第3話 ふつつか者と言われても
そして舞台は再び今に戻る。
余命一年ということになってしまった俺と自分の娘を結婚させ、夫が死んだらその養分とさせ、娘の陰陽師としての能力をレベルアップさせるという、人権問題に引っかかりまくりのプランを芦屋昭恵は作り上げていた。
「まあムコ殿、生きた人間を取って食うなんてことはしません。あくまであなたが死んだ後の話ですから。あなたにはどうでもいいことでござんしょ? だってもう死んでるんだから。ガンで」
「はあ……」
「それにグリーナウェイの映画みたいに焼いて食うなんておぞましいことしませんわよ。何せこっちは陰陽師ですから。ふわっとさらっと頂きます」
「抽象的……」
けど、言いたいことはわかる。
わかる。
わかるけど、たぶん、俺、死なないと思うんだよね……。
人間明日の命すらどうなるかわからないけど、多分今のままなら一年後も元気に生きてる可能性が高い。
本当は風邪もひいていない健康体だから。
ってか、嘘ってばれたらどうなる?
それこそ七菜じゃないけど、話が違うって殺されちゃうんじゃないのか。
七菜はともかく、目の前の芦屋母は本当にやりそうな空気がある。
「さあ、宴もたけなわということで」
またしても強引に話を進める芦屋母。
「待って下さい、俺はこんなの認めません」
いくら親が同意したところで、当事者が拒否れば問題ない。俺はてこでも動かないつもりだったが、芦屋母はニンマリと、例の契約書をちらつかせる。
「こっ、これはっ!」
最後のページに俺の名前と指印がある!
さっきはなかったのに、一体いつの間に……。
「まさかあの猫カレンダー……」
俺がページをめくるときに付着した指紋を利用したのか!
芦屋母はその通りでございますわよと言いたげな得意顔で、契約書を天に掲げる。その姿はまるで一芸を披露したマジシャンのようだった。
その一方で娘の葉月さんは沈んだ顔でうつむいている。
……もしかして葉月さんはこの契約に乗り気ではない?
そりゃそうだ。
自分の将来をこんな紙切れ一枚に左右されて良いはずがない。
こういうときマンガやアニメだと、望まない結婚相手がまさかの超イケメンで結果オーライになるところかもしれないが、相手がこの俺じゃ気が沈むというもんだ。
ならば、なおさらこの暴挙を止めなければいけない。
「詐欺だ! こんなの認められない!」
俺には切り札がある。
なにしろ俺は元気だからだ。
余命一年なんて嘘ですと白状してしまえば、はい解散、お疲れ~で終わる。
「芦屋さん、聞いて下さい。俺は……、ぐっ!」
口が開かない。
それ以上喋ることが出来ない。
唇の上と下がミシンで縫い合わされたかのようになる。
「ムコ殿。我々の存在、この婚儀の真実、そして道満の儀式については一族の秘とすべきこと」
芦屋母の目が光る。
「ですので、それらしきことを口に出そうとしたとき、こちらの方で声が出ないよう
「同意なんかしてない……」
「でもサインしたじゃないの、ほれほれ」
平然と言ってのける芦屋母に俺はとうとう言ってしまった。
「このクソばばあ……」
「大ちゃん、失礼よ」
母が珍しく強い口調で俺をにらんだ。
「ごめんなさい、あーちゃん」
「気にしないで、あーちゃん」
芦屋昭恵に保本愛だから二人ともあーちゃんで呼び合うっておかしいだろ。
「さ、葉月、あなたの力を見せるときが来たわよ」
「はい、お母様」
葉月さんがゆっくりと立ち上がった。
ただ椅子から身を起こしただけなのに、その
葉月さんは芦屋母からスマホを受け取ると、
「
とリズムよく呟きながら、スマホをタッチしていく。
九字という呪文だそうだが、
「スマホを使うんだ……」
指で印を作りながら、かっこよく叫ぶものだとばかり。
「ムコ殿、時代の流れには陰陽師も逆らえないのです。悲しきかな」
「そんなこと俺に言われても」
どんと音がした。
「あら、景色が変わった」
母が言ったとおり、窓から見える景色がまるで別物になっている。
隣の家の
それに山梨特有のぬめっとした空気も変わった。
まるで滝の近くにいるような軽やかで爽快な癒やしを感じる空気に包まれている。
「山梨から兵庫に場所を移しました」
と呟いた葉月さんは一礼してから、自分の母の背後にすっと下がる。
「嘘だろ……」
スマホの地図を表示させると、確かに兵庫県の
「そんなバカな……」
バタッと床に膝をつく俺とは反対に、状況をあっさり受け入れた母は嬉しそうに外を見る。
「もしかしてここがあーちゃんの実家?」
「そうよ、あーちゃん。ここで式を上げるの」
「今なんて?」
「結婚式ですよ。当然でしょ」
一瞬、気を失いそうになったが俺はこらえた。
そして俺はターゲットを変えた。
「いいんですか芦屋さん、本当にこれで!」
「いいじゃございませんか。参加者が少なくたって」
「あなたじゃなくて葉月さんに言ってる!」
名指しされてびくっとする葉月さん。
「こんなのおかしいでしょ! 親の勝手な都合で俺みたいな奴と無理矢理……」
しかし葉月さんは、何も言わずにうつむくだけ。
「こんなのに付き合う必要ありませんよ! だって俺は……」
元気なんです! と言いたいのに口が開かない。
「あーもう、とにかく! さっきからあなたほとんど喋ってないですけど、本心はどうなんですか? 聞かせて下さい!」
顔を上げて俺を見る葉月さん。
一枚の完成された絵画を見ているみたいで、目を合わすだけで足が震える。
葉月さんは黙っている。
芦屋母も俺の母も何も言わないが、その視線は葉月さんに注がれている。
そしてとうとう葉月さんは動いた。
床の上に正座して、三つ指をついて丁寧に頭を下げる。
「旦那様。ふつつかものですが、よろしくお願いいたします」
言っちゃったよ、この人。
「洗脳だ! 怪しい術を使ったんだろ! 大事な娘さんになんて事するんだ!」
俺は悪あがきを続ける。
「はいはいムコ殿。観念なさい」
芦屋母は見かけ通りの怪力で俺を担ぐ。
「嫌だ! こんなのおかしいぞ!」
足をばたつかせて抵抗しても凄い力で抱えられて逃れられない。
「さあ、式場へ向かいましょう」
芦屋母は「瀬戸の花嫁」という懐かしの名曲を口ずさみながら、俺を抱えて家を出て行った。
そして本当に俺は式を上げてしまった。厳かで大きな神社の中で……。
保本大吾、十七歳。結婚しました。
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