第20話 ワンオペと家庭事情と超大作

 結論から申し上げますと、全然大丈夫じゃありませんでした。


「いらっしゃいませ、お客様。二名様でしたら、どうぞこちらのお席へ」

「お待たせ致しました、こちら洋梨とイチジクのコンポート。グラス・ア・ラ・ヴァニーユ添えとエスプレッソ。そしてこちらが本日の日替わりケーキ、ダークチェリーのスリーズ・オ・クラフティとカモミールティーでございます」

「はい、ただ今お伺い致します」

「お二人様合わせまして三千二百円のお会計でございます」


 俺の手足はまるで止まるのを忘れてしまったように、三時間前からひたすら忙しなく動いている。店には次から次へと人が出ては入りを繰り返し、その客足はまるで途切れる気配が無い。なんたって今日はこんなにも混んでいるんだ? いや、そんなの分かり切っているじゃないか。駅前の有名店、インペラトリーチェの臨時休店日。加えて今日は金曜。金曜の夜といえば、飲食店及び接客業はどこも書き入れ時。一番盛り上がるゴールデンタイムじゃないか。そんな中、オーナーは未だに厨房に籠りっぱなしで出て来やしない。


「南雲さん。手伝いましょうか?」


 心配そうに俺を見つめる少女。常連客の一人である静琉ちゃんだ。今日もまた黒ベースのフリフリが付いたお召物がよく似合っていること。


「あはは、ありがとう。気持ちだけで充分さ。それに、静琉ちゃんはお客様なんだから手伝わせるわけにはいかないよ」

「でも、さっきから見ていると相当辛そうですけど」

「なんのなんの。これくらいへっちゃらさ。強いて言うなら、加減して動くのがしんどいかも。ちょっと気を緩めると壁とか走っちゃいそうでさ」


 静琉ちゃんは冗談だと思って笑っているが、これが結構マジな話で、実際に何度かレジからショーケース前までの移動を短縮する為に壁を蹴ってお客さんの頭上を跳んで移動したりした。大半のお客さんには気付かれていなかったみたいだが、つい五分ほど前にお帰りになった初老の御婦人にはバッチリ見られていた。空中で目が合っちゃったもんだから咄嗟にウインクして誤魔化したが、流石に無理があったと自分でも思う。結局そのお客様は店を出るまで終始怪訝な顔をしていたっけ。本日の教訓〝どんなに忙しくても跳ぶべからず〟だな。


「スイマセーン! 注文いいですかー?」

「こっちお会計お願いしまーす」


 嗚呼、無情。お客様は俺に数分前を振り返り、反省させてくれる時間さえ与えてはくださらない。断言しよう、ここは正しく戦場だ。

午後十一時を過ぎ、ようやく店内は落ち着きを取り戻した。俺は溜まりに溜まった数十人分の皿やグラスなどの洗い物をワゴンに乗せて運び、流し台のある厨房を独占しているミーシャへと託す。


「とりあえずこっちはひと段落したから、洗い物は入口の前に置いておくよー」

「ごくろうさま。頃合いを見て休憩取ってちょうだい。もう少ししたらあたしもホールに出るから」


 扉越しにミーシャの返事が返ってきたのを確認し、俺は深い溜息を吐く。それと同時に押し寄せる脱力感と疲労感。俺は店の一番隅にある席の椅子へ崩れるように腰を下ろした。油の切れた機械のような、もしくは酔い潰れたオッサンのような動きだったが、そんな事すら気にしていられないくらい疲れていた。空腹だが、同時に眠い。このままテーブルに突っ伏して寝てしまいそうだ。


 うつらうつらとしていると、俺のテーブルに可愛らしいバスケットを持った静琉ちゃんがやってきた。


「お疲れ様です。お腹、空きませんか?」


 俺の向かいに座った静琉ちゃんが開けたバスケットの中は、たくさんのサンドイッチが入っていた。


「これ、食べてもいいの?」

「どうぞ」

「いただきます!」


 俺はバスケットからサンドイッチを一つ、また一つと手当たり次第食べていく。うん、美味い。美味いぞ。たまごサンドにツナサンド、ハムとレタス、チーズのサンドイッチ。どれも定番だが、それがいい。甘いものに囲まれているとこういう塩っ気のある食事が妙に嬉しかったりする。


「いやあ、美味い! 静琉ちゃん、料理上手なんだね」

「サンドイッチなんて切って挟むだけで誰が作っても同じじゃないですか。でも、料理人の南雲さんに言われると少し自信になります。じゃあ、今度は南雲さんの手料理もごちそうしてくださいね」


 そう言った静琉ちゃんの頬は、少し赤かった気がした。まいったな、そんな顔されたらこっちまで照れてしまう。俺は口いっぱいに詰まったサンドイッチをアイスティーで流し込んだ。

ふと、時計に目をやれば、時刻は零時を過ぎていた。日の出までやっている洋菓子店とはいえ、未成年をこんな時間まで居させていいわけがない。


「静琉ちゃん、もう夜も遅いし、そろそろ帰らなくて大丈夫? ご家族も心配すると思うけど」


 静琉ちゃんの表情が、少しだけ陰った。


「――してないです」

「えっ?」

「私の心配なんて……してないです」


 俯いた彼女に掛ける言葉が見つからなかった。その小さな肩が震えていて、まるで泣いているように見えたから。


「……ごめんなさい。今日はもう帰ります」

「家まで送ろうか?」

「いえ、大丈夫です。おやすみなさい」


 静琉ちゃんは会計ぴったりの金額をテーブルに置き、空のバスケットを抱え、店を出て行った。


「……なあ、俺なにか気に障ること言ったかな?」


 客のいなくなった店内で口にした俺の呟きは、俺の背後から拾われた。


「あら、バレちゃった。つまんないの」


 闇から溶け出るように現れたのは、ここの店主にして生きる伝説。吸血鬼のミーシャだ。大方、後ろから驚かせようと忍び寄ったのだろうが、姿が見えずとも気配だけでわかる。ドッキリが不発に終わったミーシャは、ばつが悪そうに頭を掻きながら隣の椅子へ腰を落ち着け、俺の飲みかけだったアイスティーのグラスを取り、一口飲んだ。


「静琉ちゃんのとこね。家庭がちょっと複雑みたいなのよ。数年前にお父様を亡くしたらしくて、それ以来お母様が変わってしまったんですって」


 なるほど、だから家族という言葉に反応したのか。静琉ちゃんの悲しみを帯びた瞳の色に、僅かに怯えを見た気がしたが、あれは一体……。


「ねえ、京介。もしかして、人の良いこと考えていない?」

「いいや。余所の家庭に他人が入り込むのはよろしくない。ましてや、客と店側のラインを越えてまでお節介を焼こうとは思っていないさ」

「クスッ、わかっているならいいの」


 グラスを傾けると氷の音が微かに響いた。ミーシャはうっとりとした表情で残りのアイスティーを眺めている。テーブルにある蝋燭の灯りを受けて輝く琥珀色の液体は、まるでウイスキーのよう。店内のBGMが雰囲気の良いジャズだったら、ミーシャはバーのカウンターで一人たそがれているほろ酔いの女性客に見えなくもない。静かで、本当に良い夜だ。


「はわわっ! しまった!」


 急にミーシャは素っ頓狂な声を上げたかと思えば、猛ダッシュで厨房へと走っていった。なんだ、なんか面白い状況でも展開してんのか? 俺はミーシャの後を追って厨房の方へと向かった。


「うおっ! なんだこりゃあ!?」


 俺の視界に飛び込んで来たのは、翼を広げた巨大な純白の天使。優にニメートルは越えるであろうそれに、ミーシャは脚立を使ってフルーツをひとつずつ丁寧にくっつけていく。どうやら装飾品に見立てているようだ。という事は、この天使は外側を生クリームで出来ているのか。なんという超大作。寧ろゼロから数時間でここまでのものを作り上げたとなると、かなり早い方だ。


「さっき生地に生クリームを塗ったから、ぼやぼやしていると溶けちゃうのよ。どーよ? すごいっしょ? 天才パティシエール、神裏美紗特製のウェディングケーキよ」 


 ウェディングケーキ。その言葉で俺はミーシャが昼間に見せた複雑そうな表情の意味が、ようやく理解出来た。


「優子ちゃんの彼……いえ、正確には元カレになるかしら? 先月の始めに結婚しているのよ。式は挙げられなかったから、せめてウェディングケーキだけでもってことで予約してくださったのよ」


 時の流れは無情。自分だけ止まっていると、余計にそう感じる。ミーシャの言っていた言葉を思い出した。確かにその通りだ。生きとし生けるものには、皆平等に時の流れが存在する。故に、人はずっと変わらずにはいられない。


「でも、それを知ったら優子さんは……」


 女の情熱が嫉妬に変わる時、心に憎悪の炎が灯る。怒りに狂った霊がどんな行動を起こすのか想像するのもおぞましい。


「これはきっと、神様があの娘に与えたこの世での最後の試練。何の因果か、あたしたちがその見届け人に選ばれた。仮にもし、彼女が暴れ出したら、その時はあたしも覚悟を決めないといけないわね」


 いつになく真剣な表情で、ミーシャは握った自分の拳を見つめた。


「なぁ、ミーシャ」

「なに?」


 俺はさっきからずっと気になっていた事をミーシャに尋ねた。


「これさ、どこにナイフ入れれば良いの?」

「あ……」


 このまま結婚式同様にケーキ入刀を行えば、愛を司る天使を刃にかける事になる。なんというか、背徳感に苛まれるのではないだろうか。どうやら制作者であるご本人も芸術性を突き詰める余り、そこのところはすっかり忘れていたらしい。


「……ナイフ刺したら首が飛ぶギミックを仕込むとかどうかしら?」

「それなら、新郎と新婦が順番に剣を刺していって最初に飛び出した方に罰ゲームってルールを付け加えると白熱するぞ」


 あーでもない、こーでもないと二人で議論し合った結果、もう一つ台座の部分に四号のホールケーキを作る事で話は纏まった。結局、俺がベッドで休めたのは、明け方の四時を過ぎてからだった。

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