第22話 臨時休業

「突然ですが、今日は臨時休業です!」

「はあ、左様でござるか」


 ホールで仁王立ちしながら、以前買っていた三百万もする高級ドレスに身を包んだミーシャは控えめな胸を目一杯張ってそう言った。


 お休みなのは一向に構わないのだが、出来ればそういう事は早めに教えて欲しいものだ。例えば、俺が制服に着替える前とか。何席かテーブル拭いちゃったじゃないか。


「というわけで、早速出掛けるわよ」

「出掛けるって、何処へ?」

「じゃじゃーん、コレよ」


 ミーシャの手には、小洒落た招待状が二枚。いや、それだけ見せられても俺には何がなんだかサッパリなわけだが……。


「そろそろ迎えが来る頃ね」


 ミーシャがそう言うと、店の外からクラクションが数回鳴り響いた。俺は詳細も何も聞かされぬまま、ミーシャに後ろから押し込められるように、どこの誰が手配したのか分からない送迎のリムジンの後部座席へと乗せられた。車内は車の中とは思えぬほど広く、空調が効いており外と比べると随分快適だった。そして中央のテーブルにはよく冷えたシャンパンが置いてある。なんというVIP待遇。こんな光景は映画やテレビの中だけの世界だと思っていたので、否応にも雰囲気に委縮してしまう。なんつーか、俺ってば場違いまっしぐらじゃないか。


「車内はお寒くございませんか? 南雲様」

「は、はい! 大丈夫です」


 相手方は俺の事を知っている。だが、俺は知らない。なんとも妙な感じだ。


「……」


 ミーシャはと言えば、さっきから一言も話さない。窓の外に輝く夜の東京という街を、ただ静かにじっと見つめていた。


「な、なあ、ミーシャ。そろそろ教えてくれてもいいんじゃないか? 俺たちは一体どこへ向かっているんだよ」


 俺がそう言うと、ミーシャは真っ赤な瞳だけをこちらに動かし、そして不敵な笑みを浮かべた。


「ふふっ、世界中の一流が集う場所よ」

「……まったくわからん」


 ミーシャは視線を窓の外へと戻し、再び黙り込んでしまった。俺もそれ以上尋ねるのを止め、手持ち無沙汰を紛らわす為にミーシャと同じく窓の外を見た。この景色を見る度、つくづく思う。この街の夜は明る過ぎると。


「あ、見えて来たわよ」


 沈黙が破られるのに、そう時間は掛らなかった。ミーシャの指差す方向。窓の外には何やら巨大な建造物が見えた。なんだなんだ、ちょっと前に通り過ぎた国会議事堂よりもデカイんじゃないか?


「まあ、建物が見えただけで正門に着くまでまだしばらく掛るんだけどね」


 ミーシャは欠伸をしながらそう言った。何も知らされていない俺が、その異様にデカい建物が一個人の邸宅だと気付くのはそれから十五分後の事だった。


 詳細を知らされぬまま連れて来られたデカい建物の中は、外見相応に広く、そして別世界だった。


 煌びやかな邸内には、各界著名人の姿が大勢見受けられた。今をときめく日本のタレント。実力派で知られるハリウッドスター。体中を宝石で飾ったどこぞの国のセレブたち。そして一国を統べる首相や政治家たちまで。確かにミーシャの言った通り〝世界中の一流〟が正に一同に会していた。


「なんか、俺。眩暈がしてきた」


 何度でも言おう。ここは別世界だ。今更ながら痛感するが、何故俺がここに呼ばれたのか。いくら考えても検討が付かないどころか色々麻痺し過ぎて思考が働かない。


「なーに呆けているのよ。あたしの連れなんだから、もっとシャキっとしてよね」


 隣にいるミーシャが、ペットボトルに入ったいつもの赤い液体をストローで吸いながら俺を肘で小突く。そうは言うが、今の俺には背筋を伸ばして蝋人形のように直立不動でいるだけで精一杯だ。せめて知り合いの一人でもいれば、また気が楽なのだろうが……。


「ミーシャちゃ~ん、南雲さ~ん!」


 そんな事を思っていると、どこかで聞き覚えのある声が俺たちの名を呼んでいる。このどこか間延びした喋り方。ミーシャとは対照的な純白で清楚な、それでいて気品漂う豪奢なドレスでこちらへ手を振りながら走って来る人物。常連客の彩音さんだった。


「なんだよミーシャ。彼女も招かれてるんだったら、一緒に来たら良かったじゃないか」

「何言ってるのよ。主催をわざわざ呼ぶなんて出来るわけないでしょ」


 その言葉の意味に気付くのに少し時間が掛ったが、彼女の胸に輝くバッジに描かれた紋で俺は全てを悟った。


「藤代さんって、ひょっとして……」

「言ってなかったっけ? 彩音は藤代財閥の一人娘よ。そして今日は彩音の誕生日パーティーなの」

「もっと早く言おうぜ、そういう大事なコトは」


 藤代財閥と言えば、日本で一番の大金持ちグループじゃないか。この日本にいる限り、藤代財閥関連の名を見聞きしない日など一日たりとも無い。建築、医療、金融、重工業、電気機器、果ては食品から日用品に至るまで。藤代の恩恵無くして生活無しと言っても過言ではないだろう。お金持ちのお嬢様というレベルを頭二つ分ほど飛び抜けた存在じゃないか。


「お招きいただいて光栄ですわ、彩音お嬢様。そして、お誕生日おめでとうございます」

「もう、ミーシャちゃんったら。畏まらなくていいってばぁ。でも、ありがとう。それと、南雲さんもお忙しい中お越し頂いてありがとうございます。嬉しいわ」


 藤代さんは俺の手を握り、ぺこりと頭を下げる。その瞬間、周りにざわめきが起こった。


「おい、彩音様が頭を下げられたぞ。あの男、何者だ?」

「どこかの名家の御曹司よ、きっと」

「おお、そう言われてみれば身形にもどことなく上品さが――」


 何やら皆さん勘違い大爆発なご様子で。甲賀の中忍風情が一気に大出世だな。里の皆に自慢出来るぞ、はははっ。


「おーい、キョーちゃーん」

「おいコラ南雲京介―。こっち見ろやー!」


 不意に名を呼ばれて振り返る。そこには見知った二人がいた。


「あ、ゼンさん。それにヘレナも」


 ゼンさんはいつもの僧衣ではなく、白いスーツにびしっとキメた髪型で登場した。くぃっとサングラスをさげてこちらを見る仕草は、とてもガラが悪い。今の彼の本職を僧侶だとわかる人間が、果たしてこの会場に俺たち以外で何人いるだろうか。夜の香りがプンプンするその格好はどう見てもカタギの人間ではない。歌舞伎町で働くホストか、もしくはインテリ系の暴力団員だ。ヘレナの方はいつもと同じ修道服を着ている。いつもと違うところと言えば、あの棺桶を背負ってないところくらいか。二人は心底嬉しそうにこちらへ手を振りながら、そして大声で俺の名を呼びながらかけてきた。会場の人たちの視線を独占気味でなかなか恥ずかしいぞこれは。


「おー、やっぱりそうだ! なーんかそれっぽい人がいるなぁと思って来てみたら、やっぱりキョーちゃんじゃないか。いつもと同じ格好だったからスグわかったよ。それに比べて今宵のミーちゃんの美しさは反則級だね。例えるなら、そう! 宵闇に気高く咲き誇る一輪の薔薇! 情熱的な真っ赤なドレスに思わず見惚れてクラクラしちゃうよ」

「姐さんマジパネェっす! まぶしーッス! それに比べて何であんたは制服のままなわけ? ひょっとして、それ以外に服無いの?」

「んなわけあるか。これ以外にもちゃんと持ってるわ。お前こそいつもと同じ格好じゃないか」

「はあ? ふざけんなし。ちゃーんとオシャレしてるっつーの。今日は下着とかスッゲーの着けてんだからな!」

「ふ、二人とも喧嘩はしないで。ね? どんな格好でもいいの。来てくれただけで嬉しいから」

「ねぇ、彩音。他の人は?」

「静琉ちゃんは予定があって来られないってお返事があったわ。鳥野さんは来ているみたいだから会場のどこかにいるはずよ」


 周りを見渡せど、あの珍妙な鳥頭は見当たらなかった。となると、残る可能性は二つ。たまたま会場の外へと出ているか、あるいは――


「なぁ、ミーシャ。ひょっとして鳥野さんって今……」

「ええ、外しているかも知れないわね。あのマスク」

「マジで? 旦那の素顔って誰似なんだろう シュワちゃん系? それともデニーロ?」

「さあ? うち、見たこと無いからわかんない。え、ってゆーか、あの鳥フェイスが素顔じゃなかったの?」

「うーん、私もミーシャちゃんも見たことないから、多分お店では誰も知らないんじゃないかしら?」


 じゃあ無理だよ。鳥マスクの無い鳥野さんなんて探し様が無いじゃないか。そういう結論で一致した俺たちは鳥野さんを探すのを潔く諦めた。もしかしたら向こうから気付いてこちらに声をかけて来るかも知れないしね。そんな希望的観測を巡らせていると、一人の美女が俺たちの元へとやってきた。いや、正確には藤代さんの元へと言うべきか。腰ほどまである腰ほどまである長い茶髪と切れ長の涼やかな目がとても印象的な人だった。


「彩音お嬢様。こちらにいらっしゃったのですね」

「あ、こちら今日私のバースデーケーキを作ってくださる西園寺エリカさん」


 藤代さんに紹介された西園寺さんは軽く会釈をした。顔を上げた彼女の視線は、ただ一点を捕えていた。まるで相手を軽んじるような挑発めいた目。表情こそ笑顔ではあるが、目は決して笑っていない。


 俺は彼女の瞳の奥底に、ほんの少しの敵意を見た。その矛先は真っ赤なドレスを纏った吸血鬼、ミーシャだ。当人は知ってか知らずか、真っ直ぐ相手の目を見つめている。その表情からは何も読み取れない故に、それがミーシャなりの余裕に見えなくもない。

互いに無言で見つめ合い、徐々に空気が張り詰めていく。堪らず藤代さんが助け船を出した。


「あ、えっと、こ、こちらは私の友人たちで――」

「そちらの赤いドレスの方でしたら存じておりますわ。確か、ル・ベーゼのオーナー、神裏美紗さんでしたよね? 初めまして、洋菓子店インペラトリーチェのオーナーパティシエールを務めております西園寺と申します。以後、お見知りおきを」


 俺はその店名に聞き覚えがあった。インペラトリーチェ。確か駅前に出来たという超人気の洋菓子店。うちのライバル店(だと思っている)だ。そのオーナーとまさかこんな形で対面するとは思わなんだ。しかも、あちらさんはこっちに対して妙な敵意を向けてきている。これには流石のミーシャも黙ってはいないはずだ。そう思った俺の予想に反し、当のミーシャは意外に冷静だった。


「……」


 ミーシャは握手を求めて差し出された手を握り返すことなく、しばらく冷めた目で見つめていた。まるで刺すような視線と張り詰めた沈黙が逆に怖いぞ。


「随分キレイな爪ね」


 ミーシャが言う通り、西園寺さんの爪はとても綺麗だった。俗に言うネイルアートというやつだろうか。女子高生などが施すそれより派手では無いが、付け爪の上にチップなどの装飾を施しており、まるで宝石のように煌びやかだった。


 更にミーシャは、こう付け加えた。


「とても菓子職人の手とは思えないわ」


 表面上の社交的な笑顔とは裏腹に、嘲笑うような赤い眼光が西園寺さんを射抜いた。僅かに上がった口角から牙が覗く。冷血で狡猾な蛇を思わせるミーシャの静かな気迫は〝御手前がその気ならば、こちらは一戦も辞さない〟と明確に告げていた。


 これに対して激怒するかと思われた西園寺さんは、意外な事に普段の藤代さんと同じくらいの笑顔で、さらりととんでもない提案を出してきた。


「そうですわ、お嬢様。せっかくですから、ここは一つ趣向を凝らして私と彼女でこの場にお集まりの皆さまにケーキを振舞わせていただきたいのですが、如何でしょうか? インペラトリーチェとル・ベーゼ。両店の親睦を深める為にも、是非お願い致します」


 この西園寺という女性もなかなかえげつない事を考えるものだ。要するに、公の場でミーシャを潰そうという魂胆なのだろう。両店の意地とプライドを賭けた戦争。結果次第では店の存亡にも大いに関わるに違いない。何故なら、この場に集まる方々はどの業界においてもその影響力は計り知れないからだ。 


「まあ、それは素敵なことね。皆さまもきっと喜ばれるわ。ミーシャちゃんさえ良ければ直ぐにでも準備させるけど、どうかしら?」


 以前ミーシャが言っていた。藤代さんはすぐなんでも信じると。それこそ、西園寺さんの見え透いた心底さえも微塵も疑わないほどに、ひたすら純粋。これは彼女の良いところでもあり、欠点とも言えるだろう。


「そうね、すぐにでも始めましょう。でないと、ピノキオのように伸びた鼻っ柱を物理的にへし折ってしまいそうだわ」


 ミーシャは真っ直ぐ西園寺さんを見つめたまま、指の関節をバキバキと鳴らしながらそう答えた。って、物騒だな、おい。


「神裏さんならきっとそう仰ってくれると信じていましたわ。それでは、また後ほどお会いしましょう」


 西園寺さんは、冷静さと笑顔の仮面を張り付けたまま去って行った。彼女のヒールの音に紛れて聞えたのは、ベキンと何かが折れる音。力強く握られた彼女の拳が解かれ、掌からキラキラと光る何かが落ちた。それは、先ほどまで彼女が付けていた付け爪だった。どうやら、俺が思っている以上に女とは好戦的な生き物らしい。


「おお、怖っ。キレーな顔してけっこーエキセントリックだね、彼女。でもそういうの、嫌いじゃないです」

「姐さん、ぜってー勝ってください! うち、全力で応援しますんで!」


 かくして、ひょんなことから俺たちはミーシャと西園寺さんの抗争に巻き込まれることとなった。

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