第5話 勤務初日とお客様①
店主の開店合図の直ぐ後に、仰々しい扉がゆっくりと開く。陽光が差し込んで来ないところを見ると、どうやら外の日は完全に沈んでいるらしい。本日最初のお客様は、黒と紫の和服をアレンジしたゴシックロリータファッションで全身をコーディネイトした少女だった。見た目だけで言えば、ミーシャの一つ下か同い年かといったとこだろうか。西洋風にアレンジされた日本人形のような彼女の容姿は、店の雰囲気にとても似合っていた。
「いらっしゃいませ、お客様」
教えられた通り、お客様の目の前で跪き一礼。女性客なら手を取って席までエスコートし、席に案内したら椅子を引いて差し上げる――のハズなのだが、少女は差し出された俺の手を黙って見つめるだけで一向にリアクションが無い。
「あ、あの……お客様?」
「ねぇ、ミーシャさん。この店はいつからホストクラブになったの?」
少女に名を呼ばれたミーシャは暗闇からスゥっと姿を現し、いたずらっぽく笑って答えた。
「あら、静琉ちゃん。こういう趣向はお嫌い?」
俺が困り果てている様子を見て、店主はようやく助け舟を出してくれた。
「ああ、ゴメンね京介。言うのを忘れてたわ。実は人を雇ったのは今日が初めてなの。だから常連さんはもしかするとキョトンとするかもね」
「えと、じゃあこの接客方法は……」
「うん、即興で考えたの。次からは普通の接客でいいわよ」
いたずらっぽくにっこり微笑んだミーシャは、とても幼く見えた。ひょっとして俺、からかわれたのか?
「彼女はうちの常連の一人、
ミーシャにわき腹を肘で小突かれ、俺は慌てて銀のトレーにお冷を乗せて先ほどの少女の座る席へと向かった。
「ご、ご注文はお決まりですか?」
歳は高校生くらいだろうか。揃った前髪が似合う少女は、俺の顔をただじっと見つめたまま何も言わない。ひょっとして、俺の顔になにか付いてるとかかな? キツそうな目付きをした娘だから「あんたキモい」とか言われるのだろうか。どーしよう。しばらく立ち直れないかも知れない。なんて妄想を巡らせながら互いに見つめ合って一分が経過しただろうか。すると、何を思ったのか少女はいきなり着物のおくびを脱ぐように服をはだけさせたのだ。顔を紅潮させながら紫のブラを見せつけるように控えめな胸を目いっぱい張ってこう言った。
「……吸ってください」
都会の娘っていうのは過激だと聞いていたが、これじゃあ過激を通り越して露出癖のある恥女じゃないか。俺は慌てて胸元を開いている彼女の手を掴み、カーテンでもスライドさせるように勢いよく閉じた。かなり嬉しい光景だったが、その反面お兄さんは悲しいぞ。
「女の子が何処の馬の骨ともわからない男の前で服を脱ぐなんてダメだよ! もっと自分を大事にしないと!」
嘆きと悲壮の入り混じった俺の熱弁に少女はポカンとした表情を浮かべていた。
「静琉ちゃん。残念だけどその人、ヴァンパイアじゃなくて人間よ。だから早く服を着直しちゃいなさい。彼の言う通り、乙女が簡単に男性の前で肌を見せてはダメよ」
アンタは初対面の俺の手を掴んで胸に押し付けただろ、と思ったがそこは口には出さないでおこう。静琉と呼ばれた少女は火がついたように更に顔を真っ赤にさせ、慌てて俺に背を向けて服を直し始めた。というか、この子。ミーシャが吸血鬼だって知っているのか。街で見たニュースにもあったように、都会じゃ吸血鬼なんて生き物がいることは普通だったりするのだろうか。まだまだ深いぜ都会! 流行に乗り遅れて田舎モンだと思われちゃなんねぇぞ。……しかし、さっきのハプニング映像はもう少し堪能しても良かったかも。
「まあまあ、見た目とは違ってなかなか硬派で男らしい方なのですね」
いきなり背後から聞こえた第三者の声。俺に気付かれずに後ろを取れる人間がいるなんてとてもじゃないが信じられなかった。もしや新手の吸血鬼か。はたまたどこぞの忍か。それとも、少女の胸に気を取られ過ぎた俺の不覚か。うん、間違いなく三番目だな。
「ちょっと京介。お客様の方がビックリしているからさっさと下りてらっしゃい」
「……すまん。取り乱した」
俺は本日二度目のシャンデリアから下りる。見ると、俺の後ろに立っていたのはこれまた若い女の子だった。歳は静琉ちゃんよりも上か、俺と同じくらいに見える。服装や容姿から察するに、おそらく女子大生だろう。栗色の髪と常時笑っているかのような細い目がとても印象的だ。ミーシャや静琉ちゃんに比べると遥かにグラマラスで、ミニスカートに清楚な白のニーソックスと何やら通好みの組み合わせだった。少女から女性へと変わっていく成長過程に見る独特の色っぽさだけでなく、どことなく高貴な雰囲気も兼ね備えていた。きっといいとこ育ちのお嬢様に違いない。なんとなくだが、そんな気がした。
「あのう、失礼ですが今おいくつですか?」
栗色の髪の少女は頬に手をあてたまま、ニコニコと俺に質問してきた。
「えと、今年で二十二です」
「ふむふむ、なるほどなるほど」
閉じているのか開いているのかわからないほど細い目で、俺のつま先から頭の天辺までまるで品定めでもされているかのようにジロジロ見られている。何か俺に問題でもあるのだろうか。
「あのう、度々失礼ですがミーシャちゃんとはどのようなご関係ですか?」
「婚約者です」
「まあまあまあ!」
冗談のつもりだったのだが彼女は真に受けてしまったらしい。友人の恋愛話を微笑ましく聞き入る女子の顔だ。まいったな、まさか信じちゃうとは思わなかったぞ。
「ヘンな事吹き込まないの。彩音はすぐなんでも信じちゃうんだから、あまりからかわないで。彼はここの従業員よ。今日からここで働く事になったの。ちなみに、忍者の末裔ですって」
「あら、そうでしたか。ちょっとガッカリ」
肩を落として明らかな落胆を示すこの少女も、どうやらここの常連のようだ。ミーシャとのやり取りを見ていると、どうやら単なる客というより親友に近い間柄に見えた。
「初めまして、忍者さん。
スカートの襟を軽く摘み、ヨーロッパ風にカテーシーでご挨拶。うん、一挙一動が実に優雅だ。
「こちらこそ。今日からこの店でお世話になる事になった南雲京介です。あと、出来れば忍者っていうのは他言無用でお願いします」
あまり自分で忍者だとばれる行動は控えよとじっちゃんに散々言われていたが、びっくりすると咄嗟に体が反応するクセがどうしても抜けきれなくて困る。これでも良くなった方だ。上京したての頃なんて、いきなり背後に立った人間の首にクナイを突き付けたものだ。まあ、このクセのせいで仕事場を転々とする破目になったのだが。
「じゃあ南雲さんで。それと、初対面の方にこんな事を言うのはとてもはしたないのですが……私のおねがい、聞いていただけませんか?」
燦然と輝く太陽の如き後光。神々しさの中にも妖艶さを兼ね備えた魅力溢れるおねだりポーズで俺を見上げる藤代さん。これはたまらん。この甘美な誘惑に打ち勝てる男など果たしているだろうか。もしいるとしたら男色家か宇宙人のどちらだ。
「ぼ、僕に出来る事であれば何なりと!」
俺は抗うのを止め、身も心も委ねる事にした。〝色仕掛け〟に引っ掛かるなど同郷の者が見たら何と言うだろうか。でもたまにはイイじゃない。俺だって健全な男子ですもの。
「目を……瞑っていただけませんか?」
言葉に反応するよりもまず先に目線が行ったのは彼女の唇。薄いピンクのグロスを塗っているのかぷるぷると艶めいて、何かを欲しているかのように微かに震えていた。俺の血液が加速しながら全身を駆け巡る。相手に聞えてしまうのではないかと不安に思うほど激しく高鳴る心臓。俺は覚悟を決めて目を瞑り、来たるべきその瞬間を待ち侘びる。視界を闇に閉ざすからこそ、その他の感覚は冴えるものである。俺の頬に触れた細い女性の指。触れている肌に込められた僅かな力が、ぐっと相手が背伸びをした事を生々しく伝えていた。
「……うん?」
しかし、いくら待てど俺に福音は訪れない。不思議に思い目を開けると、両手を胸前組み、神妙な顔で何かを念じている藤代さんがそこにはいた。
「あ、あのう。何やってるんですか?」
強張っていた体の力が抜けると同時に俺の頭の上から何かがひらりと枚落ちる。それは一枚の葉っぱだった。葉っぱが落ちると同時に藤代さんは結んでいた謎の印を解き、不思議そうな顔で俺を見つめていた。
「あら? 忍者さんって確かこうやったら分身すると小さい頃アニメで見た事があるのだけれど」
「いや、しません」
忍者は魔法使いではない。葉っぱ乗せて念じただけで体が増えるなんてミラクルな体質はしちゃいないのだ。フィクションのようなトンチキ忍術など実際に使えるわけが――ないわけでもないが、少なくとも自分の体が二つ以上に増える術など俺は教わっていない。現実世界で分身の術を使おうと思うならば自分の代役を数人ほど周囲の物陰に潜伏させておき、煙幕で視界を遮ったところで待機していた分身役たちに出てきてもらう形になるだろう。限りなくそれに近い再現は可能ではあるが、とても実用的かつ効率的とはお世辞にも言い難い。ヘタすればそれこそ仲間共々一網打尽になり兼ねないからだ。〝みんなはひとりの為に〟なんて児童教育における道徳の授業のような甘っちょろい考えは香味の無くなったガムのように吐いて捨てるべき思念。寧ろ、味方を平気で斬り捨てるくらいの非情さを抱きかかえておくべきなのだ。そして同時に、自分も味方に殺されるという覚悟を背負って生きていかねばならない。敵に捕まってしまうくらいなら舌を即座に噛み千切るか口内に仕込んでいた毒を飲み込むか、もしくは手持ちの武器を使用しての自決をも厭わない。
殺し殺され、常に死と隣り合わせでいざという時は何の躊躇もなく死に花を咲かすのが忍の鉄則であり、唯一の美学。忍の道はとてもシビアなのです。
「ふぅ、お話していたら喉が渇いちゃった。何かおすすめはありますか?」
「あ、じゃあ私も注文したいです」
藤代さんは静琉ちゃんと相席し、俺は二人分のオーダー表をミーシャへと手渡す。それを受取ってにっこり微笑んだ。
「よく出来ました。今用意するから気をつけて運んでね」
何とも華がある光景じゃないか。若い女性に囲まれて働ける日が来るとは思わなかったな。あの戦場のような厨房とは別世界だ。洋菓子と女性特有の甘い香りに包まれて、まるで桃源郷にいる心地だ。
「お待たせいたしました。本日の日替わりケーキ、タルト・フリューイとダージリンティーでございます」
「まあ、綺麗。たくさんのフルーツがキラキラ光っていてまるで宝石みたい」
藤代さんがオーダーしたのは季節のフルーツをふんだんに散りばめたタルト。果物の自然な甘みを活かす為にタルト生地の甘さをあえて抑えてあると、俺が今左手に隠し持っているメモに記されている。ケーキセットを運ぶ際にミーシャが書いて渡してくれたものだ。客に何かを尋ねられて「わからない」という事が無いようにとの配慮だろう。提供したケーキや紅茶の事が細かく注釈してある。余白のところにピンクのペンで『彩音はフレッシュフルーツを使ったケーキが好き』と書かれていた。とてもわかりやすい説明どーもです。
「こちらはオランジェ・ショコラとロイヤルミルクティーでございます」
「チョコで包まれているのに中からオレンジのいい香りがする」
目を瞑って、オレンジの芳醇な香りを楽しむ静琉ちゃんに俺はすかさずケーキの説明に入る。美少女二人の前ともなれば、少しは格好つけたいというのが男心だ。左手の中に隠したメモを見ながらのカンニングではあるが、俺はそれを悟られないようにあくまで自然に振舞った。
「こちらのケーキにはスポンジ生地にスペイン産のバレンシアオレンジを、そして中のクリームにはイタリア産のブラッドオレンジを使用しており、それぞれ異なる二種類のオレンジを使用する事により、甘酸っぱさや爽やかさを最大限に引き出しています。風味をより引き立てる為にオレンジ系リキュールの代名詞、グランマニエを使用する事で、コーティングされたダークチョコレートの中からでも太陽の恵みを一身に受けた柑橘類の豊かな香りをお楽しみいただけます」
なんとか噛まずに説明し終えて満足な俺を余所に、静琉ちゃんはケーキに夢中のようだ。というか、まったく聞いていなかったっぽいぞ。まあ、いい。とりあえず最初の仕事は無事にこなした。
「その調子なら接客は大丈夫そうね。じゃあ次は店の前の掃き掃除、お願いね」
俺はミーシャから箒と塵取りを受取り、店の外へと出た。
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