第17話 魔物と陰陽師、その夫と付き人?

 横たわっていた死体が黒い塵になっていく。

 

 木場は両目を閉じながら恍惚の表情でその塵を食べ始める。

 口だけでなく、その鼻や耳にも塵は吸い込まれていく。


 近づこうとしても透明な壁に弾かれるだけなので、俺たちはただ見ることしか出来ない。


 葉月さんや市川さんが何を考えていたかは分からないが、実を言うと俺は内心ホッとしたりしていた。

 これは未来のお前だとか言われたもんだから、文字通りムシャムシャ食いだしたら気持ち悪くなって吐いていたと思う。

 しかし塵になった体を吸い込むという絵面なら何とか直視できたし、葉月さんもこうやって俺を食うんだなとか予習になったしって、


「そんなこと考えてる場合かよ!」


 ついつい大声を出したので市川さんは飛び上がって驚いた。


「なななななんだよ。驚かすなよ」

「ごめんなさい。色々思うところがあって……」


 その言葉に市川さんは複雑な顔をする。


「……まあ、お前にとっちゃ他人事じゃないだろうな」

「食べると、一体どうなるんです?」

「めちゃくちゃ強くなるって聞いたが……」


 木場は相変わらず食事の真っ最中だ。

 両手をひろげて塵を吸い込むその姿はまるで映画「ショーシャンクの空に」の主人公がやっとこさ自由になった瞬間の姿みたいだった。


「強くなるってどんくらいですか?」

「俺が知るかよ。何ならここで食われてみるか?」

「冗談止めてくださいよ!」


「いちかわっ! 静かに!」


 葉月さんが鋭く怒鳴った。


「何で俺だけなのよ!」

 

 そう訴えても葉月さんには効かない。


万能札ばんのうさつを持っているなら、ありったけ用意しておきなさい。旦那様に傷一つ付けてはなりません。激しい攻撃が来ます」


「は、はい!」

 他ならぬ葉月さんの指示に市川さんは慌てたようにポケットから大量の札を取り出したが、手が震えていたせいで、ほとんどの札を床に落としてしまった。

 その姿に葉月さんから失望の溜息がこぼれた。


 とうとう木場の食事が終わった。

 もう一人の木場はどこにもいない。一つのカケラもない。


 全てはあの大男の体の中にある。

 ぱっと見、何か変化があったようには思えない。

 しかし本人は明らかな違いを感じているのか、興奮している。


「なんて力だ……」


 木場は自分の両手を交互に見ながら頬を紅潮させている。


に、こんな力が手に入るなんて……」

 

 喜びのあまり涙まで流していた。


「与えられた力に報いるときだ」

 木場はそう言って左のてのひらをコンクリートの床に貼り付けた。


 ごごごごご、と足下が揺れ始める。

 外の景色が変わる。

 

 紫色が広がる空間、裏の世界とかいうところだ。

 

 そしてまたすぐに場所が変わる。

 今度は馴染み深い学校。表の世界か。


 裏と表、表と裏。二つの世界が交互に入れ替わっていく。


 もう市川さんに聞かなくても、何が起ころうとしているかわかってきた。


 表と裏の世界。

 交わることのない二つの世界を高城高校を利用して結びつける。

 市川さんはそれを「門」と呼び、木場は「交差点」と表現した。


 表と裏が一つになったとき、裏の世界の住民達がこの学校を門としてやってくる。

 それを百鬼夜行と市川さんは表現していた。

 その瞬間が近いというのか?


「なんと愚かなことを!」


 葉月さんはそう叫ぶと、服の袖から一枚の札を取り出した。

 それは瞬く間に薙刀なぎなたとなって葉月さんの右手に収まる。


 葉月さんは薙刀を思い切り地面に突きつけた。その刃が見えなくなるくらい地面にめり込ませると、目まぐるしく変わっていた景色が裏の世界でピタリと止まった。


 二つの世界を繋ごうとする木場、

 それを防ごうとする葉月さん。

 激しいせめぎ合いだった。


 だが歯を食いしばる葉月さんに比べ、木場は笑顔をたたえたまま余裕を崩さない。


「お前はそうするしかないだろうなぁ」


 木場は右手を高く上げた。その手が真っ赤に燃えている。

 その炎の熱だけで、教室にあった机や椅子が溶けていく。


 なのに俺たちには何の熱も感じない。

 葉月さんが守ってくれているのか、それとも市川さんの札か。


「だけどなあ、隙だらけなんだよっ!」


 木場は叫びながら右手の炎を葉月さんに投げつけた。

 確かに両手で薙刀の柄を握りしめたままの葉月さんは無防備だ。


 しかし市川さんが情けない絶叫とともに放り投げた万能札が炎を受け止め、身代わりとなって焼失する。


「いいねいいね! けど、いつまで持つかな?」


 木場の右手がまた真っ赤に燃え出す。

 これを延々続けていたらいずれこっちの武器が尽きてしまうだろう。


 しかし木場も、俺たちも、ある物に気付いていなかった。


 葉月さんの服の袖から一枚の札が飛び出し、もの凄い速さで木場の背後に回り込んでその背中を刺したのだ。


 木場はぎゃあっと絶叫して倒れ込む。

 背中に刺さった札の柄には見覚えがあった。

 あの道満札どうまんふだという葉月さんの家に代々伝わる凄い武器だ。


 生きていると葉月さんが言ったように、道満札は意思を持つかのように木場の体から離れ、葉月さんの服の中に自ら戻っていく。


「小娘が……」

 きつい一撃を浴びて動けない木場。


「お嬢さん、今ですよ!」

 市川さんが叫んだ。


「わかってる……!」


 葉月さんの武器に稲妻のような光がまとわりついたかと思うと、どんと突き上げるような衝撃が起きる。

 そして周囲が一瞬真っ白になった。


 強烈なフラッシュに包まれたことで俺は一瞬固まってしまったが、葉月さんの武器がカランと地面に横たわった音で我に返った。


 葉月さんが膝を突いて苦しそうにしている。

 こんな表情は初めて見た。

 額から汗が雨のようにしたたり、ぜーぜーと乱れた呼吸をしている。


「葉月さん……」

 駆け寄って背中をさすると汗で服はびしょびしょ、その体も高熱を帯びていて、一瞬手を離してしまうくらいだった。


「なんとか門を切り離しました……」

 俺の顔を見ることが出来ないくらい疲労で体を動かせないようだ。


「さすがにやるね……」


 木場が腰をゆっくり回しながら呟く。


「晴明の再来だって話は嘘じゃないみたいだな」

 

 残念ながら背中の一撃は致命傷にはならなかったらしい。


「ただどこまで持つかな? 俺はまだまだイケるが、あんたはもう動けないだろうな。いっそそいつを食っちまったらどうだ?」


「そんなこと絶対にしない!」

 葉月さんはすぐに叫んだが、片膝を突いた状態から起き上がることが出来ない。


「なら黙ってみてるんだな」


 木場はそういうとまた左手を床に貼り付ける。


 その時だった。


 木場の頭が百八十度ぐにゃっと回転した。

 

 そして木場のものとは全く別の声が木場の頭から鳴り出す。

 地を這うように低く、無機質で、気色の悪い声だった。


「人の子よ。まず娘を殺せ。この好機はめったに訪れない」

「し、しかし先生。点を繋がなければ今度はいつ……」


 はたから見れば木場が独り言を言っているだけなんだけど、交わされる言葉の声色は全く別人だ。

 木場の中にもう一人いるのだろうか?


「点と線は同士が繋ぎ止めておく」

「先輩方が?」

 

 嬉しそうな木場の声。


「そうだ。同士たちを向かわせた。なんとしてもここで娘を始末しろ」


 そして木場の顔は元に戻った。

 何か嬉しいことでもあったのか満面の笑みで俺たちを見ていた。


「聞こえただろ。先生の言うとおり、まずはお前を殺す」


 木場が立ち上がる。

 その両手が炎に燃える。


 葉月さんは動けない。

 けいれんしている。

 

 俺は思わず葉月さんを抱きかかえたが、その姿を見て木場は笑った。


「気に入らねえな。お前みたいな奴がさ」


 ぺっとつばを吐く。その色は血で真っ赤だった。


「お前みたいな死神が笹川に気に入られやがって! あの女もどうかしてる! こんな奴の言葉に笑いやがって!」


「はあ?」

 そんなことで?

 こんな馬鹿げたことを?


「死神が俺より勝るなんてあっていいわけねえんだよ!」


 二人とも死ねと木場が両手を高く上げた瞬間だった。


 こそこそ壁に万能札を貼り付けていた市川さんが叫んだ。


「頭を抑えろ!」


 その瞬間、俺と葉月さん、そして市川さんの体が浮き上がってどこかに飛ばされていく。

 壁を突きぬけながら直線的に進んでいくので、木場との距離はどんどん離れていく。最終的に俺たちは三階の教室に逃げ込んだ。


「とりあえずはこれでいい」

 そう呟くと市川さんは残り少なくなった万能札を葉月さんに手渡す。


「これで最後です。自分に使った方がいい」


 差し出された札を葉月さんは震える手でつかみ、その首に貼り付けると、札は溶けてなくなった。


「あなたにしては……、良い選択です……」

 苦しそうな顔で皮肉を言う葉月さん。


「そりゃどうも。ただお嬢さん……」


 市川さんは窓の外を見て苦々しげに言った。


「言いたかないが、ここはあんたがなんとかするしかない」


「わかっています」

 葉月さんがすっくと立ち上がった。

 さっきの札が薬になったのか、だいぶ元気になったようだ。


 葉月さんは俺を見て小さく頭を下げた。


「私は間違っておりました」

「え……?」


 葉月さんも市川さんと同じように窓の外をチラリと見る。


「母の言うことが正しかったのです。敵は強く、その数は多い。私はその意味をちゃんと考えていなかった……」


 そして葉月さんは初めて会った日のように三つ指を突いて丁寧に頭を下げた。


「少々出かけて参ります」

「いや、ちょっと待って」


 葉月さんは俺に駆け寄り、あの道満札を手に持たせた。

 そしてぎゅっと俺の手を握った後、いつものように柔らかい笑みを浮かべた。


「では市川、留守を頼みます」


 そう言うと教室のドアを開けて外に出て行ってしまった。


「ちょっと、葉月さん!」


 いきなりどうしたのと聞こうと思ってもドアがもう開かない。

 一人で何処へ行こうというのか。


「あれがあの人の責任の取り方なんだろ」


 市川さんが話しかけてくる。


「お前の手にあるのは道満の札だよな」

「はい……」


 市川さんは俺の顔を見ず、独り言のように言葉を吐き出す。

 

「あれがないと裸同然だ。それをお前に渡したってことは、死ぬ気なんだろうな」


「な……」

 俺は絶句した。

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