第26話 珍奇な客と雷
太陽が完全に沈むよりも少し前に甘い香りに包まれて吸血鬼が営む洋菓子店ル・ベーゼは開店する。今日の客足はまずまずだ。若干、テイクアウトの客数が普段よりも多い気がする。やはり、昨日のアレが影響しているのだろう。
「うふふ、やっぱりライバル店を著名人たちの面前で叩き潰した甲斐があったわね。予想通り。いや、それ以上の成果よ!」
「おーい、ミーシャ。悪い顔になってるぞ。お客さんの前で見せるなよ」
レジの隅でほくそ笑むミーシャを横目で見つつ、俺はテーブルを拭いて開いた皿を下げる。店の回転が速いので常にテーブルと厨房を行ったり来たりだ。作業をしている間にも、来店を知らせるベルの音が鳴り止む事はない。
「いらっしゃいま……せ」
「二名なんだけど、席は空いてます?」
おっと、本日はこれまた珍しいお客様のご来店だ。というか、まさか本当に来るとは思わなかったな。見覚えのある西洋人二名。一人は男で一人は女。二人とも似たような服装で、二人とも腰には細身の西洋刀を差していた。
「申し訳ございません、お客様。当店は危険物の持ち込みを固く禁じておりますの」
店主のミーシャが、すかさず二人を咎める。ミーシャが危険物の持ち込みをとやかく言うのは非常に珍しい。普段は俺の暗器やゼンさんの仕込み錫杖、存在そのものが兵器であるヘレナに対しても何も言わないというのに。やはり、この二人の所持している聖剣とやらだけはアウトのようだ。
「聖騎士が丸腰でヴァンパイアと対峙するわけないでしょう。大体――」
「はーい。んじゃあ、店員さん。これ二本とも預かっておいてください」
「ちょっと! エルク!」
エルクはアンの腰から西洋刀を抜き取ると、自身のも含めてあっさり得物を手渡した。エルクの隣で怒鳴っているアンはともかく、彼自身に敵意は無い事を明確に告げていた。
「京介、二名様をテーブルへご案内して差し上げて」
溜息を吐きつつ、ミーシャは肩を竦めてそう言った。
「ご注文はお決まりですか? お客様」
突如来店した二人の聖騎士に俺はオーダーを取る。エルクは嬉しそうにメニューを眺め、アンはむすっとした表情のままこっちを見ようともしない。
「えーっとね。……よし、決めた! このエクレアのセットを二人分。飲み物はアイスカフェラテで」
「なに勝手に決めてるのよ!」
「えー? いいじゃないエクレア。おいしーじゃない。それに、何となく僕の名前に似てない? エルクレアとエクレアって」
「どーでもいいわよ!」
エルクが勝手に行動し、アンがそれを咎める。長くなりそうな気配だったので、俺は軽く一礼して下がった。
「お待たせしました。こちらエクレアとアイスカフェラテのセットでございます」
聖騎士二人の前に注文通りエクレアの乗った皿とカフェラテの入った高そうなアンティーク・グラスを並べる。その間、二人は言い争いをピタリと止め、目の前の皿を凝視していた。俺、何かいけないことしたか?
「……なんなの? コレは。私たちはエクレアをオーダーしたハズだけど?」
アンは俯いて肩を震わせながらそう言った。何やら怒っているようだ。しかし、俺には彼女が何故怒っているのか皆目見当も付かない。過信するわけではないが、特に俺の接客に問題があったとは思えない。彼女の口ぶりは、あたかもこれがエクレアではないと言っているように聞こえた。
「お客様、うちの従業員に何か不手際でもございましたか?」
険悪な雰囲気を察した店主のミーシャがやってきた。俺はあまりケーキの知識は無いので代わりに対応してくれるのはとても有り難い。
「そこの彼に問題は無いわ。あるのはこの皿に乗った珍妙な物体よ。あなた、これがエクレアだなんて本気で言い張るつもり?」
「当店自慢のエクレアに、何かご不満でも?」
「あなた、エクレアの由来を知らないのね。いい? そもそもエクレアというのは我が故郷フランスではエクレイル。つまり、雷を意味する言葉であり、表面のチョコレートコーティングのひび割れが雷に見える事から名付けられたお菓子。こんな丸くてひび割れの無いつるつるのお菓子なんて断じてエクレアだなんて認められないわ」
確かに、うちで出しているエクレアとは、市販されている一般なものとは少し異なる形をしている。細長くも無いし、チョコレートコーティングがひび割れもしていない。一見すると黒光りする滑らかな球体だ。物珍しさから買って行く客も多く、殆どの客は後日また買い求めに来るので店の人気商品の上位に入るお菓子だ。
常に独創性を追求する日本人はあまり気にしないが、アンのように伝統ある洋菓子の本場、フランスの人間から見たらこの珍妙な球体は非常に気になるのかも知れない。お客様は時に理不尽なものだ。こっちの事情などお構い無しにクレームをつけることがある。クレームとは商売柄、どうしても避けては通れない道。さあ、店主様はこの修羅場をどう乗り切るか。
「あなたの口はお菓子のウンチクを垂れる為にあるのかしら?」
お客様のクレームに対して「食えば分かる」と遠回しに、そして挑発的に言い放ったのだ。これにはアンも目を丸くしていた。その隣でル・ベーゼ特製のエクレアを珍しそうにしげしげと眺めていたエルクは、目の前にあるナイフとフォークを使わずおもむろに球体を掴むと、豪快にかぶりついた。
「うん、おいしい! なるほど、おもしろいことを考えたね。アンも食べてごらんよ。こんなエクレア食べたことないよ!」
エルクに促され、アンはしぶしぶエルク同様に手掴みでエクレアを口にした。
「んなっ! なにコレ!?」
驚きで開かれたアンの口から、まるで火花が弾けるようなパチパチという音が聞こえた。
「焼き上がったシュー生地の内側にポップロックキャンディーを仕込んであるのよ。だから口の中に入れた瞬間にパチパチ弾けるの。どう? ちゃんと雷してるでしょ?」
アンは一口、また一口と、黙々とエクレアを食べ進める。さっきまであれだけ否定的だったせいかどこか気恥ずかしげだった。結局全部食べ切り、冷たいカフェラテで口を潤す。よほど気に入ったのだろう。
「お味はいかがですか? お客様」
「……よろしいんじゃないかしら」
アンの固定観念にミーシャの遊び心が勝った瞬間だった。
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