が三つ。
それでも葉月さんは生き延びていた。
「葉月さん、無事で良かった……」
俺は何とか身を起こし、壁にもたれながら葉月さんを見て笑うが、彼女は大粒の涙を流していた。
「なんということを……」
彼女は俺の身に何があったのか、説明するまでもなくわかっていたらしい。
右腕一つでぎゅっと抱きついてくる。
「私の力が足りず、こんなことになってしまって……」
「いや、俺のことなんか気にしないで良いんです……」
来るべき時が来たと俺は感じていた。
あの銃を撃ったときから気付いていたことだ。
芦屋母が俺にかけた術はもう解けている。
少年がくれた銃の力が呪いを打ち破ったのだろう。
「葉月さん、聞いてもらえますか……」
ようやく、ようやく、葉月さんに本当のことを言えるときが来たのだ。
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