いきなり実戦ってそりゃないでしょう

第15話 おもて、と、うら?

 村岡さんの言っていることは正しかった。

 知らないうちに誰かに嫌われているなんてことが、本当にある。


 会ったこともない奴の声を聞いただけで憎まれているとわかった。


「聞こえてるんだろ保本、何か言えよ、なあ?」

 

 その言葉にあるのは挑発、嘲笑、軽蔑、そして嫌悪だ。

 敵意をあらわにされるとこんなに身動きが取れないのかってくらい体が強張る。


「木場君、だよね……」

 やっとの思いで吐き出した言葉。

 運転席の市川さんがぎょっとした顔で俺を見る。

 

 国道のど真ん中で急停止することも出来ないので、


「切れ! とにかく切れ!」

 と迫ってくる。


 それができたらすぐにでも行動に移すが、スマホが耳に貼りついたまま剥がれない。無理に引っ張ったら耳ごとちぎってしまいそうだ。


「俺に会いたいんだろ?」


 木場かもしれない男が囁いてくる。


「来いよ。いつもと違う道を用意してやったから」

 そう言って男は一方的に電話を切った。


「木場か?」

 厳しい口調で問いただしてくる市川さん。


「かもしれないです……」

「まあ、木場で間違いないだろうな」


 市川さんは俺が不用意に電話に出たことは一切責めなかった。


「なんて言ってた?」

「会いに来いって……」

「そうかい……」


 市川さんは観念したかのように目を閉じてしまう。

 運転中だというのに。


 さらにはハンドルから手を離す。

 なんて危ないことをするんだと焦ったが、おかしなことが起きた。

 見慣れた大通りの景色が変わった。


 真っ暗闇の中にいる。

 あまりに暗すぎて車が前に進んでいるのかどうかも判別できない。


「どうなってるんですか、これ……」

 

 左を見ても右を見ても黒一色。

 上も下も同じだ。


「表もあれば裏もあるってことさ」

 市川さんは眠そうな顔で呟いた。


「目に見えるものが全てじゃない」


 そして市川さんはつぶやき始める。

 暗記していた教科書の文章を読むように淡々と。


「俺らのいる世界が右手、木場のいる世界が左手としたら、俺らは木場に引きずられて左手の世界に来ちまったってことになる」


「……本気で言ってるんですよね」

「じゃあ、この状況をどう説明する?」


 出来るはずがない。


「お前が木場の罠に引っかかってくれたおかげで俺は色々わかっちまったぜ」


 ニヤリと笑う市川さんだが、それ以上はなにも言わず、目を閉じてしまう。


 仕方なく俺はこの黒い世界を見続けた。

 上下感覚が無くなって、重力も感じなくなって、次第にこの黒い世界に吸い込まれて消えてしまいそうだ。

 

 俺は思い出していた。

 真夜中にかかってきた笹川さんの電話。絶対に出ないでと諭してくれた葉月さんがいなかったら、もっと前に、しかも一人で、わけのわからない世界に投げ込まれていたかもしれない。


 今はこんな状況下でも普通にあくびが出来てしまう市川さんの余裕が頼もしい。


「流れに身を任せるしかないさ。楽しもうぜ。裏の世界なんてなかなかいけるもんじゃないからな」


 そこまで言い切ってしまう姿がとてもたくましかったが、車がジェットコースターのように猛スピードで降下し始めると、


「うわーっ! 速いよ! 怖いよ!」

 

 いきなり騒ぎ出して全てを台無しにする。


 車が落ちていけば落ちていくほど、黒い世界に色がつき始める。


 紫の空。灰色の雲、遠くで光り続ける稲妻。

 どんどん近づいていく淀んだ町。


 やがて車は見覚えのある施設に接近する。

 俺が通っていた高城高校めがけて車はミサイルのように突進していく。


 四階にある教室。

 かつて俺がみんなと使っていた教室。


 その窓に車は突っ込んだ。

 激しい音ともに壁とガラスを突き破って車は教室に降り立った。


 ドアがタクシーのように勝手に開き、市川さんと俺を外に弾き飛ばす。


「くそっ! 買ったばかりの車なんだぞ!」

 泣きそうな顔で車にダメージがないか探し出す市川さん。

 プレミアム感あふれるSUV車はつい最近発売されたばかりの人気車種だから市川さんが焦るのも無理はない。

 しかし奇跡的に傷一つ無かったようだ。 


 一方、俺は教室を観察する。

 並んでいる机も椅子もロッカーも馴染み深い。

 かつて自分が使っていた机に近づき、手を置いてその感触を確かめる。

 

 ざらざらした木製の机。

 

 授業に身が入らず、穴を掘って消しゴムのかすを入れるなんて小学生みたいなことをいまだにやってしまっていたな。

 

 ようやく俺は思い出した。


「火事で焼けたのに、なんで元に戻ってるんだろう……?」

「そりゃこっちの学校は、裏の学校だからさ。外を見てみろよ」


 確かに見える景色がまるで違う。

 空は紫色だし、立ちならぶ家々は黒みがかって生命力が何も無い。

 あげく離れたところで雷とか竜巻が起きている。

 こんな世界百万円貰っても住みたくない。一億なら考えるけど。


「大吾、大事な話するからよく聞け」


 市川さんは両手を俺に向かって突き出す。


「いいか。表の世界も裏の世界も基本は平行線で進んでいくから、交わることは絶対にない。ただ、ごくまれに触れそうになるくらい距離が縮まるときがある」


 そして市川さんは突き出した両手をパンと合わせた。


「おそらく木場の狙いは表と裏の世界をつなぐ大きな門を作ることだ。奴はこの学校を使おうとしてる。お前とお嬢さんの力を利用してな」


 あまりに突拍子のない推理に戸惑うだけだが市川さんは止まらない。


「門が完成すれば、裏の世界からヤバイ奴らがわらわら出てくる。これをなんて言うか知ってるかな?」


 ブルブルと首を振る俺に市川さんは勝ち誇ったかのように言った。


「百鬼夜行っていうのさ。後でネットで調べとけ。昔と違ってそいつらに対処できる力を持った連中は指折りしかいないから」


 俺はもうわけがわからなくなり、頭を抱えた。


「こんな状況じゃネットも繋がりませんって……」

 当然スマホは圏外である。


「まあ、とりあえずは大丈夫さ」

 市川さんは机の上にあぐらをかいた。


「お嬢さん、謹慎中は何してた?」


 なぜそんなこと聞くのかわからなかったが、


「家事全般を完璧にこなして、寝ないで家中の壁に魔除けの紙を貼って……」

「やっぱりか」

 苦笑する市川さん。


「あの紙は魔除けの効果もあるが、実質はソナーだ」

「……ソナーって、漁師さんが魚の居場所を探るのに使うっていう?」


「それそれ。あれの霊力バージョンな。貼れば貼るほど、お嬢さんは人間霊力探知機として強力になっていく。きっと俺たちが神隠しに遭った瞬間に何が起きたか気づいたはずだ。もうこっちに向かってるだろう」


 葉月さん……。謹慎中は大人しくしているかと思ったのに……。


 とはいえ、こんな頼もしいことがあるだろうか。

 葉月さんが来てくれればここから出られると喜んだが、市川さんは悲しそうに首を振った。


「問題なのはお嬢さんがここに来るまでが奴の計算の内って事なんだよな。そうだろ? 木場ちゃん」


 最後の一言に驚いた俺は慌てて後ろを見た。

 いつの間にか黒板に寄りかかる一人の男。


 木場幸司が俺たちの前に姿を現した。

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