第6話 新婚初夜とか言われても
俺と葉月さんは二人きりで話し合った。
思わぬ事で縁を結ぶことになり、双方、心の準備はできていない。
夫婦という縛りはいったん置いておいて、合宿のようなスタンスの共同生活を送ることにしましょうと、そういった内容だ。
要するに俺は自分の部屋で変わらず生活するし、葉月さんも自分の部屋で過ごして下さいと俺は言った。
だっておかしいだろ。今日会ったばかりの男女がいきなり結婚して同じ部屋に住むとか、不自然だ。
葉月さんも真っ直ぐな目で、
「わかりました」
といったはずなのに……。
「あの葉月さん……」
夜中の十二時になっても彼女は俺の部屋から出ようとしない。
「ずっとここにいるつもりですか……」
ささやかな抗議に葉月さんは両目を閉じたまま答える。
「私のことはお気になさらず、どうかお休みになって下さい」
「気になって眠れませんって……」
不思議な人だ。
本を読むでもなく、スマホをいじるわけでもない。というかそもそも携帯電話を持っていないらしい。
ずっと正座しているだけなのだ。
そのわりに着ている白い寝間着が薄いというか、じっと見ていると透けて見えてきそうな挑発的な服だから目のやり場に困る。
もしかして、誘ってる……?
私は構いませんからいつでもどうぞ的な?
いやいや、駄目だ駄目だ。
この妙になまめかしい空気をぶっ壊さなければ。
目を開じたまま微笑む不気味な妻におそるおそる声をかける。
「あの、何されてるんですか……? 霊と交信しているとか?」
思わぬ質問だったのか葉月さんは目を開いて俺をぽかんと見つめるが、やがて笑顔に戻って話してくれる。
「この家の空気の流れや窓から見える星を観察して体を慣らしております」
「へえ……」
葉月さんの凄い力はもう体験済みだ。
彼女が超能力者だということはもう疑いようがない。
陰陽師としての慣らしの時間が必要なのなら、そうなのだろう。
ただそれを俺の部屋でするというのは信頼の表れなのか、なんなのか……。
「体がなじめば、この町の天気くらいは当てて見せますから」
「そんなことできるんですか?」
「もちろん。陰陽師は元々そちらが本業でしたから」
「そうなんですか」
歴史は好きなジャンルなので興味深い。
「そうだ、旦那様」
葉月さんが起き上がってベッドに乗ってきた。
「少しだけ、力を試させて下さい」
窓に手のひらをピタリと貼り付ける。
カタカタカタ……と窓が小刻みに揺れるとともに、強烈な風が吹いてきた。
屋根を吹き飛ばすんじゃないかってくらいの突風だったのに、葉月さんの手が窓から離れると風はピタリと止まった。
どうですか? と言わんばかりの究極のどや顔を俺に突きつけてくる。
「すごいっすね……」
「はい」
元気いっぱいの笑顔に俺は心を奪われる。
葉月さんとの距離が、今、一番近い。
いつも思うんだけどなんでこんなにいい匂いがするんだろう。
ずっと甘いお菓子の匂いがする。
こんなに綺麗な人が俺の目の前にいて、遮るものはない。
葉月さんも俺から目をそらさず、熱い眼差しをぶつけてくる。
まずい。
俺だって十七の健全な、いや、不健全な若者だから、いつまでも理性を保てるわけがない。
さすがに俺もわかっとる。
ここまで来て何もしないというのは、かえって相手に失礼だってことくらい。
けど、すまん。
俺は逃げた。
近づけば近づくほど、みんな俺から離れていく。今までずっと。
明日になって葉月さんの態度が急変したらどうしよう。
笹川さんのように、目つきが変わって、近づくなって……。
わかってる。問題は俺にある。
俺は心の奥底で葉月さんを疑っている。
「あ、いてててて……!」
胸と腹を押さえてうずくまる。
余命一年という嘘を葉月さんが信じていることを利用して全身で芝居する。
「だ、旦那様!」
どうやら俺のつたない演技は成功したらしく、葉月さんは大いに取り乱した。
「大丈夫ですか? 痛むところは?」
心配しないで。
寝れば大丈夫ですなどと呟いてベッドに横になる。
「葉月さんも寝てください。俺は大丈夫ですから……」
「そんなことできるはずありません!」
葉月さんは俺の背中を優しくさすってくる。
俺が寝るまで絶対にやめないつもりのようだ。
「私はずっと旦那様の側にいますから……」
ううっ。胸が痛い。
ホントは何処も痛くないのに、あんな意味の無いことをして。
申し訳ないったらありゃしない。
なんてアホな嘘をついてしまったんだ。
良心の呵責にさいなまれながらも、体がじんわり温まってきたことに気づく。
絶妙な温度の温泉につかっているような……、これも葉月さんの力なのか。
「ごめんなさい、葉月さん……」
ウトウトが気持ちよくなってきて、気持ちが口からこぼれ出てしまう。
いよいよ睡魔にノックアウト寸前まで追い込まれたとき、俺のスマホが鳴った。
「だ、誰……?」
こんな夜中に失礼な奴とは思いつつ、スマホの画面を見る。
なんとまあ、笹川さんから電話が来ている。
俺が学校を辞める最後のきっかけを作った孤高のアスリート、笹川香織さんだ。
連絡先は交換したけど今まで一度もかけてくるなんてことはなかった。まさか俺に回復不能なくらいの致命傷を与えた後で連絡してくるとは。
よほどのことがあったのかもしれないと、電話に出ようとした俺の手を物凄い力で葉月さんがつかんで止めた。
「その電話は危険です」
言葉以上に刺すような眼差しにビビった。
「えぇ?」
「悪意と敵意と、殺意が……」
その顔は真っ青だが、目は燃えている。
怒っているような厳しい顔を見てひるんだ俺は電話を切った。
葉月さんは安心したように俺から手を離したが、わずかな時間で何十キロも走ったかのような汗と息づかいになってしまった。
「大丈夫ですか……?」
その呼びかけに疲れた笑みを見せる葉月さん。
「ごめんなさい、時々出てしまうんです」
額の汗を手の甲で拭う。
「人の思いみたいなのが一気に流れ込んでくるんです。大体は制御できるんですが、暗い感情は抑えきれないときがあって……、小さな頃からずっとなんです」
そして葉月さんは何度も何度も頷く。
「今のは、私に任せて、気になさらないでください」
「そうなんですか……?」
あのまま電話に出たら何かが起きたのだろうか。
俺ごときにわかるはずがない。
「もうこの電話は見ない方がいいですね」
俺はスマホをほっぽり投げた。
「悪意の塊になってますから」
実は相変わらずスマホには同級生達からのメールが殺到していた。
大体七十パーは「さっさと死ね」という内容だ。あんまり来すぎてもう自分的にはどうでも良くなっているが、これを葉月さんに見せるわけにはいかないだろう。
それにしても葉月さんは凄い、というか大変だ。
「ずっとそうなんですか? 人の思考がわかっちゃうっていうの?」
静かに頷く葉月さんに俺は心から同情した。
「辛いですね……。俺なら耐えられない」
何気ない一言だったのに、葉月さんは嬉しそうに呟いた。
「そんなことを言って下さるのは旦那様だけです」
「いや、みんなそう思いますよ。もしかして、葉月さんをあの神社から出さなかったのは葉月さんを守るためだったんじゃないかな」
「まさか! そんなことあるはずが……!」
強めの否定だったのでびっくりしてしまうが、誰より大声を出した葉月さん自身が一番驚いていた。
「……すみません。こんな時刻に」
「いえ、こちらこそ……」
急に気まずくなって、俺は言葉を探す。
そうだ。こうなったら聞いてみよう。
彼女は陰陽師なのだから、きっと答えてくれるだろう。
「こんな時間にアレなんですが、ちょっと聞いて貰えますか」
俺はベッドの上に正座した。
「夫婦ではなく、男と女でもない。一人の人間が、もの凄い陰陽師に相談しにきたって感じで聞いて欲しいんです」
「は、はい……」
葉月さんは戸惑いながらも俺に向き合う。
俺は咳払いを一つしたあと、ゆっくり言った。
「実は、小さい頃から変なあだ名で呼ばれてまして、気にしちゃいないんですけど、でも、もしかしたら本当にそうなんじゃないかっていう……」
俺は自分の奥さんに死神というあだ名について相談した。
彼女の答え次第でその後の運命が決まるかもしれないのだ。
夜はまだ長い。
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