第27話 七人のエルダー
平日は大概、夜の十時を過ぎると客足が落ち着く。今日は静琉ちゃんや藤代さんが来ていない為、特に少なく感じる。店内はとても静かで、古めかしい柱時計が時を刻む音だけが少しだけ大きく聞えた。その時々で聞えるスプーンがティーカップを軽く打つ音。傾いたティーカップがソーサーへ置かれる時に鳴る渇いた音。溶けかけの氷がグラスを打つ音。客は二人。薄い甲冑と修道服のような制服に身を包んだエルクレアとアンジェリーナ。彼らは所謂、聖騎士と呼ばれる化け物退治の専門家のようなものであり、吸血鬼であるミーシャとは対極の存在。事実上、敵対関係にあるらしい。
俺は、何故彼らがここにやって来たのかが気になっていた。本気でミーシャを葬りに来たのなら、それこそまさに字の如く、単刀直入に得物でミーシャを斬ればよい。それをせず、わざわざこちらへ武器を預けるということは、戦闘の意思は今のところは無いということだ。まさか本当にケーキを食べに来ただけではあるまい。何か別の目的があるはずだ。
「お待たせ。さて、そろそろお聞かせ願えるかしら。あなたたちがここへやってきた理由を」
洗い物を済ませ、厨房から戻って来たミーシャが二人の前に座る。ほんの僅かだが、場の温度が下がり空気が張り詰めたような気がした。口の周りに付いたチョコを紙ナプキンで拭き、アンはただ一言だけ発した。
「エルダー」
アンの一言にミーシャの眉がぴくりと動いた。
「あなたもヴァンパイアならば聞いたことくらいはあるでしょう?」
「まあ、一応はね」
ミーシャは眼を閉じ、静かに語った。
「彼らは神に背いた私たちヴァンパイアにとってはある意味、神に等しい存在よ」
エルダーとは、吸血鬼の王に仕えた精鋭の総称で、千年以上生きた七人の吸血鬼に与えられた称号なのだという。
『ヴァンパイアによる完全な世界の支配を』
その野望を旗印に吸血鬼たちは人類に戦いを挑んだ。それを受けたのが、世界に十億人以上の信者を持つローマのカトリック教会だった。彼らは教皇の御旗の元に集い、信仰を剣に、正義を鎧としその身を固め、神聖十字軍を編成してエルダーに立ち向かったのだという。これがヨーロッパ史において伝説として語られる『
この十字聖戦にて殉教したカトリック教徒の数は記録されているだけで五千万人にも及び、その死亡者の数はヨーロッパの歴史の中でも黒死病と並ぶ驚異的且つ凄惨な数字であった。戦いはカトリック教会の劣勢。人の世に終末が訪れんと誰もが諦めたかけた時、一人の聖騎士の武功により彼らの王は討たれた。それにより、人類は辛くも勝利を収めることとなる。
「七人のエルダーを退け、たった一人で彼らの王を討ち取った男。その名は『ゲオルギウス』後に聖人として崇められ、聖典にその名を記された伝説の英雄。その蛮勇ぶりから〝龍殺しの聖人〟とも呼ばれ、今日まで語り継がれている……だったかしら?」
「結構。十字聖戦でヴァンパイアの王は倒れましたが、我々の聖戦はまだ終わっていない。重臣だったエルダーたちを全員葬り去らない限り。この地上に住む人類に真の安息と平和を齎すことこそが私たちの使命なのです」
アンは先ほど追加で注文したアッサムティーを一口飲み、続けた。
「一ヶ月ほど前。我々はある情報を入手しました。我らの探しているエルダーが、もしくはその末裔がこの日本にいると。調べて行くうちにまず直面したのが、今この東京で起こっているヴァンパイアによるものと思われる連続殺人事件。ヴァチカンの教会本部はこれを無視出来なかった。そこで送り込まれたのが私たち聖ヨハネ騎士団なのです」
「本当はテンプル騎士団が来日する予定だったんだけど、なんかある大事な物が無くなっちゃったらしくて、そっちの捜索に人員を大幅に裂くからって理由で討伐任務は急遽僕らに変わったんだよね」
「その末裔さんを探し出し、口を割らせてエルダーを捕えたい、と。なるほどね。あなたたちの事情はわかったわ。でも残念。あたしにはその末裔さんの居場所なんて聞かれてもわからないわ。他を当たってちょうだい」
ミーシャが席を立とうとした直後、アンはフォークを逆手で握るや否や、刃先をミーシャの首へと宛てがった。
「率直に言うわよ、ドラキュリーナ。私たちはあなたこそがエルダーの末裔じゃないかと疑っているの」
店内に緊張が走る。俺は隠し持っていた暗器を取り出し、ミーシャの援護に回ろうとするも、俺の前にはナイフを構えたエルクが立ちはだかり介入を阻んだ。
「少し大人しくしていてよ」
さっきまでヘラヘラしていたというのに、なんという冷たい眼をするのだろうか。持っているのはケーキ用の小さなナイフだが、まるで業物の刀でも向けられているような錯覚に襲われた。エルクの放つ達人級の剣気がそうさせているのだろう。一歩でも間合いに入れば、彼は容赦なく俺を斬るだろう。だが、エルクの方も迂闊に動こうとはするまい。こちらの間合いに入れば、瞬時に無数のクナイが一斉に急所を襲うことがわかっているからだ。こちらに預けた西洋刀ならいざ知らず、小さなナイフ如きで防げるほど俺のクナイは甘くない。互いに動けない以上、硬直は必至。向こうは最初からこれが狙いなのだろう。
「あまり宗教には詳しくないけど、カトリック教には話し相手にいきなり刃物を突き付けて言いがかりをつけろなんて素敵な教えでもあるわけ?」
「いちいち癇に障る女ね。このまましょっ引いて無理やり吐かせてもいいのよ? それに言いがかりなんかじゃないわ。僅かだけど、あなたを疑うべき要素があった。昨晩、あなたはレプリカといえど聖剣を一撃でへし折ったわ。あんなこと、並の吸血鬼には不可能よ。化物なら、刃の輝きでさえ嫌がる代物なのに」
「あれは無我夢中だったからよ。見たでしょ? 思いっきり聖剣に叩きつけたあたしの手が流血していたのを」
「それでも、私たちはあなたへの疑念を捨てきれない。そこで、今からあなたを簡単に調べさせてもらうわ。大人しく従うなら生かしておいてあげる。逆らうなら力尽くで連行するわ」
「まるで強姦魔ね。まあ、いいわ。従いましょう。但し、なるべく手短にね。京介、店の看板を準備中にしてちょうだい」
「殊勝な心掛けね」
アンはミーシャの足元にチョークで何やら魔法陣の様なものを描いていく。書き終えた陣に薬瓶に入った聖水をかけ、呪文めいた言葉を呟く。すると、魔法陣は淡い緑色の光を放ち、ミーシャの体を包んだのだ。
「じゃあ早速だけど、私たち全員の前で身に着けている衣類を全部脱ぎなさい。もちろん、下着もね」
俺は突然の展開に若干混乱したが、ミーシャは至って平然としていた。仕方ないと溜息を一つ吐くと、目を瞑るとコックスーツのボタンを一つずつ外していく。
「ちょ、ちょっと待てって! なんで服を脱ぐ必要があるんだよ」
「部外者は黙っていてくださる? これは私たちとそこのヴァンパイアの問題よ」
「部外者だと? 今の俺はここの従業員だ。雇い主がわけのわからん理由で辱めを受けようってのに黙っていられるわけないだろ!」
柄にもなく熱くなってしまった。しかし、どうしても憤りを感じずにはいれなかった。いくら吸血鬼と言っても女の子。いきなり人前で肌を晒せと強要するなんてどう考えても酷な話だ。アンは心底面倒臭そうに頭を掻き、俺の目を真っ直ぐ見つめて答えた。
「エルダーとその後継者は、感情の高ぶりに反応して体のどこかにしるしが浮かび上がるの。そして、今描いたものは、〝マシュー・ホプキンスの魔法陣〟と呼ばれるもので、本来は魔女の疑いのある者の体に刻まれた呪印を浮かび上がらせる為のものよ。これをヴァンパイアに用いれば、魔女の呪印と同じようにエルダーの後継者が受け継ぐその家の紋章、〝血族の
「それなら、なにも男の俺たちがいる前で試さなくてもいいだろ。女同士でどっか個室にでも入って……」
「あなた、私に死ねと? いい? もし彼女がエルダーの血を牽く者だとしたら、悔しいけど勝てる見込みはほぼ無いわ。何故なら、エルダーの後継者もまた、エルダーの持つ特別な力を受け継いでいるからよ。エルクに立ち会ってもらうのは身の安全の為であり、当然の保険です。別にあなたは出て行ってもらっても構いませんよ? まあ、いてもいなくても邪魔さえしてくれなければそれで結構です。さあ、ミサ・カミウラ。続けなさい」
依然と目を閉じたまま、ミーシャは黙って再び服を脱いでいく。俺は慌ててミーシャに背を向け、それと同時に隣に立つエルクにも共に後ろを向くように促した。やっぱり男が女性の裸を簡単に見るのはよくないと思うんですよね。
店内はとても静かで、時折聞える衣擦れの音が妙に艶かしくて、却って想像力が駆り立てられてしまう。
「もっと足を開いて」
「あっ……」
今、俺の後ろでは素っ裸のミーシャが足を開いて何かをしているようだ。あえぎ声のような甘美な吐息が背後から聞こえる度、何度誘惑に身を委ねて振り返ろうとしたことか。
「体を隅々まで調べたけど、紋章は見当たらなかった。ミサ・カミウラはシロね」
着衣を許されて服を着終えたミーシャは魔法陣から出ると、何故か左目だけ閉じたままだった。
「どうした? 痛むのか?」
「何でもないわ。ちょっと目にゴミが入っただけよ」
そう言ってしばらく目を擦っているミーシャ。俺はその仕草を不思議に思っていたが、エルクとアンは全く気に留めていないようだった。時折、手をどけて瞬きをする度に覗く赤い瞳が、ぽうっと淡く発光しているように見えたのは、俺の見間違えだろうか。気になっていたが、何となく触れてはいけないような気がしてそれ以上の詮索は控えた。
しばらく目を擦っていたミーシャがようやく左目を開く。痒みも落ち着いたのか、瞳はいつも通り澄んだ赤い色をしていた。
「ふう、やっぱり女同士とはいえあんなトコまで見られちゃうと流石に恥ずかしいわね。ここまで体を張ったんだから、何か見返りを求めても罰は当たらないんじゃないかしら?」
「白木の杭か銀の弾丸シルバー・バレットでいいかしら。今なら心臓までの送料は無料にしておいてあげるわよ?」
「仕留め損ねたら出来るだけ振り返らずに全速力で逃げなさい。数分くらいは寿命が延びるわよ」
売り言葉に買い言葉。よくもまあここまで互いにベラベラと皮肉が口を突いて出て来るものだ。ある意味、物凄く息が合っているように見えなくもない。
「ふん、まあいいわ。協力してくれた報酬代わりに一つイイコトを教えてあげる。私たちも先日知ったばかりの最新情報よ」
「それってアレのこと? 教えちゃっていいの?」
「別に構わないでしょう。三下ヴァンパイアが知ったところで世は事も無し。それに、見たところ日本のヴァンパイアはヨーロッパの連中に比べて集団で動いているわけでも結束力が強いってわけでもなさそうだし。教えたところで彼女はそういうネットワークを持ってそうにないもの。あ、要するにあまり同族の友達がいなさそうってことね」
さらっとヒドいことを織り交ぜながらアンはある情報を、図星を突かれうっすら涙ぐんでいるミーシャに話した。
「さっき七人のエルダーって言ったけど、実際は残り六人よ」
「どういうこと?」
ミーシャの眉がほんの僅かに動いた。
「エルダーの一人がね、こちら側に寝返ったのよ」
「えっ」
意外そうな顔をするミーシャの反応が意外だった。さっきまであまり興味の無い素振りを見せていたというのに。そんなミーシャの僅かな変化など気にも留めずアンは続けた。
「単身でヴァチカン宮殿に夜襲をかけて来たかと思えば、教皇様の御前で跪いて
「そのエルダーの名は?」
「残念だけど、ここから先は教えられないわ。まっ、残り六人が見つからないように精々祈ることね。時間の問題だとは思うけど」
ふと、耳を澄ませると遠くから何かが風を切る音が聞こえた。ジェット機? スポーツカー? そのどれとも違う何かが、高速でこの店へと近づいていた。一向に勢いの衰えない得体の知れない存在の接近を迎え撃つべく、俺たちは一斉に店の扉から飛び退き臨戦態勢を取った。
「姐さんから手を放せ○○○○野郎ども!」
直後、すさまじい衝撃と爆音と同時に俺の足元まで転がってくるクローズと書かれた看板。排気ガスかと思うような汚い言葉を吐きながら突入したのは、この店で俺の先輩にあたる人物。いや、人型兵器のヘレナだ。あーあ、店の扉が粉々じゃないか。あの黒い棺桶を力いっぱいブチ当てたのだろう。インド像も真っ青な破壊力だ。
「やいやいやい、超遠距離透視スコープで見てたぞコラ! 姐さんを無理やりひん剥いて辱めるたァどういう了見だ? ああン?」
さらりと盗撮宣言をし、ヤンキーさながらの睨みを利かせるヘレナ。おいおい、女の子なんだからそんな顔しちゃダメじゃないか。
「なんなの、この無礼極まる小娘は」
「あー……ここのアルバイトみたいなものよ。ヘレナちゃん、この人たちは大丈夫だから落ち着きなさい、ね?」
「かつて日本では、無礼を働いた者を斬って良しとする〝斬り捨て御免〟という文化があったと聞くわ。エレク、この礼儀知らずを斬っちゃっていいわよ。上には私が報告するから。……って、聞いてるの、エルク?」
何故、外国の人たちはそういうどーでもいい知識を蓄えているのか時々不思議に思うことがある。そもそも、無礼討ちは別に文化じゃないからね。エルクはといえば、顎に手を当て、何かを考えているような真剣な表情でヘレナの顔を見つめている。
「うーん。僕、君のことどっかで見たことあるような気がするんだけど……どこだったかなぁ?」
「はあ? うちはアンタの顔なんか知らないし。なに? もしかして新手のナンパ?」
「それはない。君のこと全然タイプじゃないし」
「んだと、コラァ!」
プロボクサー級のスピードで放たれたヘレナの大振りな素人パンチが空を切る。
「でも確かにどっかで見たことあるんだよ。どこだったかなぁ? 喉元まで出かかってるんだけどなぁ」
息もつかせぬヘレナの怒涛の連撃を、エルクは柳に風の如くひらりひらりと避けつつ答えの出ないもどかしさを体いっぱいに表現している。この様子だと、いきなりヘレナへ斬りかかることは無さそうだ。斬りかかる気であっても彼らの剣はこちらで与っているわけで、仮にもしエルクが剣をこちらから奪い取ったとして、ヘレナの鋼鉄ボディをそう容易く斬れるとも思えない。まあ、つまるところ、放っておいても心配はいらないってことだ。
「ダメだ、ぜーんぜん思い出せないや。ねぇ、アン。用事も済んだしそろそろ帰ろうよ。はい、店員さん。これ二人分のお会計ね」
「あなたにかけられた疑いは、一応は晴れたけど、決して油断しないことね。昨晩の礼はいずれ必ずさせてもらうわ」
俺から受け取った剣を腰に差し、二人の聖騎士は店を出て行った。
「おととい来やがれってんだブァーカ!」
「なんか、嵐のような連中だったな。……ミーシャ?」
「……へっ? ああ、うん。そうね」
「怒らないんスか? 因縁ふっかけられて裸にまでされて、その上、店の扉までブッ壊されて」
因縁と裸まではそうだが、扉を壊したのはお前だろう。そう思ったが、口には出すまい。何故なら、ヘレナはシュヴァルツなんたらとかいうあの妙な黒い棺桶に手を添えているからだ。このヒステリックな機械娘のことだ。ちょっと機嫌を損ねたら今度は俺の頭上にあれが降ってくるだろう。それだけは御免蒙る。
「別に怒るほどのことじゃないわ。ただ……ちょっと、ね」
白金色の髪を掻き上げて笑ったミーシャの瞳の奥底には、微かな憂いの色が漂っていた。
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