第21話 夫が妻に嘘を白状するとき

「葉月さん、ごめんなさい」


 本当なら土下座するべきだ。

 だけど体調が悪すぎて体が自由に動かず、壁にだらりと寄りかかって、口を半開きにしたまま謝罪するという不謹慎な体勢になってしまう。

 それでも、吐き出す言葉だけには気持ちをこめようと、一言一言噛みしめるように口を動かす。


「おれ、本当は病気なんかしてないんです。余命一年なんてのも嘘で……」


「え?」

 抱きついていた俺から離れ、きょとんとした顔で俺を見つめる。

 驚いたのは葉月さんだけではない。


「ちょ、待て、どういうことだ」

 市川さんの顔が見る見る青くなっていく。

 

「病気なんて嘘なんです。健康なんです」

 

 その言葉に市川さんは尻餅をつくほどのショックを受けたようだ。


「あらららら……」

 天を仰ぐ俺の付き人。


「いきなりそんなこと言われてもな……」


 うろたえる市川さん。当然の反応だ。


「俺たちはさ、お前がいずれ死ぬって前提で動いてたんだよ」


 こんな状況でも市川さんの言葉にはトゲがない。

 俺に気をつかって話そうとしているのがわかる。


「その、お前が死ぬってことで、国から援助金まで貰ったりしてな……」


「はい……」


「それが急に、死ぬなんて嘘ですなんてなったら、全部がわーってなるな……」


 そして市川さんは髪の毛をクシャクシャにかきむしった。 


「本当にごめんなさい……」


 俺は葉月さんと市川さんを交互に見た。

 あまりの情けなさに本当に死にたくなった。

 貰った銃をにして撃ちまくろうと思ったくらいだ。


「おれ、学校に行くのが嫌になって、適当な嘘を言って辞めようとしたんです。それだけのことが、どんどん大きくなって収集付かなくなって……」


 あの日、学校辞められたわよ、やったね! と踊った母がちょっと恨めしい。


 でも、母に甘えて学校を辞めることを受け入れたのは俺の判断だ。

 そんなの嘘だとさっさと白状して、何食わぬ顔で学校に通えばそれで終わった話だったのに、俺はそれをしなかった。

 学校を辞めて良いと母が認めてくれたことが嬉しかったのだ。


「本当にごめんなさい。どう責任をとれば良いのか……」

 

 この話を聞いた芦屋母、そして村岡さんがどういう反応をするのか恐ろしくてたまらない。

 それだけじゃない。

 陰陽師ネットワークという組織に関わる全ての人達の反応が怖い。


 小さい頃からずっと同級生の冷たい視線に晒されたが、別に苦しくはなかった。だって俺に関わる悪評は全て嘘だったから、気にする必要が無かった。


 だけど今回は違う。

 責められたり、冷たい眼差しで見られるしかないような状況を作ってしまった。大人達の根拠ある怒りの眼差し。これに耐えられる自信は無い。


 いっそ殺してくれとすら思う。

 もう何なら食って良いよと。


「旦那様……」

  

 がじっと見つめてくる。

 俺は息を飲んだ。

 葉月さんの反応が何より怖かった。


 彼女も怒って良い。

 よくも騙してくれた。

 お前のせいで深手を負ったと文句を言っていい立場にいる。


 あの日の笹川さんのように、厳しい眼差しでもう近づかないでと言われたら、今度ばかりは立ち直れる自信が無い。


「確認します。旦那様はご病気ではないのですね?」


「はい……」


「余命一年というのもまったくの嘘だと……」


「はい……」

 惨めだった。

 穴があったら入りたいとはこのこと。

 体が動けば今すぐにでも逃げ出したかったが、葉月さんがそうさせなかった。


 彼女はもう一度俺に抱きついてきたのだ。


「よかった!」

 と叫びながら。


「へ?」


 葉月さんは凄い力で俺に手を回してくる。


「それならずっと一緒にいられます!」

「なんと……」


 葉月さんは潤んだ目で俺を見つめる。


「あれだけ大口叩いて病魔を退治すると約束したのに、何を調べても、どうすることも出来ないとわかるだけで、絶望しておりました……」


「そ、そうでしたか……」

 

 肌と肌が触れあうくらい、俺と葉月さんの距離が近くなっているが、うろたえる俺に比べて、葉月さんは俺から目をそらそうともしない。

 

「旦那様。謝る必要などありません。初めてお会いした日から私の気持ちは変わっていないのです」


 葉月さんは頬を紅潮させながら断言した。


「誰が何を言おうと私は旦那様から離れません」

「葉月さん……」


 どうして彼女はここまで俺を慕ってくれるのだろう。

 彼女と接するたびに俺はずっとそう考えている。今もだ。


 だけど大事なのはそこじゃないんだと葉月さんの先祖が教えてくれた。


 俺がすべき事は、何で俺なんか好きになったのかその答えを探るのではなく、葉月さんに相応しい男になるよう自分をたたき上げることなのだ。


 俺は意を決して、両の手で葉月さんを軽く抱きしめた。


「葉月さん、こうなったら二人で行けるところまで行きましょう」


 俺の妻は小さく頷いて俺の言葉を待っている。


「お義母さんや村岡さんが、この二人なら儀式なんかしなくても敵とやり合えるって思うくらいに強くなるんです。だから……」


 俺は道満札どうまんふだを葉月さんの手に置いた。


「一人で無茶しないで下さい。もう一人の体じゃないんですから」

「……わかりました」


 葉月さんは道満札を大事そうに手で包み、服の袖に戻した。


「は、ははははは!」

 

 俺たちのやり取りを見ていた市川さんが突然笑い出した。


「連中を騙して、成り上がって、人食い儀式を潰そうってのかよ!」


 ヒステリックに笑う市川さんは俺の肩をバンバン叩いた。


「おもしれえじゃねえか! ってか死なねえのかよ、大吾ちゃん!」


 泣くくらい笑った後、市川さんは俺を見て微笑んだ。


「良かったな」


 その優しい声は、弱っていた俺の体を暖めるのに十分だった。


「大吾ちゃん、その嘘に俺も混ぜろ。こうなったらとことん付き合ってやる」


「市川、いいのですね?」


 厳しい眼差しをぶつける葉月さん。

 市川さんは余裕だ。


「構いませんよ。そっちの方がよっぽど面白そうだ」

 

 その言葉に葉月さんは意地の悪い笑みを見せた。


「役に立てば良いのだけど」


 肩をすくめて市川さんは立ち上がった。


「何でもしますけどね。とりあえずさっさと終わらせてもう家に帰りませんか」


 市川さんがある方向を指さした。

 

 木場がこっちに歩いてくる。

 あるときは幼児、またあるときは格闘家のような巨漢に変ぼうした男は、頭の良さそうな小柄な青年になっていた。


「あれが本物か、可愛い顔してるじゃんか」

 

 市川さんと同じ思いだった。

 木場の正体は、童顔の愛らしい少年だった。

  

 その眼鏡は割れ、服も体もズタボロだ。

 右足を引きずりながら歩く姿はゾンビのよう。


 それでも、その瞳は怒りに燃えて俺たちを見ていた。


「旦那様、ここはお任せ下さい」


 葉月さんが静かに立ち上がった。

 服の袖から道満札を取り出し、木場を見つめる。


「今の私は誰にも負ける気がしません」

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