第30話 忍者対ヴァンパイア
ラウドが乗る車を追跡して四十分後。ようやく一軒の店の前で停車した。そこはネオン眩い歓楽街でも一際大きく豪華な店構え。所謂、高級クラブというやつだ。ラウドとその取り巻きたちが車から降りると、店の中から煌びやかなドレスを着た美女たちが、ラウドを出迎えた。入店を確認し、続くように俺も入口から侵入する。しかし、多少は手を焼くかと思えば、いきなり拍子抜けだ。唯でさえ、こういう店は雰囲気を演出する為に総じて照明が暗く、尚且つ店内に流れる音楽は侵入者の足音を消してくれる。後は気配さえ消していれば、万一にも気づかれることはないだろう。忍にとってこれほど侵入しやすい建物も他には無い。俺は暗がりに溶けるように廊下を駆け、斬鋼線を伸ばし天井の配管に巻きつけ、まるで蜘蛛のように宙ぶらりになって奴らの様子を伺った。
ラウドを中心とし、店内でも一番大きなテーブル席には彼の仲間と思しき連中と美女たちが座る。
「今日は何だかゴキゲンね、ラウドさん」
ホステスの一人がラウドの横で酒を作り、グラスを差し出す。ラウドはその酒は受け取らず、テーブルに足を投げ置いて割りもののベースになっている酒を手に取るとそのままラッパ飲み。一息で空になったボトルを握り割った。
「クハハハ、わかるか? 良い夜だ。今夜はマジで最高の夜だぜ」
割れたガラスの欠片が手に刺さり、ボタボタと血が床へと滴り落ちる。ラウドは光悦の表情を浮かべ天井を見上げてはいるが、視点がどことも定まっていない。少なくとも、俺の姿は見えていないようだ。
「しかしラウドさん。いいんですか?」
「あァ? 何がだ」
「あの女ですよ。ラウドさんにビビるどころか、逆に殴りかかって来たって言うじゃないッスか。どう考えても首を縦に振りそうになくないッスか?」
「バカが。こっちにはその首を縦に振らせるとっておきがあるだろ。おい、そこのお前。連れて来い」
取り巻きの一人が席を外し、一人の少女を連れて戻って来た。俺は、その少女の姿を見て驚愕した。
「よォ、調子はどうだ? 静琉」
「……」
何故、店の常連である静琉ちゃんがここに? いや、それよりもあのアザはなんだ? 腕や足など肌が見える箇所には無数の痛々しいアザがあった。
「静琉! ラウドが声かけてくれてるんだから、返事くらいしなさい、このグズ!」
「あっ!」
ラウドの隣に座っていたホステスが静琉ちゃんの頬を平手で思いっきり叩いた。
「ひゃはははっ、ひっでぇ母親だなァ! あと、顔はやめとけっていつも言ってンだろうが。やるなら腹とか目立たねえとこにしとけよ」
「ああん、ごめんねラウドぉ」
あの若いホステス、誰かに似ていると思えば静琉ちゃんの母親だったのか。いや、果たしてあれは母親と呼べるのだろうか。夫でもない男に色目を使い、自分の娘が傷だらけで倒れているのに見向きもしないあれが、本当に母親なのだろうか。両親の顔を知らずに育った俺の心にふつふつと怒りが込み上げてくるのがわかった。
「あー、それと俺今、金が無くてマジ困ってるんだわ。なんとかならねえか?」
「心配しないでラウド。はい、このクレジットカード好きに使って。あなたの為なら何だってするから」
「流石俺の女だ。愛してるぜ」
「あン、ちょっとラウドったら。ダメよこんなところで。皆が見てるからぁ」
「構うかよ。そこのお姫様にも見せつけてやれ。母親である前に一人の女だってことな」
静琉ちゃんの母親をソファーへと押し倒し、半ば強引に迫るラウドを見て静琉ちゃんはポケットから光るものを取り出した。
「汚らわしい手でお母さんに触るな!」
彼女の手に握られていたのは果物ナイフ。それをラウドの動脈目掛けて思いっきり振り下ろした。
「ガキがこんなの振り回したらダメだろ。どうやら、少し仕置きが必要だなァ」
ラウドは右手の人差指と中指でいとも簡単に刃を挟んで止めた。
「外に出る時は、しばらく前髪は垂らしておけよ」
左手を静琉ちゃんの目の前に突き出し、中指を親指で押さえて力いっぱい引き絞り、一気に解放した。
「きゃあ!」
ラウドの放ったデコピンは凄まじい威力だった。例えるなら火薬の発破。指一本で体を軽々と吹き飛ばされた静琉ちゃんは体を思いっきり壁に打ち付け、気を失った。
「へへへっ、ラウドさん。このコ、めっちゃ俺好みなんスよ」
「ほどほどにしとけよヘンタイ野郎。せめて親御さんの目の届かないとこへ連れてってからにしろ」
下賎な男が気を失っている静琉ちゃんの太股に手を伸ばした時、俺は忍としてあるまじき行動を取った。
「あれ? 俺の腕が……腕がああああ!」
男の伸ばした腕は、静琉ちゃんに触れる寸前で切断され、宙に飛んだ。飛び散る鮮血に女たちは悲鳴を上げ、男たちは一斉に銃を手にして臨戦態勢を取る。ただ一人、ラウドだけが臆せず動じず座したまま事態を静観していた。
俺は斬鋼線を引き戻し、音を殺して地面へと着地。倒れている静琉ちゃんを背にして敵勢と対峙した。
「んだテメェ。たった一人で、しかもダッセェ格好で乗り込んでくるなんてどうかしてるんじゃねぇのか?」
頭の悪そうな下っ端クンの言う通り、俺はどうかしているのだと思う。隠密行動の原則とは、決して相手に気付かれないことだ。例え目の前で肉親が殺されたとしても動じてはならない。忍にとって任務とはそういうものだ。一時の感情に動かされ、今こうして敵の眼前に姿を晒してしまった俺は忍失格だろう。しかし、どうしても許せなかった。我が子を傷つける静琉ちゃんの母親を。そして親子の絆を踏み躙り、私利私欲の為に悪用しようとするあの男を。俺の感情を後押ししたのはあの日、静琉ちゃんが見せた悲しみに揺れる瞳だった。
『私の心配なんて、絶対してないです』
俺はもう、二度とあんな悲しい台詞は聞きたくない。そしてあんな淋しそうな顔はさせたくない。自分でもどうしようもないくらいそう強く思ってしまったのだ。こうなった以上、仕方がない。ここからは俺個人の感情で動く。なあに、帰ったらミーシャの前で腹でも切ればいい。そう思い、俺は覆面を外した。忍としては失格だが、忍としての自分の命の価値観だけは今も昔もまったく変わっていなかった。
「ああ、誰かと思えばさっき店にいた店員じゃねぇか。その噛みつく犬のような目。いいねェ、忠犬というよりは狂犬ってカンジだな。せっかくこんなとこまで来たんだ。主人に忠実な犬っころの為、快くチップを払ってやるとしよう」
ラウドが手をあげると、連中は銃口を一斉にこちらへと突き付けてきた。
「殺れ」
それに答えるように手下たちは銃の引き金に添えられた人差し指にぐっと力を入れる。だが遅い。遅すぎる。彼らが完全に引き金を引いてから対処しても充分に余裕がある。俺は斬鋼線を操り、引き金にかかった連中の人差し指のみを切り落としてやった。
「ぎゃああああ!」
「ひぃいいい!」
以前、店に侵入して来た連中とは明らかに違う手応え。どうやら、こいつらは只の人間らしい。ならば、首を刎ねてやることもないだろう。三下共はすっかり怯えた表情を浮かべ銃を手放す。それでいい。実に賢明な判断だ。
「ふはははっ! おもしれぇよ、お前! 俺と遊ぼうぜ!」
遂に動いたエルダーの後継者、ラウド。テーブルを足場にして高く跳躍し、俺の頭上から鋭く伸びた爪を振り下ろす。俺は迎え撃つ為、両腕を大きく振り斬鋼線を波打たせる。
「クカカカ!」
大蛇のようにうねる斬鋼線はラウドをズタズタに斬りつけるが、どれも致命傷には程遠い。頬や腕の肉を斬るが骨には至らず。間違い無い、奴には斬鋼線の動きが見えているのだ。致命傷だけを避け、他は受けてもとにかく前へ。強引に間合いへと詰め寄る強攻の姿勢。こんなメチャクチャな奴を相手にしたのは初めてだった。
「大人しく……しろっ!」
あやとりのように両手で斬鋼線を編み込み、ようやくラウドの右腕の自由を奪うことに成功した。奴が少しでも腕を押したり引いたりしたらその瞬間に腕は地面へ転がることになる。これでしばらく有利に事を運べるかと思った。ところが、吸血鬼と言うのはどこまでも常軌を逸していた。
「悪いなァ! そりゃ無理だ!」
少しは抑止出来るかと思ったが、ラウドはますます狂暴になり腕を置き去りにしてこちらへと詰め寄った。ラウドは残った左手の拳を握り、思いっきり振り被る。慌てて斬鋼線を引き戻し、俺とラウドの間に網状の防御壁を展開する。ラウドはそれでも拳を止めなかった。あろうことか、ラウドは斬鋼線の壁を何の躊躇いもなく殴りつけたのだ。ラウドの拳はところてんのように裂け、見るも無惨な状態になった。しかし、それでも奴は止まらない。使いものにならなくなったはずの両腕はすぐに再生し、再び狂ったように鋭い牙を剥き出して襲いかかってきた。ここは一度後ろへ退いて体勢を立て直さねばならないが、ここで下がれば俺の後ろで倒れている静琉ちゃんが危険に晒されてしまう。
「野郎の血は吸わねぇのが俺のポリシーだが、テメェは別だ。このラウドの牙で死ねる事を誇りに思うがいい!」
ラウドは大きく口を開き、俺の首へと喰らい付こうとする。しかし、その牙は俺の皮膚を突き破ることはなかった。
「な……、こ、これは……」
口を開いたまま、ラウドは顔を真っ青にして立ち尽くしていた。
「なっ、どうしちゃったんスか、ラウドさん!」
「今がチャンスじゃないですか! 早いとこやっちゃってくださいよ!」
ラウドは誰の言葉にも反応することなく、ただ額からポタリポタリと冷や汗を垂れ流し、硬直していた。何がラウドの足を止めたのかは知らないが、逃げるなら今しかない。そう判断した俺は懐から煙玉を取り出し、地面へ叩きつける。視界を遮る白煙に紛れ、静琉ちゃんを抱きかかえた俺は奴らのアジトから抜け出すことに成功した。
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