第31話 吸血姫、出陣

 ル・ベーゼへと戻った俺はミーシャに敵のアジトで起こったことを全て話した。ラウドとの一戦、静琉ちゃんの母親のこと。


「すまない。命令に背いて独断で行動してしまって……」

「何言ってるの。あたしはあなたに何かを〝命令〟した覚えはないわ。〝お願い〟はしたけどね。それに、あたしが行ってたとしても、きっと同じことをしたと思うわ。静琉ちゃんを人質に取られていたら奴の誘いに首を縦に振らざるを得なくなるものね。充分過ぎる働きよ、京介」

「それで、静琉ちゃんの様子はどうなんだ?」

「よく眠ってる。しばらくあなたの部屋を貸してあげてちょうだい。ベッドはあの部屋にしかないのよ」


 俺はミーシャの後に続いて部屋へと入る。ベッドの上には腕や顔の到る所にガーゼや包帯が巻かれた痛々しい姿の静琉ちゃんが横たわっていた。


「服の下はもっとひどかったわよ。だいぶ前から虐待を受けてたみたいね」

「自分がお腹を痛めて産んだ子を、なんでこんな目に遭わせるんだよ」


 掌に爪が食い込み、血が滲むほど握り固めた俺の拳にミーシャの手が優しく触れた。


「気持ちはわかるけど、怒りに任せて自分を傷つけてはダメよ。とにかく、今は静琉ちゃんの目が覚めるのを待ちましょう。今日はあたしもこの部屋で過ごすけど、京介はどうする? 一緒にここで寝る?」

「いや、俺は廊下にいるから、何かあったら呼んでくれ。ああ、その前に台所借りるよ。静琉ちゃんが起きたら何か食べさせないといけないし」

「それは構わないけど、でも、あなたも少しは休んでおいた方がいいわ。新しい布団持ってくるけど」

「なぁに。いざとなったら立ったままでも寝れるさ。それじゃ、静琉ちゃんをよろしくな」

「ええ、わかったわ。おやすみ」


 それだけ伝え、俺は部屋を出た。


 そろそろ夜が明ける頃だろうか。遠くの方で鳥の囀りが聞こえた。結局、あれから俺は一睡もすることなく、こうして蝋燭に照らされた薄暗い廊下で立っていた。


「京介。静琉ちゃんが目を覚ましたわよ」


 部屋の扉が開き、ミーシャが顔を出す。寝起きという様子では無い。どうやら俺と同じで夜道し起きて静琉ちゃんの看護をしていたのだろう。いや、吸血鬼は本来夜起きて昼眠る生き物。正確にはこれからが睡眠の時間だ。しかし、彼女も俺も、まだしばらくは寝れそうにはない。


「ああ、ちょっと待ってて。今お粥を温め直して来るから」


 俺は作っておいたお粥を持って、静琉ちゃんの元を訪れた。


「気分はどう? 静琉ちゃん」

「……」


 彼女は答えない。心身共にかなり衰弱している様子だった。


「あまり食欲は無いかもだけど、少しでも食べてくれたら嬉しいな」


 俺は以前ポトフを作った時に使ったと同じ皿に盛ったお粥を差し出す。


「本当はもっとフレンチのフルコースなんかをごちそうしたかったんだけど、今はお粥で我慢してね」

「にょわっ! きょ、強烈な匂いね。一体なんなの、このお粥」

「俺の地元に伝わる薬膳料理さ。七草粥に近いんだけど、滋養強壮に効果がある薬草なんかをたくさん使って作るからこれさえ食べれば弱った体もすぐに回復するよ。甲賀の里にしか自生しない特別な薬草も入っているから確かに漢方薬みたいな独特な匂いはするけど、そんなにキツイかなぁ?」

「くふーっ、目に沁みるぅ」


 慣れ親しんでいるせいか、俺にはそこまで強烈な匂いに感じないが、吸血鬼なんかは嗅覚が犬並みに敏感だと聞いたことがあるので、そのせいかも知れない。


「薬膳だから決しておいしいものじゃないけれど、静琉ちゃんの為に一生懸命作ったんだ。冷めないうちにどうぞ」


 手渡した皿をじっと見つめた後、静琉ちゃんはひとさじすくって口にした。


「……苦いです」

「あはは、でしょ? 俺も小さい頃これ苦手だったんだよ」

「でも、温かくておいしいです。すごく……おいしいです」


 ぽろぽろと涙を零しながら一口、また一口とお粥を口に運んで行く。食欲が戻ったようで何よりだ。ただ、いくら効き目のある薬膳料理でも心の傷だけは癒してはくれない。それは、誰よりも静琉ちゃん本人が良く分かっているだろう。


「ねえ、静琉ちゃん。あなた、ずっと知っていたのね? ラウドが今回の連続殺人事件の犯人だって」


 静琉ちゃんは黙ったままコクリと頷く。


「黙っててごめんなさい。でも、話すとお母さんが危ないと思って」


 静琉ちゃんはシャツの胸ポケットから一枚の紙を取り出し、ミーシャへと渡す。それは、ある場所が記された地図だった。


「この街の外れに大きな廃墟があります。そこがあいつの隠れ家です」


 静琉ちゃんはミーシャの服の袖を掴み、大粒の涙を溢した。


「人間の私じゃダメなんです。ミーシャさん。どうか、どうか私の代わりにお母さんを助けてください。優しかったお母さんをあいつの毒牙から救ってください。お願いします」


 例え虐待を受けようとも父親を亡くした静琉ちゃんに残された唯一の家族。それを守る為に耐えてきたのだ。こんな小さな体で、こんなに小さな体で。こんなにボロボロになるまで。

ああ、そうか。そうだったのか。だから静琉ちゃんは――


「だから、あんなにヴァンパイアにこだわっていたのね。ヴァンパイアの力を得て、お母さんを助けたかったのね」


 ミーシャは静琉ちゃんを胸元に引き寄せ、やさしく抱きしめた。


「今までよく頑張ったわね。ここからはあたしに任せて。必ずお母さんを助けてあげるわ。だから今はゆっくり休んでて」


 静琉ちゃんをベッドへ寝かせ、ミーシャはゆっくりと立ち上がる。俺に背を向けたままこう言った。


「京介。表にクローズの看板を出しておいて」


 ミーシャの赤い瞳が怒りで揺れていた。 

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