略奪愛!? 会ったことのない子に離婚しろと迫られた。

第32話 妻以外の女に迫られる夫のいる風景

 はらわた納豆のプレゼンのあと、俺はお義母さんから念願の仕事を貰った。

 保本家周辺の治安維持というものだ。


 午前と午後に家を出て、渡された地図に書かれたルートを歩いて何か異常がないか探る。それだけの仕事。

 大体三十分で終わる。


 これって散歩だよな……。と初日で気付いた。


 アグレッシブな仕事をくれと頼んだのは俺だが、これなら市川さんと一緒にはらわた納豆再生プロジェクトに関わっていた方がまだ良かった。


 不満げな俺に気付いた葉月さんは優しく諭す。


「なりたての陰陽師は町を歩くだけでも全てが糧になるものです」


 そして葉月さんは富士山を見上げて言うのだ。


「ここは霊峰のお膝元です。色々なものがあの山に宿り、色々なものがあの山に集まってきます。ここは母に騙されたと思って歩いてみてはいかがでしょう。すぐに何か起きますから」


 というわけで、俺は今日も近所をぶらついている。

 だが指定された道を歩くことで、今まで避けていたある場所をどうしても通る必要に迫られた。


 住宅街の真ん中にある東原ひがしはら公園。

 いつも親子連れで賑わうエネルギーに満ちた場所なのだが、俺はずっとこの公園を避けてきた。


 理由は一つ。この公園で起こった事故で、親友が死んだからだ。


 草壁健一くさかべけんいち

 クラスで一番面白く。クラスで一番優しかった男。


 草壁が亡くなったあと、俺はいろんな奴らから、人に悪影響を与える死神だと悪口を言われるようになった。

 今でもあいつが生きてたら、俺の人生どうなってたかと思うときがある。

 ショックを受けたのは俺だけじゃない。

 太陽みたいだったあいつが死んだことで、あいつを好きだったみんなの何かが壊れたのは間違いない。


 滑り台やブランコではしゃぐ子供たちを見て俺は複雑な気持ちになる。

 ここで悲惨な事故があったことを覚えている人間はもういないんだろう。


 あの日、子供が遠くに蹴ったボールを拾いに行こうと草壁が公園の外に出た瞬間、トラックとぶつかった。

 その事故をきっかけに、この公園に自動車は近づけなくなった。


 ここで楽しそうに笑う子供よ、泣き叫ぶ子供よ。

 君たちが夢中になって喜怒哀楽を爆発させることができるのは、草壁健一のおかげなんだぞ、俺はそう言いたかった。


 そんな気分で突っ立っていると、後方から人の気配を感じた。

 

 買い物に行っていた葉月さんだと思ったけど、まるで違う人が後ろにいた。


 凄い美人で驚いた。

 足が長い。

 顔の下からもう足なんじゃないかってくらい長さが人間離れしている。

 スタイルが良いのは足だけじゃない。体のパーツ全てが完璧なのだ。

 体のラインがはっきりする服を着ているので特に胸の主張が強い。

 目のやり場に困るとはこのことだろう。

 勝ち気な瞳も、自信ありげな唇も、全てが凜々しい。

 きっと彼女はモデルかアイドルで、ここでグラビアの撮影をするのだろうと本気で思ったくらいだ。


 しかし女性は予想外の行動をした。

 公園の入り口で手を合わせて祈りはじめたのだ。

 草壁健一を知っている、ということになる。

 

 祈りを終えると、彼女は俺に話しかける。


「あれから何年経ったのかしら」

「八年です」


 彼女は草壁のクラスメイトだろうか。

 それとも親戚か。


 女性はため息をついて、短い髪をくしゃくしゃにした。


「まるで昨日のことみたい」


 確かにそう思う。

 忘れるどころか、草壁の存在は日増しに大きくなっている。

 あいつが生きていたら今頃何をしているだろうかって。


「三人でよく遊んだわね。私とあなたと健一くんで」

「は?」


 そりゃ人違いだろう。

 こんな可愛い子と遊んだ記憶なんてありゃしない。

 そもそも草壁も俺も小学生だったから、女の子と遊ぶなんて事にならないと思うんだよな。

 なのに女性は言うのだ。菩薩のような温かい眼差しで俺を見ながら。


「忘れて当然よ。私達の記憶は芦屋と村岡のせいでこの町から消されたから」

「ちょ、ちょっと……?」


 芦屋、村岡。記憶。消す。

 意味深なキーワードの連発。

 いきなり陰陽師案件が発生したぞ。

 本当に葉月さんが言っていたとおりになった。


「心配しないで。私が全て元通りにする」

「あの、なに言ってるんだか、全然……」


 戸惑うばかりの俺に女性は手を伸ばしてくる。

 そのすべすべした手を俺の頬に当てる。

 その勢いで唇を近づけてくるので、俺は慌てて離れた。


「いきなりなに?!」


 なんて失礼なことをするんだと俺は怒った。

 こんな姿を葉月さんに見られたらどうなるのだ。


 しかし女性は悪びれない。


「キスぐらい、アメリカじゃ珍しくないわ」

「いや、ここは日本だから」

 

 それにアメリカのキスとは意味が違う。がちな感じがした。

 顔を真っ赤にする俺に女性は満足そうに頷く。


「変わらないのね。思ってたとおりの再開なんて奇跡みたいよ、大吾くん」

「……」


 俺の名前を知っている。

 一体この子は何なの。

 何で俺を知ってるの。

 なら、何で俺は知らないの?

 何一つ思い出せない。


 その時、ガシャッという音がした。


 葉月さんが買い物袋を落としてしまい、卵が割れたようだ。


「あなた……、尾崎の……!」


 なんとまあ、葉月さんは彼女を知っているらしい。


「久しぶりね。お姫様」


 その言葉には悪意といやみと嫌悪がギチギチに詰まっていた。


「大吾さんに何をしたのです!」


 おふだを出そうと服の袖に手を突っ込む葉月さん。しかし俺は全力で首を振って、それはダメだとメッセージを送る。

 こんな所で術を使ったら大変なことになる。

 

「あんたこそ、彼に何をしたの?」

 

 尾崎という名の美女は葉月さんを睨みつける。


「どんな術を使ったか知らないけど、関わりのない人間を巻き込んで、挙げ句の果てに儀式で利用するなんて人間のすることじゃない……!」


 その言葉にひるんだのは葉月さんだけじゃない。俺もビビった。

 

 俺と葉月さんでふざけた儀式をぶっ壊すという決意は、他人から見てわかるはずはない。

 あくまで俺は葉月さんの養分。それが現在地なのだ。


 何も知らない尾崎は俺の手をぎゅっと握った。


「彼は私の恩人よ。絶対に助け出す」


 そして信じられないことに、尾崎はその場で姿を消してしまった。


「今日はご挨拶だけにしとく。あなたの母親に伝えておいて。尾崎家は今日から活動を再開するってね」

 

 声だけが俺と葉月さんの耳を撫でる。

 嵐の幕開けだった。

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