第31話 働きたいと訴える
企画書を作ってみたから見て欲しいとお義母さんに電話したら、富士神総合病院まで来いと言われた。
この町で一番大きな病院だ。
四階と五階の間にある、病院で働いている人達すら知らない空間。
そこに陰陽師の山梨基地がある。
病院にアジトを寄生させると陰陽師的には何かと便利なんだそうだ。
俺と葉月さんは市川さんの車で病院に向かった。
おそらく村岡さんがいるということで、彼を毛嫌いする市川さんは病院には入らず、二人で進んでいく。
呼び出された会議室には、お義母さんに村岡さん、さらに見たことのない人達が五人いた。三人が男性、二人が女性。いずれも四十代前半に見える。
全員、ビジネススーツをビシッと着込んでいたが、葉月さんを見るや全員が立ち上がって深々頭を下げる。
「ご苦労様です……」
葉月さんが居心地悪そうに呟くと、五人とも、おおっと驚いた顔をした。
人が大勢いるとは知らず、緊張メーターが一気に上昇する。
仕上げた資料をお義母さんに読んでもらう程度にしか考えていなかったのだが、ここまで知らない人がいると、まるで企業の企画会議みたいだ。
しかし村岡さんが気を利かせてくれたのか、皆の前でプレゼンなんかするより、作ってきた資料をコピーして読めば良いだけだろということになったので、正直ホッとした。
表紙を見るなりお義母さんは重い溜息を吐き、他の人達は笑いをこらえるのに必死な感じだった。
特に村岡さんは笑うことを隠そうともしないので、お義母さんは苛ついたらしい。
「何がそんなにおかしいのよ」
ごめんごめんと苦笑しながら村岡さんは言う。
「こんな当たり前のことをなんで思いつかなかったんだって」
そして村岡さんは俺を見て頷いた。
「良いと思うよ。君の言いたいことがよくわかる」
ガチガチに緊張していたので認められて本当に嬉しかったが、有頂天の俺に水をかぶせるかのようにお義母さんの声は厳しい。
「ムコ殿。商いは希望的観測で動いていいもんじゃないのよ」
経験者は語るというやつか。
「企画通りに普通に売り出したとしても、それがちゃんと売れるかどうかわからない。まして納豆業界は売れる製品がある程度決まっているから、新参者が入っていっても誰の目にも入らない可能性がある」
突き放すように俺の甘さを指摘するお義母さん。
五人の内の一人が、だったらなおさら「はらわた納豆」なんて無理だろと呟いたので、お義母さんは殺すぞとばかりに睨んでその人を黙らせた。
だが俺も下がるわけにはいかない。うわずった声でお義母さんに口答えする。
「確かに最初は売れないかもしれませんけど、良いものなんだから絶対に気付いてくれる人がいます。大事なのは何もしないで倉庫に抱えておくより、誰かの手に渡ってまた買ってくれることを信じて作り続けることだと思うんです」
「むむ」
腕を組んで考え込むお義母さんに村岡さんが優しく声をかける。
「昭恵さん、設備投資に資金がいるなら、村岡の家から出しても良いよ」
「なっ!」
お義母さんだけじゃなく五人の大人達も目を丸くする。
「あんた、私らが最初にこの企画出したとき、ノーマネーでフィニッシュだったじゃないの……!」
「だってあんなの売れると思わないじゃん」
すぱっと正論をかます村岡さん。
「だけどこの非常事態に、僕たちを引っ張ってもらわなきゃいけない芦屋家をこのままにしておくわけにもいかない。そうだろ?」
村岡さんの呼びかけに五人の大人達もハッとしたように頷き、村岡さんがお金を出すなら私も出しますよと、口々に言い始めた。
「まったく……」
頭を抱えながらお義母さんは俺を見た。
「当たり前のことをまっすぐな目で堂々と言うの、あーちゃんにそっくりだわ」
「はぁ……」
急に親のことを持ち出されても戸惑うだけだ。
俺の母とお義母さんは学生時代からの親友らしい。
知り合うきっかけを作ったのはおそらく俺の母からだろうな。
母さんは本当に人見知りしない。
その一方で、もう一人の義理の母はどこか近寄りがたい雰囲気を発するときがある。俺が知らないだけでいろんなものを抱えているはずだ。
「いいわ。この企画、もう一回動かしてみる」
ニコリと笑ってお義母さんは企画書をバッグに投げ入れた。
「最初にしちゃ上々じゃないムコ殿、あとのことは私が引き継ぐから、引き続き良いアイデアを……」
「それなんですけど、もう少しアグレッシブな仕事できませんか」
俺はこの機を逃してはならんと一気に畳みかける。
「ただ家で死を待つだけってのは性に合わないんです。俺にできることがあればなんでもします。草むしり、掃除、パトロール、敵を退治、とか……」
お義母さんはじろっと俺を眺める。
「良い心がけだけどそれはできないわ。これ以上あーちゃんに……」
しかし村岡さんが口を挟んだ。
「彼の力は必要だよ。働きたいって言ってるんなら働いてもらおうよ」
「ちょっとあなた……」
村岡さんはまあ落ち着いてとお義母さんをなだめる。
「三枝じいの検査結果によると、彼の体はお嬢さんのおかげでだいぶマシになってるみたいじゃない。動けるなら動いて欲しい。今は猫の手も借りたいって状況だろ。まして彼は猫じゃなくて、立派な陰陽師になってくれた」
その時、ずっと黙っていた葉月さんが口を開いた。
「私がしていることはあくまで延命処置です。夫の体が常に危険にさらされていることだけは忘れないように」
「もちろん無理させるつもりはないですよ」
村岡さんは慌てたように手を振る。
「やっぱり僕たちは内にこもりすぎてる。外からの意見を取り入れないと小さくなるばかりでいずれは消える。彼はそう伝えたかったんじゃないかな……」
あ、いや、そんな深いテーマを持ってきたつもりじゃないんだけど……。
まあ、いいか。
とにかく一つわかったことがある。
この場の主導権を握っているのはやはり村岡さんだ。
本来ならお義母さんがみなを指揮する立場なのかもしれないけれど、商売のしくじりで立場が悪くなっているのかもしれない。
なにより村岡さんは工場の再稼働のために必要な資金をぽんと投資できるほどの資金力を持っている。
お義母さんには悪いけど、成り上がっていくために誰の背に乗れば良いか判断するとしたら、もちろん村岡さんだ。
彼とはもう少し距離を縮めておく必要があるかもしれない……。
俺がそんな野心を胸に秘めていたとき、村岡さんの提案を吟味していたお義母さんがとうとう答えを出した。
「葉月、あなたの謹慎を解きます」
「はい」
忘れていたけれど、まだ謹慎中だったらしい。
「ムコ殿と一緒に動いてもらう。いずれ指示を出します」
「わかりました」
葉月さんが立ち上がって綺麗にお辞儀したので、俺も慌ててその真似をした。
会議室を出て、病院の一階にある売店で菓子パンを買った。
待合室の後ろの席に座り、クリームパンとあんパンを二つに分けて、二人で分け合う。
「これで一歩前進ですね」
どんな敵が出てこようが、死神札と葉月さんの力で立ち向かえる。
敵を倒しまくって自分の価値を上げろという市川さんの作戦が始まるのだ。
俺は満足していたけど、葉月さんはぱっとしない顔でクリームパンをちょびちょび口に入れていく。
「どうかしました?」
心配になって尋ねてみると、葉月さんは俺の肩に顔を埋めてきた。
「予定通りと言えばそうなのですが、それが寂しいんです」
葉月さんは包み隠さず自分の心情を話してくれた。
「私にはわかります。これからとても忙しくなる。そうなればみんな大吾さんを放っておかなくなる。そしたら二人でいる時間が減ってしまう。嫌なんです。ずっと謹慎していたいと思えるくらいに」
葉月さんの美しさは何処にいても際立つ。
とても綺麗な人が、人目も気にせず男に甘える光景は、病院の中では特異であり、そのせいで周囲の視線を逆に集めてしまう。
俺は若干恥ずかしく、若干嬉しく、それ以上に弱音を吐く葉月さんが心配だった。
「陰陽師、芦屋の家、儀式、そんなもの全部放り出して、二人でどこかに逃げ出したくなるときがあります。私は悪い妻です……」
胸が痛んだ。
葉月さんがそんな風に思っていることに気付いていれば、兵庫に行ったときに姫路城くらいは見に行くべきだったかもしれない。
「悪い妻なんかじゃないです。自慢です」
それ以上何も言えず、葉月さんの手に自分の手をのせる。
葉月さんが言うことはいつだって正しい。
これから本当に忙しくなる。その予感は俺にもあった。
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2021.3.14付け 作者より。
毎日更新を続けていましたが、仕事の兼ね合いや、クオリティ向上、毎日更新を続けたことで得た反省や課題を別の作品で生かしてみたくなったこと、などの理由から、この回以降は不定期更新とさせていただきます。
新作、および、この作品を同時に更新してもっとたくさんの方に読んでいただけるように精進していくつもりですが、まずは私個人の激務を乗り越えます(笑)
読者の皆様、☆、♥、コメントを下さった方々、付き合って頂いて本当に感謝しております。
作品は続きますし、これからも自分のやりたいこと全開でやっていきますので引き続き読んで頂けたら嬉しいです。
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