第4話 ごめんなさいと言われても
あれから時間が流れ、今は夕方である。
式を終えた俺は疲れ果て、家のソファーで倒れ込んでいた。
葉月さんは俺の横で団扇を仰いで風を送ってくれる。
そして恐怖のあーちゃんコンビは二人で桃鉄をしている。
妹の七菜が学校から帰ってきたのは、芦屋母がゲームの世界で百億円の借金を抱えて青ざめていたときだった。
「なんなのこれ」
見知らぬ親子の存在に戸惑いを隠さない七菜だったが、客に対して無作法な物言いだと気付いたのか、
「妹の七菜です。いらっしゃいませ……」
とりあえず挨拶する。
葉月さんは七菜を見るやすぐに立ち上がり、百二十点満点のお辞儀をする。
「七菜さま、これからよろしくお願いいたします」
「へ? 何が?」
「ああ、七菜。俺、この人と結婚したから」
「はあ?」
「お前が学校に行ってる間に兵庫県で式をあげてきたから」
「はああああ?」
信じられないかもしれないが、本当にしてきた。
「ああ、葉月さんの白無垢姿、綺麗だったなあ……」
あまりの疲労で頭がおかしくなっていた俺は、本人を前にしても恥じらいなく白状してしまう。
「七菜ちゃん、こっちへいらっしゃい」
芦屋母が怪しい笑みを浮かべて妹を手招きする。
差し出された悪魔の契約書を読んだ七菜が見せた反応は、
「は、ははははは!」
俺を指さしてゲラゲラ笑う。
人は混乱のピークに達するとおかしくなるらしい。しかし父に似てまともな妹はすぐさま正常に戻った。
「人の兄貴をなんだと思ってるのよっ!」
契約書を床に投げつける。
しかし悪魔はそれすら予測していたらしい。
「七菜ちゃん、遅いお年玉よ」
厚さが妙に生々しい封筒を七菜に無理矢理持たせる。
「お金なんていりません。失礼です」
「お金じゃないわ。中身を見なさい」
「こ、これはっっ!」
保本七菜がその生涯をかけて応援している国民的アイドルグループのドーム公演チケットだった。しかも最前列。
転売屋ですら手が出せない、抽選でしか手に入れることが出来ない超プラチナチケットであり、彼らの人気の高さゆえか、宝くじで一億当てるより難しいとされていた。
七菜は何度も何度も深呼吸した。
「……お兄ちゃん、結婚おめでとう」
封筒をカバンにすっと入れる。
「お前も墜ちたかっ!」
俺は頭を抱える。もう味方はいない。
「さて、私はこれで失礼しますね」
芦屋母が立ち上がった。
「あら、あーちゃん、まだゲームは終わってないのに」
「そうだけど、これ以上借金増えたら現実思い出してしんどくなるわ……」
初めてこの人がどんよりするのを見た。
借金の現実ってどういうことか気になるが、あまり突っ込めない。
「そっか。じゃあまた電話してね」
「戻ったらすぐするわ」
二人のあーちゃんは名残惜しそうに抱き合った。
「葉月、わかってると思うけど」
俺の母に見せた顔とは真逆の険しさで娘を見る。
「はい、誠心誠意、旦那様をお守りします」
「よろしい」
そして芦屋母は去って行った。
芦屋母を乗せた運転手つきの高級外車が見えなくなるまで葉月さんは頭を下げ続けていたが、やがて意を決したように俺たちを見つめた。
「皆様、少しお時間よろしいですか?」
俺と妹と母を連れて家に戻り、階段を上っていく。
ずっとこの家に住み続ける俺たちを、今日来たばかりの娘さんが先導して歩くというのはおかしな話だが……。
「何これ」
七菜が首をかしげるも無理はない。
ずっと壁だった場所がドアになってる。
この不思議な現象に、俺たちは自然と葉月さんを見つめた。
「申し訳ございません。勝手に私の部屋と繋いでしまいました」
そう言って葉月さんはドアを開ける。
そこはまたしても兵庫県、
「嘘でしょ……」
葉月さんの力を間近で見てビビる七菜。
その横で俺は葉月さんの部屋の殺風景さにビビっていた。
小学生が使うような学習机にモバイルノートが一台。
そしてきれいに折りたたまれた布団。
これだけ!
これが十七歳の女の子の部屋?
「大ちゃん、こういうのなんて言うんだっけ、スッキリスト?」
「ミニマリストだよ」
必要最低限の持ち物で生活する人のスタイルだが、これは少なすぎやしないか。
「私はずっとここで暮らしてきました。神社の敷地から出ることが許されず、今日まで外の世界を見たこともありませんでした。それが決まりだったのです」
「ずっとって……」
「あり得ない」
俺は恐怖を感じ、おそらく七菜は怒っていただろう。
この場所は「部屋」じゃない。ちょっと大きな「独居房」だったのだ。
そして兄妹の言葉を聞いた葉月さんは思いも寄らぬ行動に出た。
ジャンピング土下座である。
「本当にごめんなさい!」
あまりに突然のことに俺たちは声も出せずに立ち尽くす。
「失礼で勝手なことばかり! 理不尽なことをこちらの都合で押しつけて、なんといってお詫びすれば良いか……」
「あ、いや……」
彼女が謝ることではないと思うが……。
「一族の掟に取り憑かれた母を誰も制御することが出来ず……、あまりに無礼な行いの数々、どうかお許し下さいませ」
額を床につけて詫びる葉月さん。
「気にしないで。顔を上げて下さい」
俺は身を低くして声をかける。
心の底から安堵していた。
葉月さんがまともな人だとわかったからだ。
それで良い。わけのわからない決まりに葉月さんが振り回される必要などない。
彼女は彼女の人生を歩めば良いのだ。
「ですが旦那様。これだけは信じて下さい。私は私の意思でここにいるのです」
「は?」
葉月さんは潤んだ瞳で俺を見つめる。
「一族の歴史、決め事、そんな物に関わりなく、一人の夫として、保本大吾さまをお慕いしております。ずっとおそばにおいて頂きたいのです」
お慕いしている。
好きってことだよな……。
なぜ?
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