第6話 初勤務とお客様②

「店から一歩出ればやっぱり日本だな」


 外はすっかり日も暮れており、時計は夜の七時半を示していた。どうにもあの店内にいると時間の感覚が狂う。これも店内から感じる異国の息吹のせいかも知れない。改めて店の周りを見回すと、辺りはおしゃれなデザイナーズマンションや高級住宅が多く立ち並んでおり、近隣に住む人たちの生活の豊かさが伺えた。


「こういう場所に住んでいる人っていうのは、きっと清楚で上品なマダムとかなんだろうなぁ……って、なんだ? さっきから聞こえるこのエンジン音は」


 閑静な住宅街、という優雅な響きをブチ壊す無粋な響きがどんどんこちらへと近づいている。音の具合からして時速は大体六十キロか。車……ではないだろう。いくらなんでもこんな細い路地をそんな殺人的なスピードで疾走するなんてよほどの狂人か免許持っていないかのどちらかだ。


「目視で確認出来ないがそろそろこちらと鉢合わせるか。どっから来る? 正面、いや後方? なっ……上か!?」


 言葉通り、相手はこちらの予想の斜め上を行く登場だった。見上げれば、四メートルほどの高さに大型のバイクが一台。まさか近隣住宅の囲いの上を爆走してきたというのか。無免許でもまだマシな運転をしそうなものだが。頭上から降ってきたバイクは二、三度アスファルトの上を跳ね、ドリフトで地面を滑りながらようやく停車した。


 V型ツインエンジンが奏でる激しいビート。往年のバイクファンを魅了してやまないアメリカンタイプの最高峰、ハーレー・ダビッドソンを駆って現れたのは、ドクロをペイントしたフルフェイスのヘルメット。服装は僧衣に袈裟という奇抜という言葉を更に幾光年すっ飛ばしたファッションセンスの御仁だった。


「あー、マジでごめん。怪我とか無かった系?」


 ハーレーから降りた男はヘルメットを取り、こちらに駆け寄る。逆立った金髪にサングラス、耳にはピアスをじゃらじゃら付けた渋谷とかでよく見る感じの兄ちゃんだ。しかし、首から下は明らかに坊さんのそれだった。しかも錫杖しゃくじょうまで持ち歩いているとはかなり本格的じゃないか。もしかして最近の都会じゃ吸血鬼に続いて僧侶スタイルが流行っているのか? これが今時のオサレさんなのか? もう全然わかんないよ都会。そして「怪我とか無かった系」って一体なんなんだよ。なんて返せばいいんだよ。


「あれ? あれあれ? その制服ってもしかして、おたくこの店の従業員?」

「へ? え、ええ。そうですけど」

「うお、マジでか。まさかミーちゃんが人を雇うなんて。何でまた急に……」


 俺の訝しげな視線をまったく気にする素振りも見せず、男は一人で顎に手を当てあれこれ考えている。ミーちゃんとはおそらくここの店主、ミーシャのことなのだろう。知り合いでなければこんな怪しい風体の男など早急に警察へ突き出しているところだ。いや待て。親しげに呼んでいるからといって知り合いであると結びつけるのは少々軽率ではなかろうか。もしかすると、ミーちゃんとはミーシャのことではないのかも知れない。この近所に住みついているノラ猫かも知れない。


「あ、あのう……失礼ですが、うちの店主とは一体どういった間柄でしょうか?」

「ん? そうさな。神仏に慈悲心があるように、俺の心には常にミーちゃんがいて、ミーちゃんの心には常に俺がいる……ユー・アンド・ミー・フォーエバーラブ! 的な?」

「いや、さっぱりわからん」

「まあ、要するに俺とミーちゃんは相思相愛。将来を誓い合った仲――ぶふぅ!」


 おお、今のは痛そうだったな。隙だらけの後頭部目掛けて見事なローリングソバットが決まった。男は物凄い勢いでふっ飛ばされ、顔を地面へと思いっきり強打した。蹴りを放ったのはもちろん、ミーシャだ。


「相変わらず適当なことをベラベラ並べてくれるわね、ゼンちゃん」


 引き攣った笑顔を張り付け、腕を組み立つミーシャ。その様はまさに金剛の仁王立ち。全身からは憤怒のオーラが滲み出ていた。


「や、やあ。相変わらずイイ蹴りだね。マイワイフ」

「もう一発いっとく?」

「もうお腹いっぱいッス。サーセンした」

 

 仲の良い悪いは置いておいて、知り合いであることは確かなようだ。


「ってか、ミーちゃん! そんなことより人を雇ったって俺聞いてないよ! しかも若い男だなんて!」

「別にあたしの店で誰を雇おうが勝手でしょ。それに彼、住む場所が無くて困ってるって言ってたから今日から住み込みで――」

「一緒に住んでるの!?」

「多少の語弊はあるけれど、まあ、間違ってはいないわね」

「男と同棲……俺のミーちゃんが他の男と……」


 何やらお経のようにブツブツ呟きながら男は意気消沈気味に電柱へと体を預けた。このままドロドロに溶けてバターにでもなるのではなかろうか。そう思うくらい凄まじい落胆ぶりを見せるゼンと呼ばれた如何わしさ抜群の男。その様を見たミーシャはニヤリと笑った。口角の端から覗く八重歯、もとい牙が何とも妖しげで、表情はまるで男をたぶらかす悪女のそれだった。少しだけ紅潮した顔を近づける。男の耳元にふぅっと吐息を吹きかけ、ミーシャは猫なで声でそっと呟いた。


「彼ね……毎晩とっても激しいの」

「ごふぉ!!」


 男の精神に会心の一撃。指一本さえ触れられていないというのに、男は激しく吐血し、そのまま動かなくなってしまった。今のミーシャの言葉は彼にとって相当なストレスとなったのだろう。背を大きく反るようにし、両膝をついたまま石像のように動かなくなってしまった。


「……この人、このまま干からびて即身仏にでもなっちゃうんじゃないのか?」

「……それは困るわね。何より店の前で死なれるってのが一番困るわ。おーい、ゼンちゃーん。今の全部ウソだから戻っておいでー。死ぬならせめてどっか余所で死んでちょうだーい」


 さらりと酷いことを言いながら、ミーシャは男の頬をぺしぺしと叩く。半分死にかけていた顔に見る見るうちに生気が戻っていく。若干、叩かれて喜んでいるように見えるのは気のせいだろうか。


「はっはっはっは! わかっていたさ。ああ、わかっていたとも! 俺のミーちゃんに限ってどこの馬の骨ともわからない男に操を捧げるほどふしだらな娘じゃないって! あ、そういえば自己紹介がまだだったね。俺の名は宗善そうぜん。まあ、見ての通りの〝僧職系男子〟だ。よろしくな、馬の骨クン!」

「スペシャル失礼な坊さんだな、おい」

「んで、おたくはどちらさん?」

「南雲です。南雲京介。歳は二十二歳。滋賀の山里から上京してきたしがない料理人見習い。只今、わけあってこの店で住み込みのバイトをして――」

「ミーちゃーん! 愛しているよー!」

「そっちから聞いておいて無視か」


 坊さんは俺の話などそっちのけでミーシャに熱烈なラブコールを送り続けている。それを適当にあしらうミーシャ。もう勝手にしてくれ。


「ふぅ、喋り過ぎて喉が渇いちゃった。せっかくル・ベーゼに足を運んだのだから茶の一杯でも飲んでいくとするかね。ソイツをどっか邪魔にならないとこに移動させておいてくれたまえ、キョーちゃん」


 坊さんは俺に向けてバイクのキーを投げて寄越す。先ほど落としていた錫杖を拾い上げた時、俺はギョッとした。見てしまったのだ。錫杖の中から覗いている刃物特有の冷たい輝きを。宗善さんは平然と鞘を閉じ、実に機嫌よく店の中へと入って行った。


「はあ、疲れた。じゃあ、京介。そのバイクは入口の横にでも停めておいて」

「ちょ、ちょっと待ってくれミーシャ! あの人を店に入れて大丈夫なのかよ!?」

「なにか問題なの?」

「あんな頭してハーレー乗り回すムチャクチャな坊さんがいてたまるか! しかも危険物持った相手を入店させるなんてどうかしているって! 中には他にもお客さんがいるんだぞ」


 あの男が持っていた錫杖。その中身は仕込み刀になっていたのだ。何故一介の僧侶がそんなものを持っているのか甚だ謎だが、もし店内で抜いて振り回されでもしたら堪ったもんじゃない。しかし、俺の当惑に反してミーシャは至って冷静だった。


「相手を見た目で判断し、蔑むのは実に愚かな事だわ。それにあんなもの、うちでは危険物には入らないの。それに、それを言ったらあなたも手裏剣とかクナイとか常に携帯してるじゃない。お互い様でしょ? うちの店で危険物に指定するとしたら……そうねぇ、強いて言えば銀製の弾丸、もしくは特殊な力が宿った聖剣や魔剣なんかは持ち込みお断りしているけどね」


 どこからツッコんでいいものやら。許容範囲のすべてが吸血鬼であるミーシャを基準にしているからか色々なものが麻痺していた。複雑そうな俺の顔を見て、ミーシャは牙が見えるほど口角を上げて、実に良い表情でニカっと笑ってみせた。


「そんな顔しないでも大丈夫だって。ケーキと紅茶を愛せる人に悪い人はいないわ」


 ミーシャはそう言って微笑むと、坊さんの後に続くように店へと戻って行った。

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