第18話 妻を救えと轟き叫ぶ

「死ぬ気って、どういうことです!」


 俺は怒鳴った。さっきのやり取りを見たとき、市川さんが葉月さんを煽っていたような気がして、ついつい責めるような口調になってしまった。

 いったい葉月さんに何を迫ったんだって。


「時間を稼ごうとしてるんだろ」

 市川さんはまだ外を見続けている。


「お前も散々耳にしてきたと思うが、俺たちが言う敵ってのは、この裏世界の住人のことだ」


 あれを見ろよと市川さんが窓を指さす。

 殻のないカタツムリみたいな物体が窓の外に貼りつき、這い回っている。

 一匹ではない、うじゃうじゃいる。

 その全身は真っ黒だ。

 動いた跡に膿みのような黄色い液体が残り、窓が黄色に染まっていく。


「気持ち悪いだろ?」


 市川さんがしかめ面で呟いた。


「こういう見た目の奴もいれば、犬や猿みたいな奴もいる。ほとんどの連中は草食動物みたいに、無害な連中だが、ごくたまにほとんど人間と変わらない頭の良い奴が出てくる。こいつらがたちが悪い」


 市川さんはポケットから一枚の紙を取り出し、それを棒読みする。


「人間に敵意を隠さず、裏世界の住民を煽り、操り、裏世界から飛び出して私達の社会を破壊しようと目論む連中を敵と呼称します。それ以外の言葉を使用すると他の組織に勘ぐられる場合がありますので、ただ敵とだけ呼ぶように」


「わかりましたけど……」

 ここでわかったところで何になるというのだろう。

 こうしている間も葉月さんは一人で敵を……。


 敵を?

 さっき市川さんは時間稼ぎって……。


「わかってきたか」

 市川さんはさばさばした顔で呟いた。


「お前が持ってる道満札どうまんふだがあればここだけは強固な砦になる。敵がわんさか来ても入ることすら出来ないが、それもいつまで持つか……」


 どんどんと教室の壁を乱暴に叩く音がする。

 引き戸にある小さな窓に、大きな黒い物体がいくつも見えた。

 市川さんの言う「敵」がここに入ってこようとしているらしい。

 

 つまり俺たちは四方八方囲まれているということになるが、敵は何かに気づいたのか、急にどこかに行ってしまった。


「始めたか。道満札無しでどこまでやれるか……」

 

 市川さんはその場にあぐらをかいた。

 腕を組んで瞑想するかのように目を閉じる。


「これほどの騒ぎが起これば昭恵さん達もさすがに気付いているはずだ。今頃使える人間かき集めて総力戦の準備をしてるだろう。お嬢さんはそれを待ってる」

 

 やっと理解した。

 葉月さんは避難させた俺と市川さんに危害が及ばないよう自分一人飛び出して敵を引きつけようとしている。

 応援が来るまでたくさんの敵をたった一人で……。


「そんな無茶な」


 教室に群がる敵がどれだけの強さなのか俺は知らない。

 ただその数はとてつもなく多い。一人でどうにか出来るとは思えない。


「葉月さんがここに残って俺が飛び出してった方が後々楽じゃないですか……」


「そんな風に言うなよ」

 市川さんは悲しそうに言った。


「陰陽師とか関係なく、国防に関わる組織の判断として何より守るべきなのは民間人のお前だ。俺もお嬢さんもそれくらいはわかってる」


「いやでも……」

 こんなことになったのは妻から電話が来たと思って浮かれてしまった自分の無能が原因じゃないか。


 そもそも、あんな馬鹿馬鹿しい嘘をつかなかったら、葉月さんは俺に会うこともなかった。

 今頃こんなことは起きていない。


「やっと家の外に出れたのに……」


 あの狭い部屋を飛び出してようやく自由になれた矢先だったのだ。

 葉月さんの美しさと家庭力があれば、きっと明るい将来が待っていた。


 大学に行けばミス何ちゃら間違い無しだろうし、きっと俺なんかより五百万倍イケてる男性に会えただろうし……、やり甲斐のある仕事や、暖かい家庭が……。


 こんな気味の悪い場所で命をさらす必要がどこにあるんだろう。

 右も左も敵に囲まれて、葉月さんは今どうしているのだろうか。


 今わかった。


「俺はやっぱり死神か……」

  

 関わる人間がみんな不幸になる死神なのだ。


「あーくそっ! うだうだしてる場合かよ!」


 俺はドアの前に立ち、全身全霊でドアを開けようとするがびくともしない。


「無理だって」

 市川さんが声をかけるが、俺は諦めない。


 手で持っていた道満札をメンコのように床に投げつけた。


「おい、お前! 生きてるんだろ! なんとかしろっ!」


「だからさ……」

 何か言おうとする市川さんを無視して俺は札に叫び続ける。


「食う人間が食われる人間より先に死んでどうするんだよ! お前だって困るだろ!」


 なんとかしなければの一心で俺は叫ぶ。


「何でも良いから力をくれ! 彼女を助けなきゃ!」


 ちから、チカラが欲しい。

 頼む。なんとかしてくれと必死で呼びかける。


「頼む! なんでもいいから……!」

「まあ、落ち着きなよ、保本氏」

 

 背後からかかる声の軽さに俺は苛立った。

 市川さんも諦めずに何か叫んで欲しいもんだ。


「やってみなきゃわかんないでしょ! って……」


 市川さんが体を震わせながら、ある方向を指さしている。

 教室の隅、担任の教師が使う机に誰か座っている。


 この世のものとは思えないくらい綺麗な顔をした男の子が、真っ黒な公家の衣装を着てふんぞり返っていた。

 ニヤニヤ笑いながら俺たちを見ている。


 市川さんは開いた口を塞ぐことが出来ず、よだれまで流していた。


「あ、あし、あしや、どどど、どう」


「君、うるさそうだから少し黙って」

 

 少年が指をパチンと鳴らすと市川さんの口が消えた。

 文字通り顔から口がなくなったので、市川さんは目を丸くして自分の顔を触り出すが、やがて石のようになって動かなくなった。


「時間を五分ばかり止めたよ。おかしな言い方だけどね」


 確かに、見る景色の全てが一時停止している。

 市川さんも、敵も、風も、空も、雲も。

 何もかもが止まった。

 

 動けるのは俺と、あの少年だけだ。


「あ、あの……」

「なにその顔。自分が呼んだくせして」

 意地の悪い笑みを浮かべながら少年は俺を見つめる。


「さあ、話そうよ、保本氏」

 少年は目をキラキラさせながら俺に微笑んだ。

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