第32話 忍者対聖騎士
夜空が光り、その数秒後に雲がかった夜空が唸る。時折吹く強い風が黒い外套の裾を靡かせている。今にも雨が降り出しそうな空模様。しけった空気が嵐の訪れを告げていた。
辿り着いたそこは教会だった。荒れ果てた庭園に草むした外壁は、長年人の手が行き届いていなかったことを教えていた。
「如何にも吸血鬼が好みそうな場所だな」
俺はそう呟き、準備運動がてらに軽く肩を回す。両腕の手甲に巻かれた斬鋼線が稲光を受けて鈍く煌めいた。
「確かに。少なくともあたしは嫌いじゃないけどね」
ミーシャはそう言うと、勢いよく外套を脱いだ。コックコートとパジャマ以外の私服を見るのは初めてあった時以来だ。
「じゃあ、行ってくるわね」
それだけ伝え、ミーシャは扉を開け、教会の中へと入って行った。「ここから先は一人で行かせて」と頼まれてしまったのだ。雇い主の
「ようやく他のヴァンパイアの棲家を見つけて来てみれば……」
アンは溜息交じりに呟いた。
「悪いね。そっちも仕事だろうが、今回は俺たちが先約だ。そんなわけで、あんたたちを中へ行かせるわけにはいかないんだ」
「そう。どうあってもそこを退く気は無いってわけね」
アンはそう言うと、腰に携えた剣を鞘から抜いた。以前持っていたのとは少々形が違っている。刀身はレイピアのように細いものではなく寧ろ軍刀に採用されるサーベルに近い。刃は薄い緑を帯びて神秘的な光を放っていた。
「本部から正式に使用許可が下りたから持って来たわ。あの忌々しいドラキュリーナのリクエスト通り、レプリカではなく正真正銘の聖剣。中に彼女もいるのなら、いつぞやのお礼が出来そうね」
アンは曇天に向けて剣を掲げると、力強く振り下ろして切っ先を正面へと突き出す。全軍突撃の合図だ。
「我らの誇りと正義の為に、今こそ神に背きし背徳の化身に裁きを!」
声高らかに聖書を詠み上げる者たちと、剣を手に取り一心不乱にこちらへ突っ込んで来る者たち。無数の刃の煌めき。激しい気迫と足音のうねりが大波のように押し寄せる。敵の数は三十、いや四十人近いだろうか。ビリビリと肌で感じるいくさの空気に呼応し、俺の胸は高なった。
「甲賀忍、南雲京介。参る!」
俺は天高く飛び上がり、手にするクナイを敵の頭上から雨のように降らせる。
「うおおおおおっ!」
「ぎゃああああっ!」
クナイの雨を受けた先陣は倒れたが、後続がまだまだ大勢控えている。俺は両腕を大きく振るう。吹き抜ける風と共に手にした盾や剣をバラバラに斬り裂かれる騎士たち。彼らには俺の斬鋼線は見えていないのだ。夜襲用の黒い斬鋼線は夜闇に紛れる為、まず人の目では捕えることは不可能。加えて、鉄さえ容易に斬り裂くコイツの前では防御は無意味。大きな負傷こそ与えはしないように配慮してはいるが、未だ経験したことの無い奇襲を前に敵の部隊は混乱し壊滅寸前だった。
「意外とやるわね。エルク、出番よ!」
アンがその名を呼ぶよりも早く、一陣の風が戦場を駆ける。長い銀髪を靡かせて、エルクは一気にこちらの間合いへと飛び込んだ。忍にも劣らぬ俊足と動体視力でエルクは大蛇の如く襲い来る斬鋼線を全て避けている。
「捕まえた!」
エルクの放った突きは俺の腹部へと突き刺さる。だが、エルクの剣が捕えたのは俺の身代りである丸太。切っ先が体に触れる寸前で入れ代ったのだ。
「あれ? 今のは絶対に仕留めたと思ったんだけどな」
仕損じたのに随分と嬉しそうじゃないか「まだ遊べる」と顔に書いてあるぞ。
「じゃあ、コレはどうかな?」
獲物を握ったままだらりと腕を下ろし、脱力したエルクの体が蜃気楼のように揺れた。すると突然、エルクの姿が目の前から消えた。慌てて斬鋼線を展開するが、ほんのコンマ数秒ほど判断が遅れたのが致命的だった。
「ぐっ!?」
不意に眼前に現れたエルクと目が合った。狼のように鋭い眼光を放ちながらエルクは素早く剣を振るう。遂に刃が俺の体に触れた。エルクの放った横薙ぎは俺の頬を僅かに掠めたのだ。大した傷じゃないと体勢を立て直して反撃に転じようとした時、俺は腹部に感じた熱に思わず足を止めた。
「……一撃じゃなかったのか」
じわりと腹から滲む血液。傷口を押さえた手からポタリポタリと血が垂れる。刃傷を受けるなんて本当に何年ぶりだろうか。地面を濡らした自分の血溜まりに片膝を突いた。あと数センチ踏み込まれていたら俺の内臓は傷口から垂れ落ちていただろう。
「どんな相手だろうとエルクの放つ高速の斬撃からは逃げられない。まあ、生きていただけ奇跡だわ。誇っていいわよ。尤も、今のはエルクも本気で放ってはいなかったけどね」
俺は斬鋼線で瞬時に傷口を縫合した。これで多少動いてもしばらく出血を抑えられるだろう。しかし、嫌なことを聞いたな。あれだけの動きでまだ本気ではないとは。こんな荒い応急処置ではそう長くはもたない。出来れば、早期決着が望ましい。俺はふらつきながら立ち上がり、近くに落ちていた奴らの西洋刀を拾ってエルクへ向けて構えた。
「あなた正気? エルクに剣で勝てると思ってるわけ? しかも、そんな体で」
「ははっ……どうかな。あまり剣術には自信が無いし、西洋刀なんて扱うのも初めてだよ。でも……」
不穏な空気を察したエルクは再び剣を構えた。その目には怪我人は映っていない。今、最も警戒するべき敵が映っていた。
「一度見てしまえばどうと言うことは無いさ」
「その言葉がホントかウソか。試させてもらうよ?」
互いに踏み出す最初の一歩は、ほぼ同時。死屍累々の戦場に、剣と剣が激しくぶつかり合う音が響く。
「えっ……」
先ほど俺を斬ったのと同じ技を放ったエルクだが、目の前で起こった出来事にほんの少しだけ戸惑いの表情を見せていた。奴の攻撃は完全に見切ったので全て当たらず避けることも出来たが、俺は敢えてエルクの攻撃を奴が放ったのとそっくり同じ技で返してやったのだ。何のことはない。脱力状態から生じる爆発的な瞬発力を活かして高速で間合いを詰め、連続で斬りつけるだけだ。コツといえば、剣が当たる瞬間まで決して力を入れないこと。脱力から生まれるスピードと威力を殺してしまうからだ。頭でわかっていても体で覚えなければ繰り出せない。言葉にするのは簡単だが、単なる脱力をここまでの域に高めるのに相当な修練を積んだのだろう。この銀髪の青年が天才と言われる由縁がわかった気がする。
だが、俺の眼の前では、月日を重ねた修練の結果も瞬き一つだ。所詮は人間の技。残念ながらミーシャの技は看破出来なかったが、この程度であれば模倣も容易い。
「嘘……。エルクの剣技をコピーしてそのまま返すなんて」
本人よりもアンの方が大層驚いてくれた。これくらい驚いてくれると、こちらも披露した甲斐があるというものだ。肝心のエルクはといえば、ただ黙って自分の剣を見つめていた。
「刃がボロボロになっちゃった。これもう使えないね」
俺とエルクの使った剣は刃こぼれがひどく、使いものにならなくなっていた。刀剣として優秀な日本刀でさえ人を五人も斬れば使いものにならなくなるというのに、こんな脆そうな細い剣で互いに打ち付け合えば当然こうなる。寧ろ、木の枝のように細い刀身が折れていないのが不思議なくらいだ。
「あーあ、つまんないの。じゃあ後はよろしくねー」
「ちょ、ちょっと! どこ行くのよ、エルク!」
「どこって、帰るに決まってるじゃない」
「剣ならコレを使って! あなたがいなくなったらこの場をどう収めるの!?」
「んー、サーベルってあまり好みじゃないんだよね。それに、その剣ってアン以外の言うこと聞かないじゃない。僕が使ったってただ使いづらいだけだよ」
何やら俺をそっちのけで口論を始めたアンとエルク。エルクの方は戦意を喪失したみたいだが、とりあえずこの場はギリギリ食い止められたってことでいいのか? こっちとしてもそうしてもらえると非常に助かる。慣れない道具を使って慣れない動きをするのって結構しんどいのだ。このまま何事も無く事が過ぎ去ってくれるのを願っていた矢先、こちらへ向かって来る足音が聞えた。目を凝らして確認すると、それは店に置いて来たハズの静琉ちゃんだった。
「およ? 女の子だ」
このエルクという男は剣の腕前だけでなく目も良いらしい。この暗がりであんなに遠くにいる黒い服の静琉ちゃんをよく確認出来るものだ。まあ、そうでなくてはあの暗がりで俺の斬鋼線を避けられないか。
「って、静琉ちゃん! どうしてここに」
「南雲さん! 大事なことを伝え忘れました! ミーシャさんが危ないです!」
「そんなに心配しないでも平気だと思うよ。ミーシャはああ見えてかなり強いし、ラウドなんかすぐに――」
「違うんです! 本当に危険なのはラウドじゃないんです!」
俺よりも先にアンが口を開いた。
「その話、詳しく聞かせてくれるかしら?」
俺に確認を取るように視線を送る静琉ちゃん。まあ、彼らの方が吸血鬼には詳しいわけで利害が一致したら共同戦線となり得るやも知れない。一縷の望みがあるのならそれに賭けてみようじゃないか。もし再び刃を交えるのならこの命を捨てても静琉ちゃんとミーシャを守ろう。俺はそう思い、ゆっくり頷いた。
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