第34話 真のエルダークレスト

「仕方ない。俺も出るか」


 加勢しようとした俺の袖を俯くミーシャが引いた。


「待って。まず静琉ちゃんを助けないと……」


 俺だって助けたいのは山々だ。しかし、残念だが静琉ちゃんはもう……。


「ミーシャ……。気持ちはわかるが――」


 現実を否定するかの如く、静琉ちゃんの母親が俺の言葉を遮りミーシャに泣いて縋った。


「お願い! お願いだから静琉を助けて!」


 静琉の母を見つめながら、ミーシャは言った。


「彼女を助ける方法が一つだけあるわ。但し、約束して欲しいことがあるの」

「私に出来ることなら何でもするわ。だからこの子を!」

「ええ、あなたにしか出来ないことよ。……これからは、今までの分まで彼女を愛してあげて。例え、人の身でなくなったとしても」


 それだけ伝えると、ミーシャは横たわる静琉へ向きなおる。すっかり冷たくなった頬を撫でて「助けてくれてありがとう。今度はあたしの番ね」と、一言だけ呟いた。


「京介。もしあたしが暴走したら、遠慮なくこの首を刎ねてちょうだい」


 ミーシャはそう言うと、数回深呼吸をし、天を仰いでゆっくり目を瞑った。


「絶対に死なせない。こんな良い子を神様なんかにくれてやるもんですか」


 ギラリと鋭く光るミーシャの牙が、乙女の柔肌に深く食い込んだ。


 激しく喉を鳴らし、ミーシャは静琉ちゃんの血を貪り吸う。生まれ変わって初めて味わう血の味。解き放たれた欲望。その勢いは衰える兆しが一向に見えない。


「あ……ああああああ!!」


 ミーシャが血を吸い始めてすぐに変化が現れた。今までぴくりとも動かなかった静琉ちゃんは急に目を開け苦しみ出したのだ。それでも尚、ミーシャの吸血は止まらない。完全に我を忘れ、求めるままにひたすら貪る。これ以上血を吸われると今度こそ静琉ちゃんが死んでしまうと判断した俺はミーシャを取り押さえる。が、まるで石像のようにビクともしない。


「仕方ない。恨むなよ、ミーシャ」


 俺は言いつけを守る為、白くか細いミーシャの首へ巻きつけるべく斬鋼線を伸ばす。


「なっ!?」


 斬鋼線はミーシャの首に触れるより前に止められた。おいおい、鉄でさえも切断する糸だぞ。こちらに一瞥もくれずに素手で、しかも片手で止めるなんて信じ難い光景だった。その直後、ミーシャの口が静琉ちゃんの首から離れた。

「はぁはぁ……嗚呼、美味しかった」


 光悦の表情を浮かべるミーシャは口元から流れる血を服の袖で拭い、立ち上がる。


「ミーシャ、お前その左眼……」


 俺がそう言うと、ミーシャは人差し指を口元に当てて軽くウインクをした。そしてすぐに交戦中のラウドたちの方を見た。


「京介。二人を出来るだけ安全なところへ。少し、暴れてくるから」


 それだけ伝えると、ミーシャは地面を蹴って凄まじいスピードでアンとエルクの間をすり抜けた。そしてラウドの懐へ飛び込むと、相手の胸元にそっと手を当てた。


「一つ、良いこと教えてあげる。十字架の位置が逆よ。おバカさん」


 肉を引き千切る嫌な音が聞こえた。


「ぎゃああああああ!」


 続いてラウドの悲痛な叫びが礼拝堂に響く。ミーシャはラウドの胸に刻まれていた紋章ごと胸の皮膚と肉を掴み力任せに毟り取った。ラウドは痛みに悶えながらミーシャを睨む。だが、その表情は徐々に崩れ、憤怒の形相が忽ち怯えの色を濃くしていった。 


「そ……その左眼の紋章は!?」


 ミーシャの左眼に映るもの。それは、ラウドの胸に刻まれていた印と酷似していた。違うところがあるとしたら、十字架が上下逆様だということぐらいだ。


「紅三日月に逆十字。これが正真正銘クレセリオの家紋よ」


 俺は今やっと理解した。何故あの時、ミーシャが魔法陣の中で目を閉じていたのかを。


「あなたがどこで誰を食い散らかそうが別にどうでも良かったし、クレセリオ家の名を騙ってやんちゃしてても、まあ、ムカつきはしたけどギリギリ許せたわ。でも、静琉ちゃんを傷つけたのだけはどうしても許せそうにないわ」


 ミーシャは自分の手首を牙で噛んで出血を促した。傷口から流れ出る血に触れると、それを徐々に引き抜いていく。血液は凝固し、どんどん長く伸びていく。その形状はまさに剣。ミーシャが使っていた赤い刃の正体は自身の血液だったのだ。なるほど、模倣出来ないわけだ。あんな芸当、とても人間に出来るものではない。


「これがクレセリオ家に伝わるブラッドタイプ〝アクエリアの剣〟液体を固形化し、刃へと変えることが出来る。ちなみにこれは血液で作った剣【断罪血剣ブラディッシュ・ベルシュ】ね。そして……」


 ミーシャはラウドに向けて剣を振り下ろした。血の剣はラウドの腹を斬り、刃が更に濃く赤に染まった。


「プラッドタイプはヴァンパイアの持つ驚異的な再生能力を奪うことが出来る。即ち、不死身であっても容易に殺すことが出来る。これこそ、エルダーが一族の中でも特別と呼ばれている所以よ」 


 ラウドの斬られた腹の傷は塞がることはなく、依然と赤黒い血を流している。それでもラウドは臆するどころか狂喜に顔を歪めた。


「あの時、ニンジャ男の首筋に感じた気配はあんたのモノだったってことか。いいぜ、楽しくなってきた! 是が非でもお前を欲しくなった!」

「あたしは下衆と釣り合うほど安くはないわ。身分違いの恋と思って諦めなさい」


 ミーシャは練達な剣捌きでラウドを斬りつける。ラウドの方はズタズタになりながらも致命傷を避け、果敢にもミーシャへと掴みかろうとした。


「ハイ、残念」


 爆ぜるように飛ばされる切断されたラウドの右腕。以前、俺が斬鋼線で斬ってやった時とは違って元に戻ることはなかった。


「うおおおおお!」


 ラウドは残った左手で腰のホルスターから銃を抜き、銃口をミーシャへと向けた。


「銀の銃弾なら、例えエルダーの一族だろうが――」

「いいわよ。遠慮なくその引き金を引きなさい」


 ラウドが銃を構えるよりも早くラウド間合いに入っていたミーシャは剣の切っ先をラウドの喉元へ当てていた。ラウドがその引き金を引こうものなら、それよりも先にミーシャの剣がラウドの首を狩るだろう。


「あなたみたいな三下ヴァンパイアの相手はもうウンザリなの。そろそろ黒幕を呼んできてくれないかしら?」

「クククッ、何のことだ?」

「以前、うちの店に使い魔が襲って来たわ。血族を増やしたり使い魔を使役出来るのはヴァンパイアの中でも上位種だけ。つまり、エルダーかその後継者ぐらいのもの。ブラッドタイプを持たないあなたには不可能なのよ。他に黒幕がいることくらい馬鹿でもわかるわ」


 俺は静琉ちゃんの言葉を思い出した。本当に危険なのはラウドではない。こいつを裏で操っていた奴がいると。


「ククク、どうやらここまでのようだ。おい! どっかで見てるんだろ? 俺の気が変わらねえ内にさっさとやってくれ!」


 刹那、ラウドの体が炎に包まれた。身を焼かれながらラウドはミーシャに向けてこう言い放った。


「もう少し遊んでいたかったがここでお別れだ。あんたもこうなりたくなければせいぜい気張るんだな」


 激しい火柱に身を焼かれながら高笑いを上げるラウド。炎が消えた後には、黒く焦げた炭だけが残っていた。

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