第7話 長い一日の終わり
改めて眺めた店内には、とても不思議な光景が広がっていた。
ゴスロリの美少女。お淑やかで可憐なお嬢様。金髪グラサンの坊主? が、楽しそうにティーカップを片手に談笑をしていた。
「関係性がまったく見えねぇ!」
我慢出来ずに放った俺の大声のツッコミに、店内にいる女性陣の肩がビクンと動く。ひどく驚かせてしまったようだが、どうしても叫ばずにはいられなかったのだ。なんの集まりだよコレ。
「びびび、びっくりした……」
「どうしたの? 南雲さん。急に大きな声を出したりして」
「ヘイヘイヘイ、キョーちゃん。もちっと穏やかにいこーぜ。俺が〝両手に花〟状態で羨ましいのはわかるけどさァ」
皆様の非難はごもっともだ。業務の最中にお客様の前で大声を張り上げるなど言語道断。接客業に準ずる者としてあるまじき行為だったと反省せざるを得ない。
「はっはっはっ、まぁまぁ、皆さん。いいじゃありませんか」
「つーか、アンタ誰だよ!!」
そうだよ、そうなんだよ。店に戻ってからずっと気になっていたんだ。もう我慢出来ねぇ。グレーのスーツにニワトリのマスクを被った「どうぞツッコんでください」と言わんばかりの奇妙奇天烈な出で立ちでコーヒーカップを持ちながら優雅に足を組んでいるそこの鶏男。店の前に居たが、あのファンキーな坊さん以外に入店した客はいなかったぞ。一体どこから湧いて出たんだこの〝妖怪・ひとり鳥人間コンテスト〟は!
「ちょっと、京介。
「いやいや、いいんですよ。ミーシャさん。私の姿を見たら最初は誰でもそういうリアクションを取りますよ。鳥だけにね!」
おっと、奇抜過ぎる見た目通り、少し面倒臭そうだぞ。ここはどう切り抜けたらいいのだろう。とりあえず笑っといた方が無難だろうか。めんどいし。
「鳥野さんはね、うちの店に卵を卸してくれている養鶏所のオーナーよ。同時に常連さんでもあるわ。鳥野さんのところの卵があるからこそ、うちのケーキは絶品なのよ」
紹介された鳥野さんは立ち上がると、俺の前にやってきた。座っていたから気付かなかったが、かなりデカいぞ。まるでプロレスラーのような体付きだ。今にもボタンがはち切れそうなスーツやシャツの下には、怖ろしいほど鍛えられた鋼のような筋肉を纏っているのがわかる。鳥野さんは俺に握手を求めて手を差し出し、こう言った。
「アイ・アム・鳥野です。よろしく」
「き、今日から働く事になった南雲です。こちらこそよろしく」
がっしり交わされた握手。握った鳥野さんの掌は肉体相応に力強く、岩のようにゴツゴツしていた。養鶏所の仕事というのは全く想像出来ないが、相当な肉体労働なのだろうという事が彼の手から伝わった。その奇抜な覆面と筋骨隆々とした肉体があるなら格闘家にでも転身した方が向いているんじゃなかろうか。本人もそういうのは好きそうだし。さっきの自己紹介も、彼とよく似た名前の某プロレスラーのモノマネを絡ませたものだろう。どうせやるならテンションも似せて欲しいものだ。そんな中途半端で似せる気の無いモノマネを見せつけられた側はどう反応すりゃいいんだよ。もう無理して笑っとこう。いやー、鳥野さん、マジやべーっす。
「ああ、ミーシャさん。ご注文の卵はいつものところに置いてありますので、早めに冷蔵庫へ保存してください。それじゃあ、私はこれで失礼します。コーヒーごちそうさまでした」
「ええ、御苦労さま。またお願いしますね」
ニワトリ仮面、もとい鳥野さんは他三人の客に惜しまれながら店を出て行った。どうやら周りからは慕われているようだ。あの異様な外見を許容出来るほど人徳があるという事だろうか。よくわからんが。
時刻は午後八時。この時間になると会社帰りの独身OLや水商売風の女性客で店内は若干の賑わいを見せる。俺は次々に押し寄せるオーダーをやっとの思いで捌き切り、ようやく一息つく事が出来た。
「御苦労さま。少し落ち着いてきたから一時間くらい休憩行ってきていいわよ」
「じゃあ遠慮なくいただくよ。どっか休憩室なところってあるの?」
「せっかくだから親睦も兼ねて彩音たちとテーブル囲んで来たら? ケーキとお茶を出してあげるからみんなと交流を深めて来なさい」
ミーシャの心遣いで俺はスコーンとアールグレイのホットティーを貰い、三人がいるテーブルへと加わった。
「あらあら、南雲さん。いらっしゃーい」
「休憩ですか? お疲れ様です」
「おお、キョーちゃん! 遠慮せず俺の隣に来たまえよ」
突っ込むのにすら疲れた俺は、指定された席へと座る。全身をほぐすように溜息を一つ吐く。正直かなりしんどい。体の疲れだけでは無く、心労的な疲れの方がかなり大きかった。まったく違う環境で初めての仕事。それだけでも精神的な負担は結構なものだ。加えて妙な客との出会いや現状の根本である吸血鬼の少女、ミーシャとの出会い。改めて考えると、相当濃密な半日を過ごしていたものだと思う。そりゃ疲れもする。
「今ね、三人であの噂について話していたの」
藤代さんは神妙な面持ちで顔をずいっと近づけ語りかける。
「えっと、噂って?」
「例の吸血鬼殺人事件です」
静琉ちゃんの言葉に飲み込んだ紅茶と心臓が逆流するような感覚が喉元へと押し寄せる。なんとか口外へと噴出される寸前で踏み止まり、お客様の前での粗相は回避することが出来た。
「ゲホ、ゴホ、ちょっ、静琉ちゃん。ここで吸血鬼の話は――」
「大丈夫ですよ。犯人はミーシャちゃんじゃないって私たちは知ってるから」
ニコニコ微笑みながら藤代さんはそう言う。どうやら、静流ちゃんだけでなく、少なくともこの常連客グループはミーシャが吸血鬼だと知っているようだ。やっぱ都会では吸血鬼がいるなんて常識なのだろうか。タレント、外国人、吸血鬼。やっぱり奥が深すぎるぜ都会。
「しっかし、ミーちゃん以外にもヴァンパイアっているんだねえ。ひょっとしたら、ミーちゃんと同じくらいスゲー美人かも」
「でも、女性ばかり狙われてるっていうのがやっぱり怖いわ。夜道には気をつけなきゃ」
「寧ろ私は噛まれたいです」
「吸血鬼も楽じゃないわよ。ハイ、お冷」
水の入ったヴェネツィアングラスを人数分持ってきたミーシャが話に加わった。
「えー、でもドラキュリーナってカッコ良くないですか? ダークな魅力っていうか、魔性の女っていうか。とにかくそういうのに強く憧れちゃうんです」
「わかるわぁ。私も小さい頃テレビアニメの魔女っ子に憧れたもの。こう、ステッキをくるくる回して呪文を唱えてへんしーん、みたいな」
「魔女がどうかはわからないけど、吸血鬼はとにかく食事に一番困るわよ。あたしは特製ドリンクでなんとか禁断症状を抑えているけど、一日でも欠かすと身近の人間を襲わない自信が無いわね。人殺しなんて野蛮なコトはしたくないし、静琉ちゃんにもして欲しくないな」
俺は、先ほどミーシャが空腹で倒れたのを思い出すと、吸血鬼というのもそれはそれで大変なのだろう。もしあそこで俺があのドリンクを持っていなかったら、今頃ガブリとやられていたかも知れない。うおっ、怖っ。
「まあ、最近噂の吸血鬼っていうのがどんな奴かは知らないけど、気を付けるに越した事は無いわね。血を全部吸いつくして殺しているって事は血族に加える気はサラサラ無さそうだし」
女性陣二人の顔色がどんよりと曇る。流石の静琉ちゃんも肝を冷やしたのだろう。やっぱり本物の吸血鬼による説法は人間のそれよりも遥かに効力がある。効き過ぎて完全に怯えちゃっているが、警戒心を煽るにはいい薬だろう。命に関して言えば用心し過ぎて困る事などない。
「彩音っちはいつも通り迎えの車が来るとして、静琉ちゃんは徒歩でしょ? 流石に女の子の一人歩きは危ないから俺のバイクで送ってってあげるよ。つーわけで、キョーちゃん。三人分のお会計を纏めておくれ」
「あ、はい。かしこまりました」
ちょうど休憩も終わりだったので、俺はレジへと向かい三人分の会計を纏めて受ける。
「六千七百円のお返しで――あれ?」
坊さんは一万円を差し出すと、釣りを受け取らずひらひらと手を振りながら背中越しに一言「釣りは取っときな」とだけ伝えて店を出て行った。
「いただいておけば? あーいう人なのよ。ゼンちゃんって」
なるほど。女性に対する気遣いといい、見た目とは裏腹に根っからの変人というわけでもないらしい。意外と紳士らしい一面も持っているようだ。
「じゃあ、私もそろそろ行くわね。おやすみ、ミーシャちゃん」
「ごちそうさまでした。おやすみなさい」
二人は坊さんの後に続いて店を出て行った。
「さて、そろそろ大雨が降りそうだから客足も減るわね。あたしも少し休憩しようかしら」
街頭のモニターで見た天気予報ではしばらく快晴マークが続いていたのを思い出す。梅雨明け早々大雨が降るなどにわかに信じがたいが、店の外でうなりを上げ始めた稲妻の音が俺に天候の崩れを教えた。しばらくして窓を打ちつける強い雨風の音が店内に響く。ミーシャは自分用に淹れた紅茶のカップに口をつけ、少し嬉しそうに閉ざされた窓を見上げた。外の様子などわかるはずもないのに、何故雨が降るとわかったのだろうか。
「外の空気に水気が多く含まれていたわ。それだけわかれば天候なんて充分把握出来るものよ」
目を瞑り、雨音のリズムに合わせて鼻歌を唄うミーシャの横顔は、あどけない人間の少女そのものだった。
「あら、もうすぐ日付が変わるわね。京介、だいぶ眠いんじゃない?」
「あはは、実はかなり眠いかも。今日は色々あり過ぎてかなり疲れたよ」
「でしょうね。今日はもうあがっていいわよ」
「ミーシャはどうするんだ?」
「客足は途絶えてもまだ営業時間内だから、店番を兼ねてここでゆっくりお茶してるわ。おやすみ、京介。また明日もよろしくね」
日没と共に開店し、日の入り前に閉店する不思議な洋菓子店、ル・ベーゼ。
長かった俺の一日が、ようやく終わった。
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