第24話 富士山、大樹、俺の体

 帰宅した俺を見た母は大喜びし、妹は泣きながら俺に怒った、そして抱きついた。


 二人の姿を見て緊張が解けたのか、俺は玄関で倒れてしまった。

 何のことはない、あまりに疲れて寝てしまったのだ。


 それから三日間眠り続けた。

 何の夢も見なかった。

 もしかしたら今まで生きてきて一番の熟睡だったかもしれない。


 俺が眠っている間、高城高校の火災は一応の解決を迎えていた。

 火事で亡くなった唯一の犠牲者である生徒による犯行であると警察が発表したことで、世の中は少し暗くなった。

 いろんな憶測や意見が飛び交い、誰もが子供たちを追い詰める現代社会のひずみについて想いを馳せたが、それも一瞬のこと。

 三日も経てば事件は埋もれ、誰も気にしなくなる。

 それが現実だった。


 閉鎖していた教育機関は月曜日から再開。

 妹は学校に行くのが面倒だ、葉月さんといたいとすっかり懐いた。


 葉月さんは三日間ずっと俺の部屋にこもって看病を続けてくれたらしい。

 ひたすら眠り続ける俺の手を握ったまま、ずっと側にいてくれたというのだ。


 起きたとき、当たり前のように葉月さんの顔があった。

 その時感じた心の安らぎを言葉で表現するのは難しい。


 俺も葉月さんもお互いの顔を見て微笑んだ。

 そして何のためらいも無く、何の遠慮もなく、ごくごく自然にキスをした。


 それから俺は自分の顔を三日ぶりに鏡で確認した。

 贅肉が詰まってパンパンになっていたはずの俺の体が、そりゃ見た人は驚くだろうというくらいにしぼんでいた。


 デブが最も嫌うガジェット、体重計に久々乗ってみると、おそらく前と比べて30キロ程度体重が減少している。


 命がけモードにした銃を一発撃っただけで、体重が30キロ落ちたのだ。

 あと一発撃ったら、相当やばいことになる。

 さらにもう一発撃てば、理論上、俺はこの世界から消えてなくなる。


 もう撃ちたくない。当然そう思う。

 けど、そういう状況がまた来るかもしれない。

 ベランダに出て外の景色を見たときに、俺はそう感じた。


 富士山の中腹から巨大な木が生えていた。サイズでいえば富士山とそれほど変わらない。とてつもなく大きな木だ。

 濃い緑の葉が生い茂り、風で舞った木の葉が蝶のように空を駆けめぐっている。

 こいつのせいで、世界一美しい富士山のシルエットが台無しになってしまった。


 毎日眺めても飽きなかった愛する富士山が、今や俺の目には怖い存在に映る。

  

「裏世界の大樹が霊峰を突き破って表に出てきたのです」

 

 横にいた葉月さんが説明してくれた。


「今でも十分大きいですけど、ここから東京を覆う程度には成長すると言われています。私たちはこれを大樹と呼んでいます」


 葉月さんのことだから嘘なんて言わないだろうが、それでも俺は信じられない気持ちでいっぱいだった。

 しかし思い当たる節はある。


「木場が持っていた木の枝って、あれの……」


 葉月さんは頷いた。


「大樹の一部です。ほんの小さな欠片にすぎないのに、人の弱みにつけ込み、堕落させ、狂気をはらませ、やがて乗っ取ってしまう」


 大樹を憎々しげに見つめる葉月さん。


「大樹が成長を続ければ、この町にいる人全てが木場のようになってしまう。大樹に乗っ取られた人間は増え続けます。まるでウイルスのように、狂気が人から人、町から町、都市から都市へと広がっていくんです」


 ウイルスという言葉に敏感になっていた時期を思い出した俺は不安に駆られる。それに気付いた葉月さんは俺の手を握るが、話を止めることはない。


「大樹に取り憑かれた人間は本能的に裏と表を繋ぐ門を作ろうとする。同時多発的に裏の住民が表に出てくれば、もう対処のしようがありません。対応できる人間が少なすぎるのです」 


 俺は絶句した。

 そんなことになったら日本は国として機能しなくなる。


 そのための儀式なのだ。

 ご先祖さまは言っていた。儀式無しで勝とうとするのは、ごう慢だと。

 

 なのに俺は儀式を拒もうとしている。

 食われるつもりはない。

 葉月さんとそう決めた。いまさら考えを変えるつもりはない。

 儀式なんかやらなくても十分戦えると証明する。

 ただ相手は俺が考えている以上にスケールがでかかった。


「旦那さま、本当にごめんなさい」

「いきなりどうしたんですか?」


 葉月さんは悲しそうに目を伏せる。


「あの大樹が見えるということは、旦那さまが術者になった証でもあるのです。普通の人から見れば今まで通りの世界遺産があるだけだから……」


「ああ、なるほど……」

 

 となると、陰陽師能力ゼロと自分で言っていた市川さんは今も大樹を見ることが出来ないのだ。

「富士山を拝め、今のお前なら見える」と言っていた市川さんはわかっていたのだ。

 俺の体がまともじゃなくなったということを。


「私の力が移ってしまったのか、初代が持たせた札の影響かわからないけど、結果的に旦那さまを巻き込んでしまって……、あんな気味の悪い大樹、見えないなら見えないでいた方が良かったのですが……」


 俺は笑って葉月さんの口を指で塞いだ。


「もうそれを言うのは止めましょう。俺は葉月さんと同じ景色が見れて嬉しいです」


 素直な気持ちを呟くと、葉月さんも笑ってくれた。


 俺と葉月さんは手を繋いだまま、ずっと大樹を見つめていた。

 こいつをなんとかしないと安穏に過ごせないと苦々しく思う俺だったが、葉月さんは別のことを考えていたらしい。


「旦那さま、新婚旅行の件ですが」

「いきなり凄い話ぶっ込んできますね……」

「私、海外に行ってみたいのです。イタリア、フランス、イギリス……」

「ははは……」

 

 まるでお金がない俺には恐ろしい告白。


 そうだよな、高校も中退してしまったのだから、きちんと将来について考えないといけない。

 とはいえ余命一年という嘘をつき続けることにしたので、そんな奴を雇ってくれる会社などありはしない。

 どちらかというと就活ではなく、終活を考える立場なんだよな……。

 

 わりと手詰まってる感があるけど、俺は結構ワクワクしている。

 さて、何から始めよう。

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