第8話 心がないって言われても
陰陽師。
古代日本では栄華を誇った彼らも時代の変遷とともにその立場を失い、今はオカルトのイメージが先行して、創作の世界でしかその姿を確認できない。と思われていた。
しかし彼らは今もなお政府と関わりを持ち続けていた。
そして芦屋葉月。
俺の奥さんになってしまった人。
彼女はあの安倍晴明の再来といわれるほどの素質を持つとされ、芦屋氏の実家である
その芦屋葉月がとうとう家を出て本格的に動き出すということで、陰陽師界隈は大騒ぎになっているらしい。
挙げ句の果てに芦屋葉月の夫は大病により余命いくばくも無いため、葉月の能力を劇的に向上させる「儀式」に同意したという。
我らの未来は明るいと陰陽師達は喜び、中には涙する人ものまでいるという。
以上が、俺の付き人になった市川さんの話である。
「やばい……」
たった一日で話がでかくなっている。
「顔色悪いぞ? 大丈夫か?」
「いや、気にしないで下さい……」
「ならいいんだが」
そして市川さんは四枚の札を俺に突き出す。
真っ白で、何も書かれていない。
「俺らみたいな陰陽師能力ゼロの男でも術者になれちゃう、その名も
「はぁ……」
手渡された四枚のお札。何処からどう見てもただの紙だが、自信満々の市川さんは俺を三枝漢方の裏口に連れ込む。
「普通に正面から入りませんか。葉月さんと敵対しているわけでもないし……」
バカを言うなと目尻を上げる市川さん。
「お前は好かれてるらしいが、俺はダメだ」
「駄目って……?」
「嫌われてるんだよ。っていうか、あの人は基本的に何もかも嫌う人だから」
「ええ……?」
そんな付き合いづらい人には見えなかったが……。
「さて、やることは簡単だ。この四枚の紙を壁に貼る。四角い枠を作るんだ」
ただの紙が三枝漢方の壁にピタリとくっ付いてしまった。
「耳を近づけてみろ、驚くぞ」
言われたとおりにすると、壁からはっきりと声が聞こえてきた。
『これ以上資料を集めても無駄だと?』
葉月さんだ。
まるで同じ部屋にいるかのように鮮明に、あの凛とした声が聴こえる。
『む、無駄とまでは申しませんが……』
返事をする老人は緊張しているみたい。
『陰陽道に限らず、世界に存在する全てのまじないを見ても、治癒、蘇生といった、回復術は存在せんのです』
『根絶は不可能だと言いたいのですね……』
葉月さんの声はとても暗い。
『残念ながら、医療においては科学に勝てませぬ。出来ることがあるとすれば、免疫を強めること、すなわち延命のみ。ただ相手が癌となりますと、それすら厳しく……』
『わかりました。もういい』
「葉月さん……?」
もしかして俺の体を気にしてるのか?
俺の病気なんてすぐ治してみせると胸を叩いた葉月さんを思い出す。
『約束したのに……』
落ち込む葉月さんの声。
間違いない。
葉月さんは俺の病気を治そうと関係者に聞きに行って、思い切りカウンターをくらわされたのだ。
「……」
胸が痛い。
もはや、死ぬなんてうそーなどと、笑ってすませる段階を越えてしまった。
壁に頭をぶつけたいくらい良心の痛みを感じる俺をよそに、葉月さんと関係者の会話は続いていく。
『ところでお嬢様、報告書が提出されておりませぬが……』
『前にも言いましたが、そんなものに時間を費やすつもりはありません』
抗議と悲嘆の声が一斉に沸き起こった。
どうやら葉月さん達がいる部屋にはかなりの人数がいるらしい。
『報告書提出は義務であると当主様が仰ったではないですか!』
若い男が情けない声で訴えると、それをきっかけに、お願いします。書いて下さい。という懇願があちこちで飛び交う。
話を一つ一つまとめてみると、どうやら葉月さんが日報を書かないとここにいる人たちが怒られてしまうようだ。それが怖くてたまらないらしい。
なのに葉月さんは冷たい。
『適当に朝顔の観察日誌でも書いておいて下さい』と言い出す始末。
『そ、そんな無茶な……』
落胆が厚い壁を越えてこっちにまで伝わってくる。
市川さんも顔をしかめていた。
「変わんねえなあ、あの暴君は……」
「……」
暴君だなんて、信じられない。
俺たち家族と一緒にいたときと態度がまるで違う。真逆だ。
『とにかくお嬢様。説明をお願いします。昨夜の霊力の連続発生は全てお嬢様によるものなのですか?』
落ち着いた態度の女性が葉月さんに迫るが、その問いに答える態度もまるで機械のように冷たい。
『ほとんどは私です。しかしそうでないのもありました』
そしてあからさまな溜息を吐いた。
『あなた達はそれくらいのことも区別できないの? あれだけの悪意を読み取れないなんてどうかしている』
しんと静まりかえってしまう。
「おい、昨日何があったんだよ」
「いや電話が……」
『電話の件は私が対処しました』
いきなり話が噛みあってしまって俺と市川さんは飛び跳ねんばかりに驚く。
『もう一度旦那様に電話が来れば、敵が旦那様にしようとしたこと全てが敵自身にはね返ってくるよう仕掛けをしました。私が施した術式はこの通りです』
おおと声が上がる。
『これは凄い……』
『何という発想力だ……』
やがて拍手が沸き起こる。
なんだかよくわからないが葉月さんが褒められるのは俺も嬉しい。
しかし市川さんは怒鳴った。
「あの女、バカかっ!」
俺が焦るくらいの大声を出す。
「電話をかけてきた奴が人混みの中にいたらどうするんだよ! 巻き添え食らってけが人でも出たら……」
しかし、それ以上市川さんは喋ることが出来なかった。
『何やつ!』
葉月さんの鋭い声と同時に市川さんが吹っ飛んだ。
その体は近くにあったごみステーションに突っ込んでしまう。
三枝漢方から大勢の人間が血相変えて飛び出してきたが、ひどい有様になった市川さんを見るや、なんだこいつかって感じで脱力していく。
しかし葉月さんは違った。
俺と市川さんを交互に見て、怒りに燃えたらしい。
「旦那様をそそのかして今度は何をしようというのです!」
「いや、何もしませんって!」
葉月さんの足下に駆け寄って何のためらいも無く土下座する市川さん。
「市川、あなたを破門します」
「げっ! あんまりです! せっかく楽な仕事にありつけた……あっ」
その瞬間、市川さん自慢の長髪に文字通り火がついた。
「うわーっ! ひどい! ひどいよ!」
立派な大人が道路で泣きながらのたうち回る姿を見て俺はいたたまれなくなったし、なんとなく市川さんのことが好きになっていたのもあるので、
「葉月さん、あの……やめましょう」
近づく俺に葉月さんは屈託のない笑顔を見せてくれる。
「心配しないで下さい。熱は感じないようにしています。髪がなくなるだけですから」
いや、それはそれで大変だろう。
「俺の方からお願いしたんです。葉月さんがどこに行ったのかわからなくて心配だから、場所を教えてくれって」
「あ」
葉月さんは何かに気付いたらしい。
俺はその何かを言葉にする。
「できれば出かけるときは一声かけて貰えると助かります。俺も暇だし、ここに慣れるまでは出来るだけ一緒に行動した方がいいと思いますから」
その瞬間、燃え上がっていた市川さんの頭の炎が消えた。
右から半分だけ綺麗に髪がない。
「これなら全部燃えた方が良かった……」
肩を落とす市川さんに目をくれず、葉月さんは俺に深く頭を下げた。
「ごめんなさい旦那様。少々気が焦っておりました……」
「いや、そんな気にしないで……」
慌てる俺だが、葉月さんの背後にいた関係者のみなさんの反応がとても気になる。
謝ったよ……。
笑ったぞ……。
ありえねえ……。
そんな言葉が口の動きでわかる。
いったい葉月さんは彼らにとってどんな存在なのだろう。
ますます葉月さんがわからなくなる。
その時だった。
俺の電話が鳴ったのは。
今思えば、この瞬間が転機だったと思う。
俺の日常はこの日を境に大きく様変わりしていくのだ。
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