第23話 ケーキの鉄人
因縁を生んだ対面から三十分も経たずして、それはパーティー会場のど真ん中に忽然と姿を現した。
「ヒュー、流石は天下の藤代財閥。やることのスケールがハンパないねぇ」
「おー、京介。見てみろよコレ。ヤバいくらいでっかいぞ」
「うおっ、なんだこりゃ。まるでキッチンスタジアムじゃないか」
目の前にはテレビ番組でありがちなセットが組まれており、食材用にセッティングされた台の上にはフルーツやら砂糖、小麦粉などの菓子作りの材料が山のように並べられていた。まさかここまでとは。随分本格的じゃないか。
「あ、皆さん。ここにいたんですね。そろそろ始まりますから、どうぞこちらへ」
俺たちは藤代さんに誘われるまま、特別審査員席へと案内された。なるほど、確かにこの位置からなら舞台がよく見える。
俺が席に着いたのとほぼ同時に会場内の照明が落とされ、どこかで聞いたことがあるようなBGMが流れ出した。ステージ真上から照らされたスポットライトと焚かれたスモークの演出が妙な緊迫感を演出していた。今まさに、始まりの瞬間を告げようとしていた。
「わたしの記憶が確かならば……」
これまたどこかで聞いたことがあるような台詞と共に、スモークの中から一人の男の影が映された。
「今日この場で、洋菓子界の新たな伝説が幕を開ける!」
拍手喝采に迎えられてスモークの中から現れた男は、手にはお馴染みの黄色いパプリカが握られていた。素人目から見てもわかるグレーのスーツに身を包む大柄な男は、徐に手にしたそのパプリカを鳥マスクの嘴部分でついばむように小気味の良い音を立ててかじった。どういう仕組みなのだろうか、アレ。
「さあ、舞い踊れ! 麗しき乙女たちよ!」
今まで姿が見えなかった鳥人レスラー、もとい鳥野さん。この演出にはゼンさんとヘレナも絶句状態。もちろん、俺もだ。そして、彼の掛け声と共にまず先に壇上へと現れたのは、今最も人気のある洋菓子店インペラトリーチェの美しきオーナーパティシエール、西園寺エリカ。
確かな腕と独創的な作品の数々で洋菓子界に新風を巻き起こしてきたパイオニア。イタリア語で〝女帝〟という店名にふさわしい堂々とした出で立ち。その表情は職人としての貫録と自信で満ち溢れていた。
対するは、我らが
「うおー、ミーちゃーん! 頑張れー! 世界一愛してるよー!」
「姐さーん! 相手は隙だらけだー! 一気にたたみかけろー!」
身内の熱烈なエールに苦笑いで手を振り、ミーシャは西園寺さんへと向き直る。流れ出る鮮血を映したような赤い瞳と口元から覗く鋭く白い牙は、正に喉元へと喰らいつく捕食者の目。殺気にも似た禍々しい雰囲気を纏い、その存在感を存分に見せつけていた。
先ほどのドレス姿とは打って変ってコックコートを身に纏った西園寺さんとミーシャが今、互いに歩み寄り睨み合ったまま対峙した。まるで視線から火花が散っているかのような錯覚さえ覚える。今にも互いに拳骨を叩き込まん雰囲気だ。
「制限時間は二時間。互いの全てをぶつけ大いに戦うがいい! Allize Patissiere《アレ パティシエール》!!」
戦いの火蓋が、切って落とされた。
鳥野さんの合図と共に真っ先に飛び出したのは、西園寺さん。どうやらチョコレートを選んでいるようだ。
「あら? あれは確かヴィッターメイルのチョコレートね。ベルギー王室御用達の一つで、とっても美味しいのよ」
藤代さんは俺の隣で解説をしてくれた。その後も西園寺さんは基本となる卵や砂糖、小麦粉、バターなどの他にも、珍しいものではトマトやマスカルポーネチーズ、黒胡麻なども次々と選び、持ち場へ帰還すると早速作業に取り掛った。
一方ミーシャはというと、依然と動かず。口元に手を当てたまま、ただじっと相手の動きを観察していた。一時間という限られた時間内に百個以上を作らねばならないというのに、一体何をやっているのだ。
「西園寺さん、今度は何を選んでいるのかしら?」
持ち場を離れた西園寺さんが次に選んでいるのはアルコール類だ。棚には菓子に使うリキュールやブランデーのみならず、ワインやウイスキー、ジンやラムなど。しかも、中には三つ星レストランでも中々お目にかかれないようなヴィンテージものの酒まで並んでいる。急遽作られた簡易厨房にしては上等過ぎる品揃えだった。あそこに並んでいるだけで数千万は下らないだろう。そんな数あるアルコール類から彼女が選んだのは、ベネディクティンとシャルトリューズのヴェール。どちらも霊薬エリクサーと呼ばれる薬草系のクセの強いリキュールだ。
ミーシャが動いたのは、その直後だった。
必要なものを選び、持ち場に戻った時点で時間は既に十五分が経過していた。この差は痛い。そうまでしてミーシャは一体なにを観察していたというのか。当人はといえば、ロスした時間の差で焦る素振りも見せず、なにやら薄く伸ばして焼いた生地をいくつも積み重ねていた。鼻歌など交え、余裕の様子だ。
「おおおっ!」
突如、会場内から歓声が上がった。西園寺さんの方を見れば、高く掲げたボウルから溶けたチョコレートを黒いスポンジ生地の上へと糸のように細く垂らしていた。それをパレットナイフで丹念に塗っていく。すると、徐々にチョコレートを纏ったケーキは、まるで黒大理石のように眩い光沢を放っていく。あれほど美しいチョコレートケーキは未だかつて見た事が無い。流石は自他共に認める日本一の名店というだけのことはある。彼女の技術や菓子作りへの情熱は本物だ。真剣な表情から彼女の情熱が伝わってくるようだ。
「西園寺さんは元々フランスでショコラティエとして活躍していた方なの。だからチョコレートの扱いなら日本で誰にも負けないって自負していたわ」
これは想像以上に強敵だ。流石のミーシャでも、そう簡単には勝てそうには――
「おおおっ!」
再び上がる歓声。今度はミーシャの方を見れば、なんと、大きなグレープフルーツやレモン、オレンジといった柑橘類を次々と素手で握り潰してジュースにしていたのだ。なんて破天荒なことをするのだろうか。黙々とアンニュイな表情で果実を握り潰す様はかなりシュールだ。
「流石ミーシャちゃん。力持ちよね。林檎も余裕で潰せるそうよ」
「うちならコンクリートブロックも余裕だぜ! 京介、試しに握手しようぜ!」
「いやいや、でもあれじゃお客さんも引きますって。で、ヘレナさん? 君は俺の手をどうしようというんだい?」
「いやいや、キョーちゃん。ありゃ確かに一見すると乱暴な作り方にも見えるが、あれはちゃんと理に適っているんだぜ? 皮ごと握り潰すことでピールしたような絶妙な風味も一緒にジュースの中に入れることが出来るし、何よりその場で果物を絞ったジュースだから鮮度が違う。間違いなく市販の加工されたものより格段に味がしっかりしている筈だ」
ミーシャの力技も然ることながら、ゼンさんの博識ぶりにも驚かされる。舞台中央に置かれた時計を見れば、残り時間は五分。両者とも互いにラストスパートに入った。
「まあまあ、あれはシェイカーね。まるでバーテンダーみたい」
西園寺さんは慣れた手つきでシェイカーを振り、中身をケーキの上にかけていく。緑色のソースがなんとも綺麗だ。最後に金粉を乗せてメインのケーキは完成したようだ。残りの時間で付け合わせのソルベを盛り付けている。
ミーシャも一気に仕上げに入った。ミーシャの持つフライパンからは炎が立ち上がっている。中身は炎でよく見えないが、何かをフランベしているようだ。この甘い柑橘系の香りは洋酒のグランマニエだろうか。その後、中身を皿に盛り付け、美しく飾り切りされたオレンジの皮や動物を模った飴細工を上に乗せ、色取り取りの凍ったベリー系フルーツでデコレーションしていく。
時計から鳴り響く終了のベル。両者は見事時間通りに各々の作品を完成させた。
「……」
「……」
あれほどいがみ合っていた二人の表情は、実に穏やかだった。互いに全力でぶつかり、互いにそれに答えて見せた。拳と拳で語る友情の如く、清々しく晴れやかな顔。俺は今確信した。製菓は格闘技になり得るのだと。
「これより審査に移りたいと思います。インペラトリーチェ、前へ!」
まず先に運ばれてきたのは西園寺さんのケーキ。目の前に出された一皿に、俺たちは思わず息を呑んだ。
「こちらが私の作品、その名も〝エリクサー・マーヴル 二色のソルベ盛り〟でございます。どうぞお召し上がりください」
四角いキューブ型のチョコレートケーキの表面は、まさに大理石。黒と灰色の模様がなんとも美しい。しかも、鏡のように顔が映るほどの光沢がケーキであることを忘れさせるようだ。上には金箔と緑色のソースがかかっており、付け合わせのシャーベットも祝いの席にはぴったりの赤と白。なんとも嬉しいじゃないか。
「それでは、いただきます」
スプーンですくい、口の中へ。
「まあ!」
「ほほう」
「うちは味がわからないからパス!」
チョコレートの香りの後を追うかのように微かな胡麻の風味が漂う。その後、ガツンと来る薬草系リキュールの香り。断面を見れば、中にはどうやらベネディクティンのムースが入っているようだ。上にかかっているソースはシャルトリューズベースのカクテルソースだろう。どれもチョコレート本来の味と香りと味を決して邪魔せず見事に引き立てている。味も見た目も共に文句なしの逸品だ。付け合わせのシャーベットは赤いのがフルーツトマト、白いのがマスカルポーネチーズとへーゼルナッツを練り込んであり、チョコレートとイタリア菓子を得意とする彼女らしい素晴らしい創作ドルチェ盛りとなっていた。
「今日で二十歳を迎えられた彩音お嬢様へ少しオトナの味をプレゼントさせていただきますわ」
なるほど、だからあえてアルコールを効かせたケーキを作ったというわけか。なかなか憎い演出を考えたものだ。シェイカーのパフォーマンスといい、やはり職人として超一流。西園寺エリカ、女帝の名に恥じぬ腕前だ。
「西園寺さん、たいへんおいしゅうございました」
「恐悦至極ですわ」
予想通りの高評価。悔しいが彼女の腕は確かだ。さて、次はいよいよミーシャの番だ。果たして、強敵相手にどう出るか。
「続いて、ル・ベーゼ。前へ!」
ミーシャの運んで来た皿には、洋菓子には珍しく湯気が立ち上っていた。それに乗って漂う爽やかなオレンジの香りがした。
「イギリスの皇太子、エドワード七世が愛した一品〝クレープ・シュゼット〟でございます。ル・ベーゼが贈る渾身の一皿、存分にご賞味ください」
ミーシャの皿の上にはオレンジ・ソースのたっぷりかかった温かいクレープ。その上には冷たいバニラアイスとフルーツが添えられており、更にその上には動物を模った可愛らしい飴細工が飾られていた。西園寺さんの作品ほど見た目の派手さは無いが、味は申し分無し。温かいクレープと冷たいアイスクリームやフルーツのハーモニーは絶品だった。一口、二口とスプーンを運んでいくうちに、俺とゼンさんはある事に気付いた。
「なあ、キョーちゃん。コレ……」
「うん、一口目と比べて味が変わった」
柑橘系の爽やかさが際立っていた最初とは打って変って、今度はもっと濃厚で深みのある味わいが口に広がっていく。
「そっかぁ。飴細工が溶けてソースになっているのね!」
「それだけじゃないぜ。氷漬けだったフルーツもジャムのように溶けている。ミーちゃん、一体どんな魔法を使ったんだい?」
「魔法の秘密はコレよ」
そういうと、ミーシャは謎の容器を見せた。中身は見えないので、それが何なのか見当も付かない。
「ミーシャちゃん。それ、ジュワー瓶よね? まさか中身って……」
「そのまさか。液体窒素よ」
ミーシャはあろうことかフタを開け、その中に手を突っ込むと中から凍った苺を取り出したのだ。これには周りの観客も絶叫。そりゃそうだろう。マイナス百九十度の超低温の液体に手を突っ込んだのだ。一瞬だけ触れるのならまだしも、ミーシャが容器に手を突っ込んでいたのは五秒以上。普通に考えて凍傷で済むレベルではない。ところが、ミーシャの手は壊死や凍傷どころか赤くすらなっていない。依然と白い綺麗な肌のままだった。流石は吸血鬼。人間の常識では計り知れない体の作りをしているようだ。
「二時間という短い時間での作業だからこれを使って手っ取り早く果肉たっぷりの特製苺ジャムを凍らせたのよ。ある程度時間を置いて溶け出す手前のところで皿に盛り付け提供することで食感の変化を持たせたのよ」
大胆にして緻密。それでいて二段階で変化する楽しい味わい。これもまた文句なしに美味だ。
「流石はミーシャちゃんね。とっても美味しかったわ」
「ふふん、当然」
「それでは、これよりお待ちかねの試食タイムとさせていただきます。両者の味を比べ、優れている方に票を入れてください」
会場に集まった全ての人に二人のケーキが振舞われた。今この瞬間こそが勝敗を分ける審判の時。西園寺さんとミーシャは、ただ静かに結果を待った。
そして、雌雄を決する時が遂にやってきた。
「それでは、結果の集計が終わりましたので、皆さま。中央の電光掲示板をご覧ください。結果はこの様になりました!」
《インペラトリーチェ 六十六票》
《ル・ベーゼ 五十五票》
「くっそ! こうなったらうちが直接あの女狐をブッ潰して――」
「止めろ、ヘレナ。しかし、ミーちゃんが負けるとはね。悔しいが、あちらさんのケーキも確かに美味かったからな」
十票以上の差をつけられ、ミーシャは西園寺エリカには僅かに及ばなかった。
「今回の栄えある勝者は、インペラトリーチェの若きオーナーパティシエール、西園寺エリカに――」
「ねー、ねー、鳥のおじちゃん」
鳥野さんの勝者宣言を止めたのは、子供の声だった。この時、俺は見逃さなかった。ミーシャの口角が僅かに上がったのを。
「ボクたちもとーひょーしていいでしょー」
「おねーたんのケーキ、すっごくおいしかったの!」
「俺もお姉ちゃんに入れるー」
「あたしもー」
招待客の連れ子だろう。身形の良い服を着た九人の子供たちは皆、手には紙ナプキンをちぎって作った手作りの投票用紙を持って鳥野さんの元へ押し寄せたのだ。
「西園寺さん」
愕然としている西園寺さんに、藤代さんはゆっくりと歩み寄った。
「私の為に作ってくれたケーキ、とてもおいしかったわ。でもね、ミーシャちゃんは私だけじゃなく、いつも全ての人に食べて欲しいと願ってケーキを作っているの」
確かにアルコールの入っているケーキは子供には食べさせられない。しかし、ミーシャのケーキはフランベで充分にアルコールを飛ばして香りだけを残したケーキ。子供でもおいしく味わうことが出来る。そして、クレープの上に乗った可愛らしい動物を象った飴細工も、おそらく最初から子供たちを意識して作ったものだろう。投票権があるのは何も招待状を受け取った大人たちだけに限ったことではない。そして、それは俺たちにも言えた。
「私の一票はミーシャちゃんに入れるわ。子供たちの票と合わせると、これで同点ね。さあ、残りは南雲さんの票だけよ」
俺の入れる票はもちろん決まっている。
《インペラトリーチェ 六十六票》
《ル・ベーゼ 六十七票》
「まさかの大逆転! 勝者、ル・ベーゼの神裏美紗!」
高らかに響く勝者の名と湧き上がる拍手喝采。ミーシャは見事に勝利を収めた。
「お疲れさん。ミーシャ」
「ああ、京介。ありがと」
俺はミーシャへ赤い液体の入ったペットボトルを投げて寄越した。
「ゼンちゃんとヘレナちゃんは?」
「ああ、なんか外タレさんたちとお近づきになるんだってあっちこっち回っているよ」
「そう」
「すべてはシナリオ通りってやつか?」
「何のことかしら?」
「だってあの時、相手が酒を取った瞬間に動いたじゃないか。あれってつまり、こうなる事を予想していたんだろ?」
「考え過ぎよ。あたしはただ……」
ミーシャが視線を向けた先、そこにはミーシャのケーキを笑顔で食べている子供たちの姿があった。
「子供が食べられないお菓子は作りたくないって、そう思っただけよ」
そう呟いたミーシャの横顔の裏に、ほんの少しの哀愁を見た気がした。
「あっ、お菓子のおねーちゃんだ!」
「ねぇねぇ、他にも何かおいしーの作ってよ」
先ほどの子供たちは皆、嬉々としてミーシャへと飛び付く。すっかり気に入られたみたいだ。ミーシャの方もまんざらではない様子の笑顔。どうやら子供は好きらしい。
「しょうがないわね。それじゃあ、おねーさんと一緒においしいシュークリームを作りましょう。まずは手をしっかり洗ってからよ!」
ミーシャは子供たちを連れて、楽しそうにキッチンスタジアムへと向かって行った。ふむ、なんとも微笑ましい光景じゃないか。置いてけぼりを食わされた俺の元にやってきたのは、藤代さんだった。
「南雲さん、ミーシャちゃんは?」
「ああ、藤代さん。ミーシャなら子供たちにお菓子作りを教えるんだって舞台に戻って行ったけど」
「そう。それなら好都合だわ。南雲さん、少しお時間いいかしら?」
「構いませんが……」
「よかったぁ。それじゃあ、ちょっと更衣室まで来てくださいな」
藤代さんに腕を掴まれて、半ば強制連行される形で俺は更衣室へと連れて行かれた。
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