第10話 大きな箱だと言われても

 学校が燃えていた。

 

 赤い炎と黒い煙があちこちで吹き上がり、獣のように暴れている。

 

 本当にこれは現実なのだろうか?

 

 飛び交うサイレン、駆けつける消防車と救急車たち。

 

 四方八方から繰り出される放水。

  

 これ以上近づかないでと見物人を押しとどめる警察。

 彼らに押されながらもスマホを掲げて燃える学校を記録にとどめようとする人達。


 グラウンドの隅の方で逃げた学生達が集まっているが、俺のすぐ横を泣き叫んで走って行く生徒達もいる。そしてそれを追いかける教師たちの姿も。


 生徒達は皆バラバラに逃げているようだ。

 定期的にやっていた避難訓練の成果が全く見られていないが、実際こんな事故が起きてしまったら、マニュアル通りにはいかないもんだ。


 学校から逃げていく人達とは真逆に進んでいく俺たち。

 バリケードテープに遮られてこれ以上は無理というところまで辿り着いた。


「もう下がった方がいい」

 追いついた市川さんが俺の肩に手を乗せるが、俺は燃え上がる炎を指さし、市川さんに訴える。


「あの一番燃えてるところ、笹川さんがしょっちゅう使ってたところで……」


 グラウンドで駆け抜ける美しき笹川さんを盗撮しようとする連中に嫌気がさした彼女は、さほど動かないで済む練習は教室でしてもいいことになっていた。

 その教室が、素人が見てもわかるくらい一番燃えに燃えている。


「あの中に笹川さんがいたら……」


「わかった、大丈夫、大丈夫だから」


 錯乱する俺を市川さんが落ち着かせていた時、聞き覚えのある声がした。


「ムコ殿、お元気?」


 俺は声がする方を向き、市川さんは脅えたように俺の背に隠れる。

 

 芦屋母がゆっくり迫ってくる。まるでダースベイダーのように……。

 トラ柄のトレーナーを着ているが、こんな状況なので突っ込む気にもなれない。


 芦屋母の後ろには葉月さんが静かに立っていた。

 さっきまでの自信に満ちた表情が随分と沈んでいる。

 まるで初めて会った時のように縮こまっていた。


 困惑する俺を見て芦屋母は皮肉めいた笑みを浮かべる。


「立派な学校ね。実に見事な避難行動で助かるわ。どこに誰がいるのやら」


 そして俺に言った。


「飽きない嫁でしょ?」

 

 すると芦屋母は横目で葉月さんを睨み、強い口調で迫る。


「あなたが始めたことなんだから、あなたが終わらせなさい」


 葉月さんは小さく頷くと、懐から一枚のお札を取り出した。


 さっき市川さんが俺にくれた万能札と比べると、字がびっしりで、しかも凄く綺麗で、生きている気さえする。

 魂を吸われてしまいそうな札だ。


 葉月さんは人差し指と中指で札をつまみながら、何か唱え始める。


 ガタイのいい男達が葉月さんを囲む。

 葉月さんが何をしているのか周囲に見えなくさせているのだ。


 そして若い女性がすっと近づいてきて、俺と芦屋母に傘を手渡してくれる。


 雨が降ってきた。

 氷のように冷たい雨だ


 どんどん強くなる。

 

 真冬のような寒さが辺りを包んできた。

 雨が、学校を喰らう火を返り討ちにして黙らせていく。


 もうこれで大丈夫だろうというタイミングで雨と風は消えた。


 俺の背中を盾にして芦屋母から隠れていた市川さんが思わず呟く。


「とんでもねえワザ使いやがる……」

 

 確かにそのとおりだ。

 

 雲を操り、雨を降らす。

 卑弥呼じゃん、卑弥呼よりすげえじゃん。

 自作自演ってのがアレだけど……。


 呆気にとられて動けない俺だったが、近くにいた男の声で我に返った。


「おい! 出てきたぞ!」


 三名の消防隊員が校舎から出てきた。

 その一人が学生を背負っている。


 笹川さんだ。

 すらりと伸びた長い手足と揺れるポニーテール。彼女で間違いない。

 頭を上げてキョロキョロ周りを見ている。


 生きているとわかって拍手と歓声が沸き起こったが、その後の光景を見てすぐ静まりかえってしまう。


 担架を運ぶ二人の隊員と、その担架にかけられた白いシーツ、その膨らみ。

 犠牲者であることに間違いは無いだろう。


 生徒達がわーっと担架に駆け寄っていく。

 膝をついて崩れ、激しく泣きだす生徒もいた。

 亡くなったのは生徒か、教師か。

 いずれにしろ、犠牲者が出てしまった。


 衝撃的な光景を見た芦屋母は深い溜息を吐いた。


「説明しなさい」


 眼をかっと開いて葉月さんに迫る。


「夫を守るための手段としては良い。けどあまりに短絡的すぎる。あの学校にどれだけの学生がいるのか考えなかったの?」


 市川さんと同じようなことを言っている。

 それでも葉月さんは母の方を見ず、真っ黒焦げになった校舎を凝視している。


「あれは旦那様を苦しめる大きな箱です。あれを壊せば旦那様は自由になります」


 その言葉に俺はぎょっとした。

 

 あの夜、死神と呼ばれていたことは言ったけど、からかわれたり無視されたことは伝えていない。俺が学校を嫌っているというのも。

 

 わかっちゃったのか。

 俺があの学校でどんな思いをしていたのか、読み取っちゃったのか……?


 だから学校を……。


「箱の中にたかる人間も醜い感情をあらわにして旦那様を追いつめる。そんな連中のことまで気にする必要など……」


 バチッと芦屋母が娘をぶった。

 あっと驚く俺と市川さん。


 平手打ちとは逆の、手の甲打ち。バラ手と言うそうだけど……。

 たかってくる羽虫を払うような手の動きには一切の愛を感じない。

 

 結構な音がしたので巨体の男たちが慌てて二人を囲む。


「あの箱の中に殺人鬼がいたとしても私たちはまず助けなきゃいけない。あなたまだそれがわからないの?」


 葉月さんは何も答えない。

 その頬は真っ赤だった。


「全く使い物にならない」

 芦屋母は吐き捨てるように言うと、


「芦屋葉月。あなたを無期限の謹慎とします。ここから出て行きなさい」

 

 葉月さんは一切反論することなく、すぐに母に背を向けて歩いていく。


 今度は俺が葉月さんを追いかける番になったが、


「ムコ殿」

 ぐっと肩をつかまれる。

 相変わらず凄い力。


「悪いけどあなたも謹慎してちょうだい」


「お、俺も?」


「もちろん、あなたは何もしてない。でもこれだけは覚えていて。爆発を引き起こしたのはうちの馬鹿娘だけど、ってことよ。敵はまだどこかにいる。あんな火事くらいで死ぬ奴じゃない。カギを握ってるのはあの死体よ」


「は?」

 あの可哀相な犠牲者のこと?


「私が見てもわかるわ。ありゃ式神よ。人間じゃない」

「え」


 式神ってのは、あれだろ? 陰陽師が使う召喚獣みたいなもんだろ?


 そんな馬鹿なと大声を出そうとする俺の口を芦屋母は慌てて塞ぐ。

 力が強すぎて息が出来なくなり、足をばたつかせる俺の耳に義理の母は囁く。


「絶対外に出ちゃだめよ。どんな誘いも断る! 私と市川以外の電話には出ない! あーちゃんにもそう伝えて。あとは……」


 そして義理の母は最後に聞き取れないくらいの小声で呟いた。


「あの馬鹿のこともお願い」

 

 芦屋母の苦い顔を見て俺は確信した。

 自分の子供を叩いて胸が痛まない親はいない。芦屋母もしんどいのだ。


「わかりました……」

「頼むわね」


 芦屋母は俺の背中をバンバンと叩く。

 凄く痛いが、我慢する。


「また連絡するからな~」

 笑顔で手を振る市川さんと目が合うが、


「いちかわっ! こっちに来なさいっ! なんなのその髪はっ!」


 目立つなとあれだけ言ったのに! と叫ぶ芦屋母の落雷を浴びて市川さんはがっくりと肩を落としていた。


 葉月さんは学校から離れた所にある交差点の隅でぽつんと立っていた。

 その顔は明らかに暗い。


「無様な姿を見せて恥じ入るばかりです……」


 これ以上ないってくらい落ち込む姿に俺は動揺を隠せない。


「そ、そんなことないですよ。凄いワザを見せて貰って……」


 これしかいいようがない。

 二人して無言で家までの道を歩く。


 こんな時でも山梨県の守り神と俺が勝手に思っている富士山は堂々としている。

 富士山のように何が起きても動じない男になりたいもんだが、葉月さんは富士山までも宿敵のように睨みつけていた。


「……私は負けるわけにはいきません」


 独り言のようにぽつりと呟くその姿を見ているとなんだか凄く心配になった。


 玄関を開けると母と妹が出迎えてくれた。


「大丈夫? 怪我とかしてない?」


 心配する母に俺は笑顔で答える。

 

「何も問題ないよ」

 

 怪我はないが、もの凄く疲れた。

 けど、この期に及んでネガティブなことはひとことも口に出せない。何しろ俺の隣には腫れ物のように打ちひしがれた葉月さんがいるのだから。


「私は謹慎を命じられたので、しばらく部屋にこもろうと思います……」

「あっ、待って」


 静かに履き物を脱いで階段を上ろうとする葉月さんの腕を母がつかんだが、葉月さんの力が強すぎて逆に引きずられていく。


「は、葉月ちゃん、止まって……」

 

 浜辺に打ち上げられたクジラのようになる母を見て葉月さんは現実に戻った。


「も、申し訳ありません。気付かなくて……」


 慌てる義理の娘に母は座礁したまま微笑む。


「いいのいいの。ねえ葉月ちゃん。あんな狭苦しいところに戻らなくて良いの。あなたの家はここ。あなたは私たちの家族。一緒にいて良いのよ」


「お母様……」


 もしかしたら、いやきっと、芦屋母から連絡を受けたのだろう。


「だから桃鉄をしましょう。百年プレイよ」

「そればっかりだな……」 

 

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