第17話 招かねざる者


「うん。金額に誤差は無し。これでオッケーだな」

「っしゃ! こっちも終わったぁ」

「二人とも御苦労さま。少し休憩にしましょう」


 ミーシャの淹れてくれた紅茶の香りを楽しみつつ、お茶請けのクッキーに手を伸ばそうとした時、不穏な気配を感じて俺はその手を止める。真夜中だというのに幾つもの足音がこちらへと向かって来ているのだ。嫌な予感が扉の向こうからビシビシと伝わってくる。ヘレナは更衣室へと向かうと、何事も無かったかのように巨大棺桶を背負って戻ってきた。どうやらヘレナも気づいているようだ。


「……」


 ミーシャも気づいていないハズはないだろうが、特別警戒している素振りはない。依然とリラックスした様子でティーカップを傾けている。店の扉が開いたのは、ミーシャがカップをソーサーの上に戻したのと、ほぼ同時だった。


「見つけたぞ、女」


 現れたのは黒い外套を纏った三人の男。何処のどちら様かは知らないが、少なくとも客ではないことは確かだ。


「我らが主の命である。是非ともご同行願いたい」

「貴様に拒否権は無い。有るのは服従のみである」


 尋常ならざる殺気や狂気の入り混じった禍々しいオーラが俺とヘレナに向けられている。邪魔者である俺たちを始末してでも拉致するつもりなのだろう。


「使いを寄越して自分は顔を出さないなんて随分といい御身分だこと。それで、どこの誰なの? あなたたちの主って」


 ミーシャは二杯目の紅茶をポットからカップに注ぎながら招かざる客に問う。


「答える必要はない」

「最近この辺で女性ばかり狙っているヴァンパイアって、あなたたちのこと?」

「答える必要はない」

「あっそ。まあ、別にいいけど。それで、誰がいく?」


 ミーシャが俺とヘレナに視線を交互に送る。いや、誰も何も、ここは吸血鬼退治専門のヘレナしか――


「うちパス!」

「おい待てコラ。お前、自分の存在理由を忘れたのか」

「んなワケないっしょ。けど、今回は場所が場所だからな」


 確かに。ヘレナが奴らと一戦交えれば店の全壊は必至。「表に出ろ」と言って「ハイ、わかりました」と素直に従う連中とも思えない。つーことは、ここは俺がいくしかないのか。うわー、マジでか。不死身の吸血鬼を相手にどう戦えっていうんだよ。


「そう難しい顔しないで大丈夫よ。吸血鬼全員が全員不死身ってわけじゃないわ。あの程度の三下クラスなら傷や病の治りが早いってだけで、首を切り落とされるか、再生が追い付かないくらいたくさん攻撃されれば死ぬわ。火なんかも有効だけど、店内ではやめてね。それじゃ、ヨロシクねー」


 結局、俺が奴らの相手をするしかないらしい。料理人になる為に田舎から上京してきたというのに、していることは里にいた頃とあまり変わっていないじゃないか。強いて変わったとすれば、今回の相手は人間ではないということだけだ。


 溜息を吐きながら立ち上がった俺へ殺意を集中させる三人の人外たち。おーおー、あちらさんはヤル気満々のようだ。


「我らに盾突くつもりか。か弱き子羊よ」

「人間にしては勇敢。だが、愚かだ」

「邪魔をするのなら容赦しない」


 奴らが一歩踏み出そうとした時、俺は人差し指をピンと立てる。本当なら教えてやる必要は微塵も無いのだが、せっかく掃除した店内をまた汚すという事態は出来るなら避けたいところだ。また汚したら掃除したヘレナに何を言われるかわかったもんじゃない。なにより、穏便に済むならそれにこしたことはない。


「そこから一歩でも前に出ると地獄を見るぞ」


 暗に「振り返ってそのまま出て行け」と促したつもりだったが、どうやら彼らの闘争心に火を着けてしまったようだ。


「面白い! やれるものならやってみろ!」


 三人の男が鋭い牙を剥き出しこちらへ飛び掛かって来たところを、瞬時にクナイを投げて迎え撃つ。刃先にはサソリや毒グモなどの有毒虫から精製した蟲毒こどくをたっぷりと塗ってある為、掠っただけで悶え苦しみ、徐々に相手を死に追いやる代物だ。古来より甲賀忍が暗殺に用いた毒で、口から泡を吹いて倒れている彼らを見てもらえれば、この毒が如何に強力なものであるかが分かってもらえるだろう。


「お見事。じゃあ、その調子で後続の連中もお願いね」

「え?」


 ミーシャが指差した店の入り口からはぞろぞろと黒衣の男たちが店内へと侵入してきた。慌てて他の暗器も取り出して連中を仕留めていくが、どうにも人数が多過ぎる。一人ずつ相手していてはキリが無い。一気に纏めて蹴散らすのが得策ではあるが、それには店主に許可を取らねばならない。


「ミーシャ。店のテーブルや備品が幾つか壊れるかも知れないけど、いい?」

「ダメに決まってるでしょ。この店にあるものって、どれも結構高いんだから。もし壊したらその分は給料から天引きだからね」


 手っ取り早く斬鋼線で一掃しようと思ったのだが、やはり許可は下りなかった。


「じゃあ、このナイフとフォーク使ってもいい?」

「ダーメ。食器で遊ばないの」


 手持ちの飛び道具が無くなってしまったので、これらで代用しようと思っていたのだが、それすらもNG。うーん、いよいよ困ったぞ。残りは爆薬系しか無いんだよな。


「どうやら武器が尽きたようだな。では、今度はこちらの番だ」


 迷っている暇は無い。俺は減給覚悟で腕に巻きつけてある斬鋼線を走らせようと構える。だが、それよりも早く俺の横を疾風のようにミーシャが駆けた。


「おあいにく様。今度もこっちの番よ」


 ミーシャの手にはいつの間にか一振りの剣が握られていた。切っ先から柄元まで真っ赤に染まったそれを飛び出した勢いを殺さぬまま吸血鬼の一人に突き刺した。


「な……かはっ……貴様っ! もしや……!?」

「あたし、お喋りな人はキライなの」


 ミーシャは狂気交じりの笑みを浮かべ、刃を男の体のさらに奥へと押し込んだ。


「ぎゃああああああ!」


 返り血がミーシャの口元に飛び散る。それを舌先でぺろりと舐め取ると、唾と一緒に地面へ吐き出した。男の体から引き抜いた赤い刃を十字に振るうと男は忽ちバラバラに斬れ、床に落ちる前に赤い光となって消えた。斬鋼線以上に切れ味の鋭い刃物など俺は今まで見たことがない。どんな名刀と呼ばれる刀でさえ、人間を頭から縦にきれいに真っ二つにすることは難しい。それがどうだ。ミーシャの握っていた赤い刃は、いとも簡単にそれをやってのけたではないか。


「さあ、どんどんいくわよ!」


 紅の刃が華麗に踊る。ミーシャは赤い剣で首を刎ね、心臓を突き、忍顔負けのスピードで次々と相手を斬り捨て、店内に血の雨を降らせた。


「はい、終了っと」


 ミーシャは赤い剣を掲げると、そのまま地面へ振り下ろした。赤い剣から飛び散った血糊が店の壁にべったりと付着する。肝心の剣はといえば、いつの間にかミーシャの手から消えていた。一瞬たりとも目を離さなかったというのに、あの赤い刃の正体がまるでわからない。何がどうなっているというのか。


「なあ、ミーシャ。今のは一体……」

「今のってどれよ? さっきの連中のこと? それともあたしの剣のこと?」

「両方だ」

「たまーにいるのよね。ああいう礼儀知らずのおバカさんたちが。妙な団体へのお誘いもあるけれど、あたしの命を狙ってくる輩が大半ね。彼らが一体どんなつもりであたしを連れていこうとしたのか、そして彼らの主とやらはどんな奴なのかは知らないけど、何だかわかんない危なそうなのはサクサクっと殺っちゃうに限るわ」


 しれっと物騒なことを口にしつつ、ミーシャは続けた。


「んで、二つ目の質問だけど、なんて説明したらいいかしら。要するにアレよ。美少女ヴァンパイアの必殺技的な?」

「なるほどな。まったくわからん」

「興味が湧いたかも知れないけど、あれは人間には真似出来るものじゃないから諦めなさい。あーあ、店の床がべちゃべちゃ。悪いけど、もう一度この辺のモップがけをお願いね。あたしシャワーを浴びてくるわ」


 それだけ言うと、ミーシャは店の奥へと戻っていった。


「無理と言われてもやりたくなる性分でね」


 ヘレナと二人きりになった店内で、俺は先ほどミーシャが赤い刃を出すまでの動作を再現してみる。が、やはりあの赤い刃は出なかった。


「よっ、ほっ、……あれ? 出来ない」

「……なにやってんだよ、京介」

「いやね、ミーシャが使ったさっきの技がどーにも気になってさ」


 ミーシャの操る赤い刃。あれは中々におもしろい技だった。初めて見た時はブーメラン状の斬撃を飛ばしていた。そしてさっき見た時は刃を手に纏わせたり西洋刀に形を変えたりと、用途に応じて形状を変えていた。あんな術、甲賀にも伊賀にも無かった。それだけでも興味が尽きないというのに、何よりこの目で盗めない技であるということが俺の好奇心を刺激して止まない。しかし、これだけ試しても出来ないということは、やはりミーシャの言う通り人には扱えない力なのだろう。これ以上の追求は時間の無駄だと判断し技の習得を諦め、俺は可哀想な奴を見るような冷ややかな視線を向けるヘレナからモップを受け取り血塗れになった店内の床を拭いた。

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