第2話 死神って言われても

 芦屋親子が保本家の玄関をノックする前の話。


 俺は何もかもが嫌になっていた。


 ベッドに潜り込んで我が身を呪う。

 なにしろ俺はろくな人生を歩んでいない。


 誰が見ても丸っこい体をしてるから、小学生の時は人間サンドバックと化してあちこちたらい回しにされた。

 あからさまに俺の体が傷だらけになるので保本大吾はいじめられていると大人達も気付いたし、担任がとても親切だったおかげで、いじめはすぐに収まった。


 ただまずいことが起きた。


 唯一俺をからかわなかった友達が小学校卒業直前に事故で亡くなった。

 俺は現場にいたわけではなかったが、中学に入学した後、死神と呼ばれるようになっていた。

 小学校時代に俺をいじめていた奴らが、大人達に説教されたことに恨みを抱いていて、保本大吾に関わると死ぬという噂を振りまいていたのだ。


 俺と全く関わりの無い連中が、自転車で転んだのは俺のせい。部活動で怪我したのも俺のせい。病気で入院したのも俺のせい。そんなことを言い始めた。


 見るな、話すな、近寄るな。

 言葉と態度で皆が俺を疎外する。


 よくもまあ、三年間、学校に通えたもんだと自分でも思う。

 

 親に迷惑をかけたくないという思いもあったが、二年生になったあたりから誰にも相手にされなくなり、変なことしなければ透明人間でいられたというのもあった。


 志望校に合格したあと、俺はこの環境を変えようと思った。

 俺のことを知らない他校の生徒と交流を持てば、人並みの高校生活を過ごせるのではないかと期待したのだ。


 しかし現実は甘くなかった。

 仲良くなれそうだなあと感じた連中も、やがて俺を避けるようになる。

 世間話程度のことはしてくれるが、それ以上関わろうとしない。

 きっと俺の中学生時代の話を聞いて、こいつとは関わらない方が無難だと判断したのだろう。

 俺と仲良くなれば、村八分の巻き添えを食らう。

 それが怖い。無理もない話だ。


 ただ一番きつかったのは、本当に俺を死神だと思っている奴らがいたことだ。


 笹川香織ささかわかおりという子がいる。

 サッカーに全てを捧げている超ストイックな子で、若い世代の日本代表に選ばれるくらいの才能の塊。

 おまけにとてもルックスが良く、少しずつ世間に気付かれ始めている。

 

 誰もが彼女に目を奪われると思う。

 長い手足、走るたびに揺れるポニーテール、そして勝ち気な表情。


 俺も一目で彼女のファンになった。


 なんで笹川さんのような天才が、何の特徴も無い「キングオブ普通」の高城たかしろ高校にやって来たのかいまだに謎だが、それ以上にこの俺が笹川さんとわりと長く話せる間柄になったのだから、世の中は本当に不思議だ。


 しかも向こうから声をかけてきた。

 まあ、そこの水を取ってくれない、と命令されただけなんだけど。


 俺はサッカーが好きだったので、笹川さんが目指すプロ選手が誰かその動きでわかっていたから、思い切って聞いてみた。

 それがピタリと当たったらしく、珍しく笹川さんが笑ったときは嬉しかった。


 その後、笹川さんから海外サッカーの情報について意見を求められるようになり、やがて好きなチームの試合をあーだこーだ言い合うまでになった。


 笹川さんは本当にストイックな人なので、友達付き合いを避けている節がある。

 特に笹川さんをいやらしい目で見る男子達には嫌悪感を隠そうともしない。

 一匹狼タイプだったからこそ俺の死神話を知らなかったのだろう。


 笹川さんと話し込めば、今の彼女にとって恋愛など邪魔だということがわかる。

 俺もすぐに脈はないなと察した。

 彼女にとって俺は「自分を高めるためのデータベース」でしかない。

 それでも俺は楽しかった。

 中学三年間、学校でほとんど口を開かなかった俺にとって、話し相手が出来たということがどれだけ救いになったか。


 しかしそんな日も長くは続かない。


 海外サッカーのとんでもないアクロバティックなゴールの動画を見せようとグラウンドでランニングしている笹川さんに声をかけたときだった。


「もう近づかないでくれない?」


 いつもと変わらぬ口調で笹川さんは俺をどん底にたたき落とした。


「怪我するわけにいかないから。お願いだからもう話しかけないで」


 そう言い捨てて笹川さんは離れていく。

 俺はその背中を目で追って、


「ごめん……」


 と呟いた。


 その日、俺の中で何かがぷつりと切れた。

 もう全てがどうでも良くなった。


 その翌日、俺は登校時間になってもベッドから起き上がることが出来なかった。


 さすがに心配になったのか、妹の七菜ななが部屋に入ってきた。


「お兄ちゃん。学校は?」


 布団を盾にして顔を隠す俺。


「もう行かん。やめる」

 

 はあ、と溜息が聞こえる。


「また何か言われたの?」

 

 死神という情けないあだ名を母には隠し通しているが、妹にはばれている。

 なにしろ七菜も「死神の妹」と中学校でからかわれたからだ。

 しかし七菜はその負けん気と親友達との絆でそのいじめを粉砕していた。


「お兄ちゃん。もう警察かどっかに相談しないと駄目なんじゃないの?」

「べつにそういうんじゃないから……」

「じゃあ、何よ、何なのよ」


 言えない。好きだった人に絶交されたからだなんて。

 

「お前は頑張ってくれ。俺はもういちぬけるから」

「なんなのよそれ……」


 俺は布団をはいで顔を出し、母に良く似て愛らしい顔になった七菜に訴える。


「学校ってのは勉強するところだろ。なのにいろんなもんが邪魔して勉強できないんじゃ、家で本読んでた方がよっぽどいいと思わないか?」


 七菜は駄目だこりゃと俺に背を向け、部屋を出て行った。

 入れ替わるように母が入ってくる。


「大ちゃん。学校辞めるの?」


「ああ、やめる。もう行かない」


 うつ伏せになることで話しかけるなモードを実行させるが、そんなことが通用する人ではない。


「じゃあ学校になんて言おうか」


「適当に病気になったとか言っといて。俺寝るから」


 吐き捨てたこの一言が良くなかった。


「うん、わかった」

 呟いた母はスマホを取り出した。


「もしもし、保本大吾の母でございます。お世話になっております」


 息子のいる前で学校に連絡するので、俺も気になって布団の隙間からうっすら母を見つめる。


「突然で申し訳ないのですが、今日を限りに退学させて頂きたいのです。理由ですか? ガンです。もうどうにもならないくらい全身がバキバキにガンです」


「ちょ、ちょっと!」


 文字通り布団から転がり落ちた俺は母の手からスマホを奪い取ろうとするが、意外に運動神経がいいので、するすると俺を避ける。

 そして避けながらも器用に学校と会話を続ける。


「医師の先生によりますとあと一年くらい生きれば良いかなってくらいで、だったら勉強なんかより家族と一緒にいた方がいいんではないか。いえいえ、もう何もしないで結構です。すべてこちらがやりますのでお構いなく、では~」


 笑顔で電話を切り、笑顔で俺を見る。


「やったわ大ちゃん。辞めて良いって!」


「いや理由が! 理由が後を引く!」


 一年経って死ななかったら嘘だとばれるじゃないか。

 その後で俺はどう生きていけば良いのよ。


 その後、俺の担任はバカ正直に保本大吾が退学するとクラスに告げ、その理由も説明し、その中身は瞬く間に学校中に広がったようだ。

 

 その日の午後くらいから翌日の朝にかけて、一体どういう経路で俺のメルアドと電話番号を知ったのか、スマホに大量のメールとメッセージが届き続けた。


 大丈夫か?

 本当にガンなの?

 

 今まで悪かった。

 という内容から、


 友達にしろと言われて無視しただけで本心じゃなかった。


 嘘までついて学校サボるかこのくそ野郎。

 とうとう死神が死ぬか。

 今まで散々人を苦しめた罰だ。


 という内容まであった。

 

 俺は通知音を鳴らし続けるスマホを他人事のように見つめながら、ふとこんなことを思った。


「インスタ更新した後のジャスティン・ビーバーってこういう感じなのかなあ」


「そんな呑気なこと言ってる場合じゃないでしょ!」

 

 七菜が烈火の如く怒っていた。


「こんなバカなことして、この後どうするのよっ!」


 昨日散々パニクったせいで俺はもうどうでも良くなっていた。


「どうするっていわれても、死なずにゾンビになりましたってくらいしか思いつかないんだよねえ」

 

 さらに全ての元凶の母ですら、


「先のことなんか気にしないで、今を楽しむのよ」


 このていたらくである。


「さあ大ちゃん、桃鉄をしましょう。百年プレイよ」

「やりますか。他にやることないし」


 母と子でテレビの下にあったゲーム機を取り出す。


「ふざけないでよ! もういや、こんなバカ家!」


 スカートの中が見えるくらい暴れ回る妹。


「お兄ちゃん、こうなったら一年後にちゃんと死んでよ!」


「そんな無理言われても……」


「じゃあ私が殺す! 一年後に私が息の根を止めるから!」


 七菜はそう叫んで家を出て、学校へと走って行った。


「どうしたのかしら、あんなに怒って……」

「そりゃ怒るって……」


 最初の目的地は仙台ですと、ゲームのキャラが叫んだときだった。


「あ、そういえば大ちゃん。今日お客さんが来るから」


「え、誰?」


「学生時代の友人でね、星野さん、あ、結婚したから芦屋さんだ」


「久しぶりの再開って奴?」


 母は何か良いことを思い出したのか、柔らかい笑みを浮かべた。


「そうね、ほんっとに久しぶり。お互い子供が出来るなんて思いもしなかった。今日はね、芦屋さんの娘さんも来るの」


「そりゃまたなぜ?」


「大ちゃんと結婚するから」


「え?」


 俺はコントローラーをパタッと落とした。

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