第35話 もう一つのエルダークレスト
「あーあ、もう少し頑張ってくれると思ったんだけどなぁ」
それはあどけない少女の声だった。とても軽くて弾むような。そして、俺にとってはどこかで聞いたことのある声だった。その場にいた全員は声のした方を振り返る。闇からスゥっと現れたのは赤い洋服を着た女の子だった。俺は彼女の顔と茶髪のツインテールに見覚えがあった。
「まっ、いっか。こうしてクレセリオ家の末裔にも出会えたわけだし」
「あの子は確か……」
間違いない。以前、店の前で鼻歌まじりにガソリンを撒いていた少女だ。確か、サリィと名乗っていただろうか。彼女も俺の顔を覚えていたようで、大きな声を上げてこちらを指差した。
「――って、あー! この前のゲンコツ男! あの時はよくもやってくれたわね!」
「あれは君が悪いんだろ。火遊びなんてするから」
「京介、あの子のこと知ってるの?」
「この子だよ。この前、店に火を着けようとしていた子供って。あれ、ひょっとして知り合いだった?」
「知り合いって程でもないけど、一度だけ顔を合わせたことがあるわ。あれは確か、エルダー全員が集まった最後の円卓議会の時だったかしら?」
「覚えてくれてたんだっ! サリィ、感激っ!」
少女は嬉しそうにそう言うと、右頬に印が浮かび上がった。炎を中心に、剣と大鎚が交差したマーク。ミーシャの瞳の紋章と形こそ違えど、同等の妖しい輝きを放っていた。
「なあ、あれってもしかして……」
「ええ。正真正銘のエルダークレストよ。彼女の名はサリィ・フェルマータ。あたしと同じ、エルダーの末裔よ。それで、フェルマータ家の御令嬢がわざわざ何の御用かしら?」
「理由はあなたが一番よく御存じだと思うけど?」
「そうね。なら、こちらも迎え撃つまでよ!」
ミーシャは血の剣を取り出し構えると何の躊躇もなく少女に飛びかかった。おいおい、いくらなんでもお仕置きのレベルを超えているぞ。刃を向けられた放火少女は怯え逃げるどころか、逆に楽しそうに笑ったのだ。
「あははっ! それがあの有名なブラディッシュ・ベルシュね! すごく情熱的で綺麗な赤だわ。サリィのブラッドタイプ〝熱狂のクレアツォーネ〟の炎とどっちが綺麗かしら?」
少女が指を鳴らすとミーシャの体を忽ち炎が包んだ。
「灰になるまで相手を踊らせる【
それは真っ赤なドレスを纏い踊るよう。苦しみのステップに悶えるミーシャは手にする剣を真上へと放り投げた。剣は形を失い、液状の血へと戻る。降り注ぐ自身の血の雨を浴びてミーシャは纏わりつく炎を鎮めた。
「はぁ、はぁ、この純白の柔肌に火傷が出来たらどう落とし前つけてくれるのよ」
「ローストにされたくなかったらサリィを倒せばいいのよ」
「そうね。その通りだわ!」
再び剣を手にして斬りかかるミーシャの攻撃を止めたのは、緑色に輝くサーベルだった。
「あなたの相手は私たちよ」
突如、間に割って入ったアンがミーシャに立ちはだかる。ミーシャは舌打ちを一つし、後方へ飛び退いた。
「確かにレプリカじゃない聖剣を持って来いとは言ったけど、選りにも選って〝シチリアのアガタ〟を持って来るなんて思わなかったわ」
「良くご存じで。そうよ。どんな呪いや魔法も打ち消す解呪の聖剣。エルダーのブラッドタイプだって例外じゃないわ。どう? やり辛い?」
アンが微笑むとミーシャの構えていた血の剣が音を立てて砕け散った。
「正直、かなりね」
ミーシャは自分の指を牙で噛み切ると、滴る血液を無数の小さな刃に変えて飛ばす。アンはそれを全て剣で払い、ミーシャへと斬りかかる。
「うくっ!」
慌てて飛び退けたミーシャの首筋から血が伝う。あと少し遅ければ首を落とされていただろう。ミーシャの表情にほんの少しの焦りが見えた。
「うふふ。随分必死に避けるのね。当然か。バケモノを殺す為の剣だものね!」
繰り出される連撃をミーシャは慎重に避ける。反撃に転じるべく再び血の剣を作り出すが、アンの聖剣により忽ち破壊されてしまう。
「いい加減に……してっ!」
アンの大振りをかわし、ミーシャはアンの背後から斬りかかる。
「残念。その反撃は想定通りよ」
アンは剣を手放すとそれをエルクが拾う。聖剣を受け取ったエルクがアンの代わりにミーシャの攻撃を防いだのだ。
「じゃあ、今度は僕の番ね」
エルクはにっこり微笑むと、怒涛の勢いでミーシャに斬りかかる。アンとは比べものにならない猛攻。ミーシャはそれを防ぐだけで手一杯の様子だった。
「ちょっ、ちょっと! なんで二対一なのよ。あなたたちの獲物はそこにもいるでしょう!」
「あなたを倒したら片付けるわ」
騎士ってのは、決闘だの一騎打ちだのともっと甘っちょろい戦い方をする連中かと思っていたが、案外そうでもないらしい。戦力を分散せず、多人数で襲って確実に仕留める。どちらかと言えば、忍に近いかもしれない。ミーシャがエルクと剣を交えている様子を見て、俺はあることに気づいた。
「ミーシャの剣が消えていない」
さっきからエルクの繰り出す斬撃を防いでいるのに、ミーシャの手にする血の剣は消えていなかった。
「聖剣にも所持者との相性があってね。あれの効果は私にしか引き出せないのよ」
持ち主のアンは自慢気にそう言った。さっき言っていた相性という言葉はそういう意味だったのか。
「アン! パス!」
今度はエルクがアンへと剣を投げ渡す。アンとエルクは交互に剣を受け渡しながらミーシャを襲う。
「んもう! サリィを無視しないでよぉ!」
獲物をアンとエルクに横取りされ、完全に置いてけぼりをくらったサリィが憂さ晴らしに所構わず炎を撒き散らす。アンは例の聖剣の力で降りかかる火の雨を打ち消しているが、エルクとミーシャは当たらないように懸命に避けていた。
こう見ると、置いてけぼりをくらっているのは俺の方か。彼らはすっかり俺のことなど眼中に無いようだ。ミーシャ一人に対して相手は三人。これはどう見ても分が悪い。始めは反撃する余裕が見られたが、今や三人からの攻撃を避けるのがやっとという様子だ。
「いいさ。そっちがその気なら是が非でも釘付けにしてやる」
俺はクナイを四本取り出すと、彼らの頭上高くへと跳躍する。ようやく全員の視線が俺へと向けられた。なんだよ、やればできるじゃないか。俺のクナイは彼らから大きく逸れてそれぞれ離れた地面へと突き刺さった。
「どこを狙っているの? せっかくの奇襲も当たらなければ意味が無――えっ!?」
これでもう、彼らの体は指一本すら動かすことは叶わない。文字通り、釘付けだ。
「あれ? おかしいな。体が動かなくなっちゃった」
「えー、なんでー!? サリィの炎も出せなーい!」
「忍法、影縫いの術。このクナイが影を捕えている限り、皆さんの自由は制限されますのであしからず」
炎が出せないのは知らん。多分、アンの持っている剣の切っ先が君の影を捕えているクナイに触れているからじゃないかな? 詳しいことはわからないけど、文句があるならあちらへお願いしますね。
「ちょっと京介! なんであたしまで動けないのよ!」
「ああ、ごめん。クナイが一本余ってたから、つい」
ミーシャの影に刺さっているクナイを抜いてやると、荒い息を整えながらその場にへたり込んでしまった。相当疲れていたんだろう。まあ、無理もないか。
「くっ、こんなものシチリアのアガタで……!」
アンの持つ聖剣が緑色の輝きを放つ。だが、誰一人とて体の自由を取り戻すことはなかった。
「ど、どうなってるの!? この術、今まで見たことのない術式で編み込まれていてまったく解読できないわ! どんな魔術や異能の力をも打ち消すこの聖剣でも解けないなんて……」
忍術の本質とは〝誰にも知られないこと〟である。影に生きた偉大な先人たちが築き上げてきた伝統や歴史が、異国の小娘とわけのわからん剣如きに易々と破れるはずがなかろう。
俺は両腕の手甲に仕込んである斬鋼線を走らせると影を縫われ、体の自由を奪われた三人へ巻きつける。今、人差し指を軽く曲げるだけで細切れの死体が三人分出来上がるわけだが、この指を引くのはミーシャの殺意。俺はあくまで処刑の代行人に徹しよう。全ては、我が主の御意のままに。
「その物騒な糸をしまいなさい、京介」
ミーシャの答えは実に意外なものだった。
「いいのか? ここで始末しておかないとまた狙われるぞ」
「結構じゃない。どんな相手だって負ける気はないし、それに頼もしいボディーガードもいるしね」
くすっと笑ったミーシャを見て、俺は実に彼女らしい判断だと思った。
「静琉ちゃんたちを連れてさっさと帰るわよ。あ、でもそのクナイはそのままでね。あたしたちが家に着くまでがっちり固めておいて」
主が決めたことならば、従うより他に無し。俺はクナイだけを残して彼らに巻きつけた斬鋼線を解いた。
「洋菓子店ル・ベーゼはケーキと紅茶を愛するお客様。加えて、刺客様のご来店を心よりお待ちしております。今後とも変わらぬご愛願を賜ります様、お願い申し上げます」
丁寧に深々と頭を下げた後、面を上げた時に見せたふてぶてしく勝ち誇った顔。エルクはともかく、こんな仕打ちを受けたサリィとアンはさぞ業腹であろう。
俺は気を失っている静琉ちゃんを抱きかかえ、ミーシャに続いて教会を後にした。
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