第24話 Shall we dance?

 藤代さんに連れて行かれて一時間後。俺はようやく会場へと戻ることが出来た。なにやらどっと疲れたが、俺にはこれからやることがある。それにはまず、ミーシャを探さなくてはならない。さっきまでミーシャと子供たちがいた特設セットは既に解体されており、甘い香りだけが残っていた。今はオーケストラたちが演奏の準備の為、楽器を並べ始めていた。


 広い会場内をしばらく探していると、会場の隅で数人の男性に言い寄られているコックコート姿のミーシャを発見した。社交的な笑顔で男たちの誘いを断っては、辺りをキョロキョロと見渡し、疲れた表情で溜息を吐く。そこへまた違う男が声を掛けにやってくる。このローテーションを幾度となく繰り返していたのだろう。せっかく決め込んだ壁の華が今にも枯れそうだ。あまり長く待たせると後が怖い。さて、行きますか。


「ミーシャ」


 俺は壁にもたれかかっているミーシャに声を掛ける。


「ちょっと京介! どこに行って――」


 俺は振り向いたミーシャの衣服を目にも留らぬ早業で一気に剥ぎ取り、代わりに先ほどミーシャが着ていた真紅のドレスを着せる。周りから見たらパティシエール姿から一瞬で淑女に変身する魔法にしか見えなかっただろう。


 素早く衣服を脱ぎ身代りに仕立てる空蝉の術を応用すれば、この程度のことは造作も無い。ただ、ドレスは普通の服と違って着せるのに少し苦労したが、なんとか失敗せずに済んで良かった。失敗した場合の事を考えると背筋がゾッとするが、まあ、とにかく結果オーライということで。何度か藤代さんで練習しておいて良かった。ああ、ちなみにその時は一回失敗して大変なことになったのは内緒だ。


 俺は脱ぎ取ったコックコートを近くの従業員ウェイターに投げ渡す。それと同時にオーケストラの生演奏が会場に響き渡る。ここからはダンスの時間。俺はミーシャに手を差し伸べ、藤代さんに教えられた通りこう囁く。


「一曲お相手願えますか? マイ・フェア・レディ」

「……」


 ミーシャは俯いたままプルプルと肩を震わせ、胸前で握り拳を作っている。おっと、このまま鉄拳が飛んでくるのか? まあ、失敗したら裸を大勢の前で裸体を晒すとんでもない事態になっていたかも知れないし、そう考えれば妥当な報復だろう。


 しかし、ミーシャの拳は俺の胸板に軽く当てられただけで留まった。


「……ばか。気取ってタキシードなんか着ちゃって。それになによ、その恥ずかしいセリフは。いつもからかってる仕返しのつもり?」

「ん? ああ、お前がきっと喜ぶからって藤代さんに言われてやってみたんだけど、やっぱヘンだったかな?」

「及第点ってトコかな」

「なんだそりゃ。まあ、いいけどさ」

「それより、あなたワルツなんて踊れるの?」

「さっき藤代さんから借りたビデオを一通り見たから、大丈夫だと思う」

「そんな見ただけで踊れるわけ――」


 論より証拠。俺はミーシャの手を取り覚えたばかりのステップを踏む。後は曲に合わせてさっき見た動きを真似するだけだ。こんなの俺にとっては機械の流れ作業に等しい。


「……あなた、本当にダンス初めてなの? まるで上級者並じゃない」

「そりゃあ上級者の模範円舞を見たからな」


 水鏡に月が映るが如く。俺は昔から一度見た動きや技を瞬時に真似て即興で体現することが出来る。特異体質とか特殊能力とかそんな大それたものじゃないが、冴えない俺に神が与えた唯一の特技だと思っている。


「ねぇ、京介。一つだけ、お願いがあるの」


 ほんの少し。ほんの少しだけ、ミーシャの瞳が濡れていた。


「黙っていなくならないで。いきなり一人にされるのは、とても辛いから」


 目の前で震えているのは決して伝説の化け物なんかじゃない。一人の小さな女の子だった。

その濡れた瞳が愛おしくて、思わず俺はステップを止めた。周りは俺たちなど気にも留めず曲に合わせて悠然と踊り続ける。まるで俺たちだけ壊れた操り人形マリオネットのようだ。


「京介……」


 ミーシャはそっと目を閉じる。俺は不思議な力に引き寄せられるかのように今、ゆっくりと彼女の唇へ――


「へぶあ!」

「きょっ、京介!」


 ミーシャ側から見たら、さながら交通事故のように映っただろう。いきなり奇声を上げた俺が、得体の知れない何かにぶつかり横へ思いっきり吹っ飛んで行ったのだから。

 

 俺に覆いかぶさっているのは、筋骨隆々とした黒服の外国人二人。ここのSPのようだ。屈強そうな二人は、白目を剥いたまま俺に覆いかぶさり気を失っていた。頼む。誰か彼らを退かしてくれ。内蔵が圧迫されてイケナイ何かが口からニュルっと出そうだ。 


「ややっ、申し訳ない。まさかそこまで飛んで行くとは私も予想外でした」


 両肩周りが張り裂けたスーツを着た新種の鳥、もとい鳥野さんが慌ててこちらへ駆け寄って来るのが見えた。とても済まなそうにしているのが、珍妙な仮面越しにもわかった。


「いやあ、ひょんなことからそこの御二方と腕相撲対決をすることになりまして、嬉しくてつい力を入れ過ぎてしまいましたよ。はーっはっはっは!」


 腕を組みながら高笑をしている鳥人間。まさかこの大男たちを片手で、しかも二人同時にここまで投げ飛ばしたと言うんじゃないだろうな。だとしたら、彼の腕力は常の域を超えているぞ。


「うふふ~、南雲さんが分身してる~。すご~い!」


 顔を上げれば、藤代さんが頬を赤らめたまま、倒れている俺の顔を覗きこんでにっこりと微笑んでいた。最初言っている意味がわからなかったが、どうやら先ほどのアルコールケーキのせいですっかり酔っぱらっているようだった。そのせいで今の彼女には俺が二人以上に見えているらしい。さっきまで平然としていたのだが、ここにきて一気に酔いが回ったようだ。藤代さんはふらふらと覚束ない足取りでミーシャの元へとにじり寄るように壁際へと追い込んだ。


「は、はあい、彩音。だいぶ酔っているようだけど、大丈夫? ていうか、ちょっと顔近くない?」

「えへへ~、ミーシャちゃん今日もかわい~な~。んちゅ!」

「んっ~~!」


 すると、何を思ったか藤代さんはミーシャのほっぺを両手で挟んで逃げないように無理やり固定し、いきなり熱い接吻ベーゼをかましたのだ。四十秒以上は唇を重ねていただろうか。もしかしたら濃厚に舌を絡めていたのかも知れない。俺を含めた会場内全ての人はその事態にただただ唖然とするしか出来なかった。


「ぷっはー、大満足れ~す!」


 気が済んだのか、ミーシャを解放した藤代さんは覚束ない足取りでその場をクルクル回ると、気を失うように倒れ、気持ち良さそうな寝息を立てた。その寝顔はとても安らかで、とても満足気だった。


「……」


 ミーシャは、ハトが豆鉄砲を喰らったような顔で石像のように固まっていた。


「……お疲れ様」


 よくわからん労いの言葉を掛ける事しか、俺には出来なかった。

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