第15話 先輩アルバイター登場

 昨日より少しだけ早い時間に俺は目覚めた。部屋の中は相変わらず暗く蒸し暑い。窓もカーテンも閉め切っているおかげで今が朝か夜かの区別がつかないが、それでも周囲の音さえ聞ければ大概の状況は把握出来る。例えば、外から小鳥の囀りが聞えていれば少なくとも今が夜ではないということはわかるし、更に耳を澄ませてみて屋敷の中から物音がしないのであればミーシャはまだ寝ているということになる。あの後、店に戻ってから日が昇るまでケーキの仕込みをしていたみたいだから無理もない。


「さてと、起きるか」


 顔を洗って外に出れば、強い日差しが直下で降り注ぐ。今日も快晴。殺人的なまでに暑い。俺は店の軒先に打ち水をして郵便受けから新聞を取る。これが家主から仰せつかった俺の朝の仕事だ。一通り終えたら取ってきた新聞類をリビングのテーブルへと置き、シャワーを浴びる為に浴室へと向かう。とりあえず寝ている間にかいた汗と外で吹き出た汗を冷たい水で流してしまうとしよう。


「ふーっ、さっぱりした。って、あれ。もう起きてたのか?」

「ひぃっ! き、京介じゃない。お、おはよう」


 シャワーを浴び終えてリビングへ顔を出すとミーシャが素っ頓狂な声に迎えられた。はて? 別に脅かしたつもりは無かったのだが。一体何をそんなに狼狽しているのか。そして俺の気のせいでなければ、咄嗟に何かを隠したように見えたのだが、それと何か関係でもあるのだろうか。


「なあ、ミーシャ」

「あ、京介。コーヒー飲むでしょ? 飲むわよね? 今淹れるからそこに座って待ってて」 

「お、おう」


 この露骨な話の逸らし方。やはり何か隠しているのは間違いない。後ろを向いたミーシャのズボンの後ろポケットに何やら茶封筒らしき物が見えている。俺がテーブルに置いた郵便物の中に紛れていたものだろう。コーヒーサイフォンに気を向けている今が好機。俺は気配を消し、そっとミーシャの背後に忍び寄り、その茶封筒をこっそり抜いた。


「お待たせ、京介……って、あー! それはダメ! 見ちゃダメ! 返しなさい!」

「なんだよ、見せてくれたっていいだろ。あ、しかもこれやっぱり俺宛ての封筒じゃねぇか」

「いいから返しなさい! オーナー命令よ!」


 リビングを所せましと繰り広げられる封筒争奪戦。それが忍と吸血鬼となると世間一般のそれとは比べものにならない。周りの食器や家具には一切触れず、縦横無尽に動き回る。常人には残像を視界で捉えるのがやっとだろう。


「ううー、かーえーしーなーさーいー」


 俺の腕を必死に掴み、若干涙ぐんでいるミーシャを見て結局根負けした俺は大人し封筒を返す事にした。よっぽど見られたくなかったものだろう。俺宛てなのが気にはなるが、まあ、いいか。大方、俺の名前を使って懸賞にでも応募したのだろう。


「もう、油断も隙もあったもんじゃないんだから。とにかく、これはダメなの」


 そう言うと、ミーシャは封筒を自身の小ぶりな胸の谷間へ挟むように隠した。いやいや、そこまでしなくても、もう取らないってば。


 開店時間を迎えたル・ベーゼは、本日も良く言えば非常に平和だ。それというのも、やはり駅前に新しいケーキ屋が開店した影響だろう。オーナーのミーシャはショーケースの前で大きな欠伸をしている。いくら客が少ないからといって気を抜き過ぎではなかろうか。こうも続けて閑古鳥が鳴いていると、働いている従業員側としては色々心配になってくるものだ。ライバル店を陥れる為に本当に毒を盛ってくるように指示されるか、はたまたメイド服での接客を強要させられるか。どっちも嫌だが、メイド服を着て接客なんて生き恥、とてもじゃないが耐えられそうにないぞ。


「そういえば、南雲さんってお誕生日いつですか?」


 そんなことを考えていると、本日も開店一番乗りでやってきた常連の静琉ちゃんが俺に話しかけた。


「えーっと、確か六月の十日……だったかなぁ。急にそんなこと聞いてどうしたの?」

「いえ、単なるスマホの占いサイトですよ。自分の星座を打ち込んでその日の運勢を占うありきたりなものですが、結構当たるって評判なんですよ」

「へー、占いかぁ」

「お嫌いでした?」

「いや、そんなことはないよ。俺の友人にも星占いが得意なヤツがいてね。元気にしてるかなぁってさ」

俺は里一番の占星術師で飛針の名手である柳井法仙やないほうせんを思い出していた。気の良い奴で、折に触れて吉凶を占ってくれたものだ。


「ハイハイ、あたしも占って! 主に恋愛運とか」


 俺の後ろからひょっこり顔を覗かせたのはミーシャだった。手には泡だて器と生クリームの入ったボウルを抱えている。わざわざ作業を中断して厨房から出て来るとは、よほど占いが好きらしい。


「いいですよ。ミーシャさんは何座ですか?」

「ふたご座よ」

「お二人ともふたご座なんですね。えーっと、今日のふたご座の運勢は……」


 静琉ちゃんはそれだけ聞くと、何やら画面を指で器用に押して操作している。今はもう慣れてしまったが、初めて都会に来た時はこの光景に不気味さすら覚えたものだ。街行く人々が皆一様に俯きながら携帯電話を操作している。誰も彼も何かに取り憑かれたかのように黙々と動かす指と視線。これを不気味と言わず何と例えようか。そんなトラウマに近い光景のせいで俺は未だに携帯電話というものを所持出来ずにいる。都会で知り合った全ての人間は口を揃えて「無いと不便だ」と言うが、どうにも抵抗がある。俺の中では携帯=精神を蝕む道具と同義なのだ。


「出ました。今日のふたご座の運勢は十二星座で最下位みたいですね。トラブルが舞い込む恐れあり。男性の場合、女性絡みで一悶着あるかも、だそうです」


 静琉ちゃん曰く、今若い女性の間で注目されている占いサイトだそうで、的中率が九割を超えるのだそうだ。しかし、女性関係と言われても俺にはあまり関係ないように思える。


「ミーシャさん。そういえば、今日ってヘレナちゃんの出勤日ですよね?」

「そうね。七時からだからそろそろ来るかも」

「えっ、ここって俺以外にも従業員がいるのか?」

「うーん、従業員っていうか、バイトっていうか、お手伝いさんみたいなモンよね。週一で接客の仕事してもらってるのよ。あれ? 言ってなかったっけ?」

「うん、初耳だね」


 名前から察するに外国の方だろうか。ちゃん付けで呼ばれているということは女性なのだろう。腕時計で時刻を確認すると、七時まで残り十分。そろそろ先輩がお見えになる頃だ。


「ちーっす! お手伝いに来ましたぜ、姐さん!」


 元気よく店の扉を押し開けてやって来た噂のヘレナさんと思しき人物は、金髪で修道服を着た小柄の女性だった。背中には馬鹿デカい棺桶を担いでいる。案外、星座占いというのもバカに出来んのかも知れない。


「……あん? って、お前は昨日のタマ無し野郎! わざわざここで待ち伏せするなんてジョートーじゃないのさ。ここで会ったが百年目! 昨日の借りはキッチリ返させてもらうぞ! 今すぐ表に出ろやコラァ!」


 とても見覚えのある少女が、俺を指差して男の尊厳を大きく傷つける罵声を大声で浴びせる。紛れもなく昨日俺を襲ってきたシスターだ。なるほど、女性(型ロボット)絡みで一悶着。広い目で見れば例の占いは的中している。昨日切断してやった腕はどうやら修理済みのようだ。


「タマ無し野郎って、京介……。え、本当に無いの?」

「いや、冗談でも男はかなりへこむから止めてくれ」


 憐れみの視線をこちらに向けるミーシャに昨夜の出来事を説明した。正直、もうアレと戦うのは御免蒙る。


「ふーん。だからあなた昨日忍装束で帰って来てたのね」


 ミーシャは理解してくれたみたいだが、ヘレナはどうやら頭に血が……もとい、オイル? いや、電気? とにかく、なんだかよくわからんエネルギー的なものが頭に上っているようで今にも俺に噛みつかん形相だ。


「あー、ヘレナちゃん。その人ね、常人離れした動きしたり妙な術とか使うかもだけどヴァンパイアじゃないの。しばらくうちの店で働くことになった従業員だから、仲良くしてあげてちょうだい」

「うぐっ、姐さんがそう言うなら……」


 持ち上げた棺桶を俺の頭上でピタリと止め、悔しそうに俺を睨む。どうやらミーシャには従順のようだ。


「二人とも顔見知りのようだけど、ちゃんとした自己紹介はヘレナちゃんが着替えてからしてちょうだい」

「……了解ッス。更衣室お借りします」


 不貞腐れた面を下げ、ヘレナは巨大な棺桶を背負ったまま更衣室へと向かって行った。こりゃ完全に嫌われてるな。

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