第19話 生前の思い出

 今から十年ほど前、茨城の片田舎で不運の事故に見舞われてこの世を去った一人の女の子がいた。


 当時、彼女はまだ高校一年生。周囲と比べると地味で、あまり積極的な方では無かったが、それでもクラスメイトからは慕われていた。華やかさこそ無いが、決して苦でもない。そんな普通の高校生活だった。


 二学期を過ぎたある日、彼女の高校生活は一変する事となる。


「ずっと好きだったんだ。俺と付き合ってくれない?」


 告白してきた相手は、一つ上の学年でサッカー部のエースとして活躍していた男子生徒だった。誠実で優しいと男女ともに人気の的だった憧れの存在。


「よろしくお願いします、先輩」


 平凡だった奥村優子おくむらゆうこの学園生活に花が咲いた。


 付き合い始めて一年目の夏。悲劇は起きた。


 デートの待ち合わせをしていた映画館の前に大型トラックが正面衝突。そこに立っていた優子は即死だった。


 痛ましい事故の傷跡は時と共に風化し、人々の記憶から徐々に消えていく。しかし、未練という鎖に縛られて何処にも行けない彼女の魂は、廃れた映画館跡で来るはずのない恋人を待つ事しか出来なかったのだ。


 夜な夜な廃墟に現れては月を見上げて啜り泣く。そんな優子の姿を見た人間が、優子の死に場所を心霊スポットと囃し立て面白半分で押し寄せては怖がり去っていく。例え恐れられようと、優子は訪れる人に自分の無念を訴え続けた。


『彼にもう一度会いたい』


 そんな彼女の気持ちを最初に察したのが、藤代彩音だったのだ。


「と、いうわけなの。ぐすん」


 涙をハンカチで拭きながら、藤代さんは紙芝居の最後のページをめくった。大変解り易い説明ありがとうございます。わざわざ早起きして作ってくれたそうです。


「その一途な想いに感動しちゃって、どうにかしてあげようって気持ちになったの。でも、優子ちゃんったら『自分は地縛霊で死に場所から動けない』って言うから、仕方なく私に取り憑いてもらってここまで連れて来たの」


 大人しそうな顔して肝が据わっているというかなんというか。伊達に吸血鬼の親友をやっているわけではないらしい。確かにこの霊を見た感じでは悪霊や怨霊には見えないが、それでも地縛霊をわざわざ連れて来るなど正気の沙汰とは思えない。


「それで、あたしたちに彼氏を探して欲しいって事?」

「……はい。どうかお願いします」


 無茶なお願い事に流石のミーシャも頭を掻く。まず探すにしても彼に関する情報が無くては探し様が無い。何より、もし仮に見つけられたとして、彼は対面に応じてくれるだろうか。以前の恋人の霊が会いたがっているなんて浮世離れした話を信じてくれるとは思えない。


「だってさ、忍者さん」

「おいおい、ちょっと待ってくれよ。俺に振られても困る。忍者と言っても超能力者じゃないんだ。何の情報も無しに人探しなんて出来るわけ無いだろ」

「あ、えと、ワタシ絵が得意なんで、良ければ彼の似顔絵を描きますよ。彩音さん、お願いします」

「はい、どーぞ」


 幽霊の目配せに笑顔で答える藤代さん。すると、霧状になった幽霊の体が藤代さんの体に吸い込まれるように入っていった。


『少しの間、藤代さんの体を使ってお話させていただきます。早速ですが、何か描くものをお借り出来ますか?』


 適当な紙とペンを渡し、待つ事ちょうど一時間。


『ふぅ、お待たせしました。これが彼の似顔絵です』


 渡された紙には、驚くほど精巧に描かれた少年の爽やかな笑顔が描かれていた。ユニフォーム姿から察するに、おそらく部活中の彼を思い出して描いたものだろう。飛び散る汗がキラキラ輝いているのは、好きな人を美化するという乙女フィルターのせいかも知れない。実際の顔を見てみない事には似ているかどうかの判断出来ないが、よく描けているとは思う。しかし、この絵には重大な欠点がある。


「似ているって言っても、これ十年前の彼だよね? 学生の頃と今とでは結構変わっちゃっていると思うんだけど……」

『ううぅ、やっぱりそう思います?』


 しょんぼりと肩を落とす藤代さん……もとい、優子さん。そうだった、今は藤代さんに憑依しているんだったっけ。そう思った瞬間、俺は閃いてしまったのだ。「この状態のまま、彼氏の住んでいた実家に会いにいけばいいんじゃね?」と。仮に彼だけ家を出て一人暮らしをしていたとしてもご両親が住んでいるだろうし、彼の現住所を尋ねる事くらい出来そうなものだ。まぁ、怪訝な顔はされるだろうが。


「この絵、よく見せてもらってもいい?」


 ミーシャは絵を手にすると、何かを考えるようにしばらくじっと見つめた後、静かに口を開いた。


「……あたし、この人知っているかも」


俺と藤代さん(優子さん)は驚愕の声をあげる。まさかこんなに早く訪ね人への糸口が見つかるなんて思っても見なかったからだ。これで俺は優子さんの彼氏を探して全国巡りをせずに済みそうだ。


「でも、うーん……」


 しかし、どうにもミーシャは煮え切らない様子だった。すぐさま俺はミーシャが何かを知っていると把握した。肝心の優子さんといえば、そんな事に気付かないほど未だ藤代さんの体を使って浮かれている。


 ミーシャの知っている事とは、多分彼女の笑顔を陰らせるものだろう。何となくだが、そんな気がした。


「本人かどうかイマイチ確信は持てないけど、よく似た人をお客様で見た事があるわ。ちょうど明日、その人からケーキの予約を受けているのよ。だから早ければ明日には会えるかもね」

「ほほほ、ホントですか!?」


 藤代さんの口から霊体の優子さんが飛び出し、嬉々としてミーシャへと詰め寄る。実際に目の当たりにすると、マンガやアニメなんかでの霊が体から抜け出るといった表現は、あながちフィクションというわけでもないらしい。


「うーん。あれ? えっと、話はどこまで進みました?」

「お疲れ様です、藤代さん。優子さんが描いた似顔絵からミーシャが彼への糸口を見つけたところです」

「まあ。それは良かったわぁ。流石ミーシャちゃんね」

「う、うん。ありがと」


 引き攣った笑みで答えるミーシャ。やはり手放しで喜べない訳を抱えているらしい。


「それじゃあ、明日また来るね、ミーシャちゃん」

「今日は本当にありがとうございました、ミーシャさん」


 藤代さんと優子さんは開店前に帰っていった。他のお客さんを驚かせないようにとの配慮だろう。


「しかし、妙な事になったな」

「ええ、本当に。明日が心配だわ。今思えば、絵を見た時に知っているなんて軽率なこと言わなきゃ良かったって少し後悔しているわ」


 溜息を吐きながら、ミーシャはカップの紅茶を意味も無くスプーンでかき混ぜる。なにか余程の事情がある事は明白だった。


「なあ、何か知っているんだろ? 優子さんの彼氏の事」

「……時の流れって残酷よね。自分の時間だけ止まっていると余計にそう感じるんですもの」


 すっかり冷めてぬるくなった紅茶を一息で飲み干し、ミーシャは立ち上がる。


「ウダウダ考えていてもしょうがないわ。あたしはあたしに出来る事をするだけよ。ほら、もうすぐ開店時間だから急いで準備して。あ、あと明日の準備をしなきゃいけないからしばらく厨房に籠るけど、お店の方よろしくね」


 軽く頬を叩き気合いを入れ、ミーシャは厨房へと入っていった。するってーと、今日はほぼ一日俺一人で店を回せと? 大丈夫なのか、俺。

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