第21話 別れと祝福

 翌日、開店時間より一時間も早く藤代さんはやってきた。背後にはもちろん、幽霊の優子さんも一緒だ。


「それじゃあ、早速だけど彩音には服を着替えてもらおうかな。京介、あたしは彩音をロッカールームへ連れていくから、優子ちゃんに一通りの接客を教えてちょうだい」

「お、おう。わかった」


 藤代さんと優子さんは、互いに不思議そうな顔を見合わせる。無理もない。こちらは何一つ説明をしていないのだ。頭に疑問符が浮かんでいる藤代さんの背中を押してミーシャは店の奥へと引っ込んでいった。


「じゃあこの店の接客手順を一通り教えるから、とりあえず何も聞かずに覚えてくれると嬉しいな」

「あ、はい。よくわからないけど、わかりました」


 素直な子で非常に助かる。俺はミーシャの言いつけ通り、大まかに順を追って優子さんに接客と応対の仕方を簡単に教えた。


「ここでフォークとスプーンを置く、っと。えと、どうでしょう?」

「うん、バッチリ。初めてとは思えないくらい上手だったよ。これなら、すぐにでもホールに出ても問題なさそうだね」


 生前はよほど物覚えが良かったのだろう。三十分そこらで優子さんは、アルバイト未経験と思えないほど教えた事をそつなくこなして見せた。物を持てない優子さんは、食器やカップをポルターガイストで器用に浮かせながら指示通りの場所へセッティングしていく。


「こっちは準備出来たわよ。そっちは?」

「ああ、完璧だ。一通りは教えた……って、それもしかして、一昨日皆で話したやつか?」


 ミーシャに連れられて現れたのは、黒のワンピースに白いレースのエプロンとカチューシャを着けた藤代さんだった。それはまさしく、この前の話し合いで話題に上がったメイド服。まさかもう用意していたとは。


「どーよ、あたしのお手製よ。ちなみに、あなたの分もちゃーんと用意してあるから着たかったらいつでも言ってね」


 悪戯っぽく笑うミーシャと本気で焦る俺。そして、藤代さんは俺たちの会話にまったく入れず頭の上に疑問符を浮かべていた。ああ、そういえばあの時はいなかったんだっけ。


「あ、あのぅ。この格好で今日はいったい何を?」


 なんだ、ミーシャのやつ。今日の趣旨をまだ説明していなかったのか。着替えの最中にでも話せばよかったのに。


「これはね、京介のシュミよ」

「まあ、南雲さんって見かけによらずマニアックな方なのね!」


 心底驚いた表情の藤代さんの後ろで、ミーシャは舌を出してこちらに侮蔑の意を示していた。なるほど。この間、藤代さんに冗談でフィアンセだと言った事に対する報復ということか。いいだろう。今回は痛み分けって事で制服マニアの汚名を甘んじて受けてやろうじゃないか。あっ……、ちょっと待って。やっぱり嫌かも。


「さて、各自準備が整ったところでいよいよこの後の予定を説明させてもらうわ。本日予約を頂いたお客様は、お店にとっても優子ちゃんにとっても特別な存在。そして、今日はそのお客様にとって特別な一日になるわ。だから、決して粗相の無いようにしてほしいの。そこで、優子ちゃんには今日一日うちの店員として働いてお客様に接してもらうわ。もちろん幽霊のまま接客は無理だから、彩音の体を少しの間だけ借りてもらうことになるけれど、大丈夫?」

「私は大丈夫よ。頑張りましょう、優子ちゃん」


 にっこり微笑む藤代さんに、優子さんも笑顔で答えた。


「決まりね。それでなんだけど、実際に接客してもらう前に優子ちゃんには約束して欲しいことがあるの」

「なんでしょう?」

「決して自分の正体を明かさないこと。あくまで彩音として。そして、一従業員として彼に接してちょうだい」


 優子さんはしばし黙って考える素振りを見せ、そして小さく頷いた。


「それじゃあ京介、そろそろお店を開けましょう。クローズの看板を外してきて」


 俺は言われた通り準備中の看板を外しに表へと出る。すると、店の前には既に一組の男女が待っていた。男性の方は、昨日優子さんが似顔絵で描いた人物によく似ている。というか、まず間違いなく本人だろう。


「大変お待たせ致しました。準備は整っております。どうぞ中へお入りください」


 俺は手筈通りホールの真ん中にセッティングされた特等席へと二人を通した。俺はここからミーシャへとバトンを渡す。


 厨房の扉が開き、現れたのは昨晩の巨大な天使を象ったケーキ。吸血鬼パティシエール、神裏美紗渾身の一作だ。カートで運ばれてきた芸術品にお客様二人は目を丸くしている。これほど規格外の出来栄えだと無理もない。でも、ご両人はとても嬉しそうだ。


「いらっしゃいませ、大野様。この度はおめでとうございます」


 深々とお辞儀をする店主のミーシャ。それを合図とし、俺はケーキカット用のナイフを二人へ手渡し、二人の背後へと下がる。ここで言うナイフとは、以前ミーシャが俺に向けたサーベルだ。骨董品だが切れ味は悪くない。しかし、客に刀剣を持たせるなんて趣向は如何なものだろう。まぁ、本人たちは楽しんでいるようで何よりだ。


 さて、問題はここから。ミーシャの合図で藤代さんの体を借りた優子さんが彼に花束を手渡す事になっているのだが―― 


『……』


 当の藤代さん(優子さん)は固まったままぴくりとも動かない。さながら、花束を持ったマネキンのようだ。しかし、ミーシャも人が悪い。この土壇場まで一番大事な事を伏せていたのだから。サーベルを持つ二人の左手にある銀の指輪が、蝋燭の灯りを受けて鈍く輝いていた。


「藤代さん」


 ケーキカットが終わり、ミーシャが隣で棒立ちしている優子さんを肘で少し小突く。ハッとした様子で現実へ戻ってきた優子さんは、ゆっくり一歩目を踏み出した。俺はこの時、全神経を二人の方へ歩み寄って来る優子さんへと向ける。もし、彼女が二人に危害を加える素振りを見せた場合、即座に二人を救出する為だ。


 俯いたまま、優子さんは二人の前へと立つ。肩は震え、花束を持つ手にかなり力が入っている。これはいよいよ感情が爆発するかと危惧していたが、俺の不安はあっさり裏切られる事となった。


『大野さん。ご結婚、おめでとうございます』


 優子さんが贈ったのは、祝福の言葉と花束。そして、ほんのちょっとの強がりを添えた健気な笑顔。目尻には涙が溜まっている。その表情には、嫉妬や怨みといった負の感情は微塵も無かった。


 花を手渡し、下がろうとした優子さんを引き止めたのは、彼女の彼氏。いや、元カレの大野さんだった。


「あ、あのっ、店員さん。以前どこかでお会いした事ありませんか?」

『……』


 優子さんは振り返らない。しばしの沈黙の後、大野さんに背を向けたまま静かに答えた。


『いいえ。多分……人違いですよ』


 表情こそ見えなかったが、微かに彼女の声は震えていた。


 優子さんは最後まで振り返らぬよう堪えたまま、足早に厨房の方へと去って行った。事情を知っているというだけの俺でさえ、こんなに切なく辛い気持ちになるのだ。当の本人は今、どうしようもなく苦しいに決まっている。本当に愛していたからこそ、彼女は苦言の一句も漏らさず、自分の想いに幕を引いてこの場を後にしたのだ。


「南雲君、厨房で藤代さんのヘルプをお願いします」


 いきなり名字と君付けで呼ばれて一瞬驚いたが、俺はすぐにミーシャの意図に気付いた。俺は大野夫妻に一礼し、優子さんの後を追うように厨房へと向かった。


 お節介野郎、偽善者。何とでも言えばいい。魂が涙を流すほどの悲しみだ。きっと一人で抱えるには重過ぎる。俺にしてやれる事は何も無いのかも知れないが、それでもこの世での最後の思い出が涙で曇るなんてそんな事あっていいはずがない。


「優子さん!」


 厨房では、藤代さんの体を借りている優子さんが、座り込んでむせび泣いていた。いくら拭っても溢れる涙。痛々しくてとても見ていられない。まるで幼子のように泣き崩れる彼女を、俺は強く抱き締めた。そうでもしなければ、彼女が割れてしまうと思ったから。


『ずっと……ずっと前から、こうなること、分かっていたんです。でも、どうしても会いたくて。だって、本当に好きだったから! ホントにホントに、大好きだったからぁ! うわあああああん!』


 涙と共に藤代さんの体から溢れ出る悲しみが、密着した俺の体を貫くように痛いほど伝わってくる。色んな兵法や忍術を叩き込まれた俺だけど、女の涙を止める術は教わっていない。


「……ロマンスしているところ悪いんだけど、そろそろ入ってもいい? それと、そういう歯が浮くようなこっ恥ずかしいセリフはあまり口に出して言わない方が良いわよ」


 いっけねっ、声に出していたのか。迂闊だったな。完全に雰囲気に酔っていた。それはそうと、ミーシャが俺を見る目が異様に怖いぞ。あれ? 俺なんか悪い事しましたっけ?


「……それで、あたしの聖域でいつまで抱き合っているつもり?」

「おっと、ご、ごめん」


 俺が慌てて優子さんから離れると、今度は代わりにミーシャが優子さんを抱き締めた。


「よく耐えたわね。本当に偉かったわ。神様もあなたをちゃんと見てくれていた筈よ。さあ、もう泣き止んで」


 子供を宥めるように、ミーシャは優しく優子さんの頭を撫でた後、指でそっと彼女の目元の涙を拭った。


「それと、大野さんからこれを預かっているわ。さっきの店員さんに渡して欲しいって」

『ぐすっ……封筒?』


 優子さんはミーシャから一枚の白い封筒を受け取ると、丁寧にその封を開けた。


『あっ! これ……』


 中に入っていたのは一枚の写真。高校の制服を着た二人の男女が、仲睦まじく寄り添って映っていた。


「十年前、大切な人に渡すはずだった思い出の一枚なんですって。彼、今日まで律儀にずっと持っていたらしいわよ? さっき大慌てで家に戻って取って来てくれたの」


 受け取った写真の上に、涙の滴が落ちる。


「大野さん、ちゃんと気付いていたのよ。あなたのこと」

『……はいっ!』


 優子さんの瞳からこぼれた最後の涙が、光る滴となって弾けて消える。幸せな思い出を抱いたまま、優子さんはこの世を旅立った。


「優子ちゃん……よかったね」


 憑依が解けた藤代さんは、気を失うようにミーシャへと倒れかかる。霊に憑かれる事で伴う心身への負担と疲労の大きさが伺えた。見ず知らずの、それも幽霊の為にここまでするとは。いやはや、見かけによらずタフなお嬢様だ。


「イイ女でしょ、彩音。言っておくけど、あげないわよ?」


 後日、優子さんの写真は彩音さんによって遺族の元へと届けられたという。

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