第16話 ヘレナ

「おい、ミーシャ。聞いてないぞ」

「何がよ?」

「確か、俺以外の人は雇っていないみたいなこと言ってたよな?」

「ええ、言ったわ。それに関しては別に間違ってないじゃない。ヘレナちゃんと戦ったなら、彼女の正体も知ってるでしょ? 人を雇ったのは、間違いなくあなたが初めてよ」

「……」


 確かにロボットは人ではないが、それは詭弁ってもんですよ店長。


「そういえば、なんで彼女は吸血鬼を追っているんだ? 吸血鬼になんか恨みでもあるのか?」

「あたしも詳しくは聞いていないけど、何でもそうプログラムされているらしいわよ? 気になるなら本人に直接聞いてみたら? 仲良くなれるチャンスかもよ」


 楽しそうに笑うミーシャは俺の肩をポンと叩き「頑張ってね」とだけ言い残し厨房へ籠ってしまった。着替え終えて戻ってきたヘレナはというと、俺から離れた場所のテーブルを黙々と拭いている。向こうからこちらへ接する気はサラサラ無いらしい。やはりここは俺から歩み寄るしかなさそうだ。同じ職場で働く以上、まったくコミュニケーションを取らないわけにもいくまいよ。


「あ、あのさ」

「んだよ、蜘蛛男」


 仇でも見るような鋭い視線が俺に向けられる。まあ、当然か。実質、一回殺したようなもんだし。護身の為とはいえ、斬鋼線の使用。及び、地雷蜘蛛の術は流石に過剰防衛だったか。普通の人間ならまず確実に死んでいるところであるから、戦った相手とこうしてまた話せる機会を得たことはとても貴重だ。だからこそ、一言だけどうしても彼女に伝えておきたかった。


「なんていうか、昨日はごめん。ただ、それだけ言いたくて」

「……ふん、別にいいさ。間違って仕掛けたのはうちの方だし。こっちこそ悪かったな」


 意外だった。ぶっきらぼうな物言いだが、彼女から謝罪の言葉が出てくるとは。


「そういえば、腕は大丈夫?」

「人間と違ってうちはアンドロイドだからな。体の故障は換えりゃ済む。ただ、昨日の電撃で一部のセンサーや計器はまだイカれたままだけど、戦闘以外の行動に支障はない」

「そう言えばさ、なんで吸血鬼を探しているんだ?」

「退治する為に決まってるだろ。人間を脅かす人外やバケモンの類いをブッ殺す為にうちは造られたんだと」


 吸血鬼を退治する。それを聞いて俺はハッとなった。ここの店主は何ぞや? 紛うこと無き正真正銘の吸血鬼ではないか。彼女はそのことを知っているのだろうか? いや、多分知らないのだろう。知っていたならと考えただけでもぞっとする。周りは民家も多い上、店には静琉ちゃんもいる。無関係な人たちに被害が及んではいけない。ここは是が非でもミーシャの正体をこのヘレナに知られるわけにはいかない。


「たんたんたったーんタルトたたーん♪」


 こちらの不安など素知らぬ様子で、当人は陽気に歌など口ずさみながら新しいケーキを陳列しにホールへと戻ってきた。焼き上がったばかりのケーキの甘く香ばしい匂いが店内に広がった。


「今日はりんごがたくさん届いたからタルトタタン作っちゃいましたー。上に乗ったキャラメリゼがアマアマでウマウマよ」

「うおー、姐さん流石っす! マジうまそーっす! うち機械だから匂いも味もわかんねぇけど、とにかくすごいのは伝わったっす!」

「でしょー? まあ、味に関してはあたしもまったくわかんないんだけどねー」


 今でこそああして互いに仲睦まじく笑っているが、もし万が一、ヘレナがミーシャの正体を知ったらどうなるのだろう。昨夜のような激烈な攻防戦がこの店内で繰り広げられる。人ならざる者同士の戦いだ。ヘレナの本気はおそらくあんなものではないはずだし、ミーシャに至ってはその秘めた力の片鱗も見せていないだろう。その彼女たちが及ぼすであろう被害が尋常一様であるはずがない。この店の中だけで留まれば良いが、最悪の場合、街の一つや二つ余裕でサラ地にしかねない可能性を秘めているというのが非常に厄介だ。


「というわけで、ハイ。あーん」

「……そのフォークを俺にぶっ刺すつもりか?」

「バカね。そんなわけないでしょ。味見よ味見。ほら、前にも言ったでしょ? あたしヴァンパイアになってから食べ物の味がわからないの。だから代わりに味見を――」

「って、危惧してる傍からうおーい!」


 俺は慌ててミーシャの口を手で塞いだが、時既に遅し。ヘレナは黙ったまま俯き、肩をぷるぷる振るわせていた。


「今の……聞いちゃった?」

「おい、お前……」

「いや、待てヘレナ! これは違うんだ!」

「姐さんに気安く触れてンじゃねぇぞ! このウジムシがァ!」

「って、俺かよ! うおっ、危ねぇ!」


 真っ先にミーシャを攻撃するかと思えば、意外にもヘレナの蹴りは俺に向けて放たれた。何とか当たる寸前でなんとか避けることが出来たが、一体何故ヘレナはミーシャでなくこちらを攻撃したんだ? 吸血鬼を見つけたら倒すようにプログラムされているのではなかったのか? あとウジムシは言い過ぎじゃないか?


「危ないでしょ、京介。いきなりあたしの口を素手で塞ぐなんて何考えてるのよ。もし牙に当たって傷でも負ったらどうするつもりよ。あなた、人間をやめてヴァンパイアにでもなるつもりなの?」

「そうだぞ。うちだって同僚の尊い命を奪うなんて真似は出来ればしたくはないからな」

「お前、今さっき俺のこと完全に殺すつもりで攻撃してきたろ。相変わらず殺気は感じなかったけど目がマジだったぞ。しかもウジムシ呼ばわりまでして。いや、この際それは置いとくとして、お前、ミーシャが吸血鬼だってこと知ってたのか?」

「おうさ。うちに姐さんのことで知らないことなんかあるわけないだろ」

「ならなんでミーシャを攻撃しないんだよ。吸血鬼退治が任務なら真っ先に狙うべきは俺じゃなくこっちだろ」

「うちのマスターに言われたんだよ。姐さんはハイパー美人で菩薩様のような慈悲心を持った素敵で無敵な吸血鬼だから自分のお姉さんのようによく慕い、助け、寄り付く悪い虫は一切の情け容赦無く徹底的に殲滅駆除しちゃいなよ、って」


 ミーシャよりも控えめな胸を張り、得意気な面を下げて物騒なことを抜かす人型兵器娘。そうか。こいつが機械であるということは、こいつを作った人間がいるってことか。ここまで精巧なからくり人形を作れるなんて頭脳はずば抜けて優秀なのだろう。しかし、技術力は賞賛に値するが、もうちょい何とかならんかったのだろうか。口は悪いし凶暴だし。これの所持者である〝マスター〟とやらの顔を是非とも拝んでみたいものだ。


「よー、キョーちゃん。どったの? なーんかなテンション低くなーい? こんな美女たちに囲まれてんだからもっとこー、アゲてかないと」


 ひどく陰鬱な気分を抱えた俺の肩をポンと叩くファンキーな坊さんが一人。ここの常連で現職の僧侶、宗善さんだ。


「ああ、宗善さん。聞いてくださいよ。実はこのロボ娘が――」

「なぁなぁ、マスター。美人って、うちも含まれてる?」


 聞き間違いだろうか? 今、ヘレナはこの生臭坊主に向かってマスターと呼ばなかったか?


「当たり前だろ。今日もサイコーにイケてるぞ……って、ヘレナぁ。いつも言ってるだろ? 俺のことは和尚と呼べって。ちゃんと言いつけ通りミーちゃんの手伝いをしてっか?」

「おーともさ、マスター! あ、ちなみについさっき姐さんの唇に触れた悪い虫を退治しようとしたところだよ」

「な、なにィ! そ、それはどこのどいつだァ!?」

「マスターの隣にいるそいつだァ!」


 ヘレナの指が俺を差す。宗善さんはしばし無言で俺の顔を見つめた後、サングラスを少し指で押し上げヘレナに向き直る。


「いいか、ヘレナ。俺は普段から言ってるよな? 殺生とはこの世で最も愚かで罪深い行為であると」

「うっす、マスター」

「でもな、それには例外がある。言ってみろ」

「神罰の代行と姐さんに近寄る愚か者を排除する場合にのみ、これが許される!」

「その通り! これは言わば救済。咎人にその身を以って正しきを示す魂の救済なのだ。苦痛を与えることなく一瞬で仕留めることがせめてもの慈悲というもの。さあ、ヘレナ! お前の清き一撃で、痴れ者に救いを与えるのだ!」

「アンタだったのか。この娘にヘンなこと吹き込んだのは」


 ミーシャに目配せを一つすると、溜息を吐きながらゆっくり頷いてくれた。店主から許可が下りたと同時に俺はクソ坊主をグーで思いっきり殴ってやりました。良いことはするもんだなって思いました。


「痛てて、冗談に決まってるじゃん、キョーちゃんてばぁ」

「俺は昨日彼女に殺されそうになったんですよ? 冗談にしては性質が悪過ぎます」 


 げんこつを喰らった頭を擦りながら、宗善さんは静琉ちゃんと同席し、アイスコーヒーを注文した。


「しっかし、ヘレナをあそこまで派手に壊すなんてどんなバケモノかと思えば、まさかキョーちゃんだったとは。いやはや、人は見かけじゃわからんもんだねぇ」

「南雲さんは甲賀の里の忍者らしいですよ。ゼンさん」

「何その設定。ヤバくね? マジウケる」

「静琉ちゃん。そのことはあまり人には言わないで欲しかったな。宗善さんの方は後でもう二、三発殴らせてもらいます。というか、俺も驚きですよ。まさか宗善さんがヘレナのマスターだったなんて」

「ヘイヘイ、キョーちゃん。そんな堅っ苦しい呼び方はやめてくれよ。もっと軽くゼンって呼んで欲しいな。俺たち、拳でアツく語り合った仲。言わばマブダチじゃん」

「語り合ってはいないです」

「それにミーちゃんから聞いたんだけど俺たちタメみたいだしね」

「えっ、そうなんですか?」

「いや、実際は二十四で俺の方が二つ年上みたいなんだけどねー」

「じゃあタメではないな」


 なんで少しだけサバを読んだのか。それにしても、見た目からそこそこ若いだろうとは予想していたが、まさかまだ二十代前半だったとは。この女性が圧倒的に多いこの店で、近しい年頃の男性と出会うというのは、なかなか貴重なのだろう。そう考えると、彼がこちらに親近感を抱くのもわかる気がする。


「しかしゼンさんに機械いじりの才能があったなんて驚きだな」

「機械いじりっつっても、俺、バイクぐらいしかいじったことなかったけどね」

「またまた。だってヘレナを造ったんだろ?」

「いや、俺がヘレナを造ったワケじゃないぜ。修理くらいなら出来るけど」

「え、じゃあどういう経緯で彼女と出会ったんです?」


 ゼンさんはグラスに残ったコーヒーを飲み干し、背もたれに体重をかけて天井を仰ぎながら語った。


「あれは確か……二年前だったかなぁ。俺ってバイクが趣味なんだけど、それでよく愛車のパーツを取り寄せる為に海外のバイク専門通販サイトを利用するのさ。そん時買ったのは、確かマフラーとサスペンションだったかな? 他にも諸々云十万の買い物をして届くのを楽しみに待ってたのよ。んで、何故か届いたのがあの娘だったってわけさ」


 ゼンさんは口に咥えたストローをショーケース周りの拭き掃除をしているヘレナへ向けた。


「なんでバイクのパーツ買ったのに女の子ロボが届くんですか」

「そら俺だってびっくりしたさ。多分、どっかと間違ってこっちに発送されちゃったんだろうよ。まあ、すぐさま送り返せば良かったんだけど、ホラ、うちは女人禁制のむっさい寺院じゃん?」

「いや、知らんけど」

「機械とはいえ女の子。やっぱり……ねぇ? 少し気になるじゃない。そんでまあ、付属の取説を読みながら電源を入れてみたらなんか妙に懐かれちゃってね。結局、寺で面倒を見ることになったのよ。うちの寺、ただでさえ男だらけで女断ちをしてる連中ばかりだから皆やたらソワソワしちゃってさ。焚き付けてあれだけど、煩悩を払ういい修業になってるよ。あ、ミーちゃん。コーヒーおかわり!」


 ミーシャの運んで来たグラスを受け取り一口飲むと、コースターにグラスを置いてゼンさんは話を続けた。


「こうしてヘレナと出会ったのも合縁奇縁仏縁ってな。今じゃ寺の皆にとっても、あいつは家族のような存在なのさ」


 接客をしているヘレナの姿を見つめるゼン。サングラス越しだが、まるで親兄弟に向けるような温かい視線を確かに感じた。


「ゼンさん。一つ質問があるんですけど」


 今まで黙々とケーキを食べていた静琉ちゃんが会話に加わった。


「オーケイ。遠慮なく何でも聞いてくれ。静琉ちゃん」

「ゼンさんって住職さんってことはお寺に住んでるんですよね? 私はあまり宗教に詳しくないからわからないんですけど、お寺で修道服っていうのは宗教上あまり好ましくないんじゃないのですか?」

「まあねー」

「えっ、じゃあなんで……」

「見ての通り、ヘレナはあの顔立ちだ。和服よりも洋服。尼さんの格好よりシスターの方が似合うのではなかろうかとね。いやね、ヘレナの入ってた箱には白い修道服を改造した妙な衣装が同封されてたんだけどさ。でもシスターといえば基本は黒じゃね? っつーわけであれを着せてるのよ」

「要するに、あれはアンタの趣味か」


 そんな他愛も無い話をしていると、時間というものはあっと言う間に過ぎてしまう。時計の針は間もなく零時を示す頃だった。静琉ちゃんとゼンが帰った後も俺とヘレナの仕事は終わらない。この時間になると客足もだいぶ減るので店内の清掃と売り上げの集計を行うのだ。ヘレナが掃除で俺がレジの集計。これが終わる頃には日付が変わっているだろう。

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