第29話 エルダーの末裔

 空を見上げればそろそろ陽も赤くなる頃だった。あと数時間もしたら開店時間となるだろう。俺は店へと戻ろうと振り返る。すると、門の付近に人影を見た。


「もーえろよ、もえろーよー、ほのおよもーえーろー♪」


 突然だが、忍術には火遁かとんと呼ばれるものがある。まあ、読んで字の如く、火や火薬を使用して身を隠し、敵から逃げるものを指すのだがこれは転じて攻めの場合にも用いられる。例えば、爆薬や火矢などを使用しての兵法もこれに含まれる。そして、家屋や城への火攻め、つまり単なる放火であっても忍者から言わせてもらえば立派な火遁の一種と言える。


 さて、それを踏まえて今俺の目の前にとても良い例題がいる。見知らぬ赤毛のツインテール少女が妙な唄を歌いながら揚々とポリタンクに入った液体を直したばかりの門にかけている。

鼻をつくこの匂いからして、あの液体は間違いなくガソリンだろう。これもまた、立派な火遁の下準備だ。しかし、忍に必要不可欠な注意力が微塵も無い。まるで遊びに夢中になっている子供のように、背後に立つ俺にまったく気付いていない。なればこそ、俺は彼女に教えてやらねばなるまい。言いたい事は、まあ色々とあるが、要点を纏めて一掴みにするかのように俺は拳を固く握り、くりんくりんとした巻き髪ツインテール少女の頭へ目掛け、思いっきり振り下ろした。


「みぎゅう!?」

「悪く思わないでくれよ。これも教育だ。若さ故の過ちを正すのもオトナの務めさ」


 俺の愛を脳天でモロに受けた女の子は、声にならないうめき声をあげながらジタバタと地面を転がるように悶絶している。


「今のは見なかったことにしておいてあげるから、よい子は帰って宿題でもしなさい」

「うにゅにゅー。なっ、何するのよアホ! いきなり後ろから殴るなんて信じらんない!」


 目に涙を浮かべてこちらを睨む少女。その瞳は、ミーシャのように綺麗な赤い色をしていた。


「俺としては、こんな住宅地でガソリンを撒いている君の方が信じられないよ。何かの拍子で引火したらどうするんだ」

「居留守なんて使われたくないもの。ノックや呼び鈴を押すよりよっぽど確実よ」

「……」


 さも当然のように物騒なことを言い放った女の子。自分の言動に疑念など毛ほども抱いていないようだ。おかげさまでお兄さんは開いた口が塞がりません。それとも何か? この辺の子供はピンポンダッシュ感覚で火遁……もとい、放火をするのか? わんぱくにも程があるだろ。俺はこの日、生まれて初めて〝ゆとり教育による負の産物〟というのを目の当たりにしたような気がした。


「はぁ、とにかくこんなことしちゃダメだから。ケーキを買いに来たなら六時頃にもう一回おいで。そうしたらお店も開いてるから」

「フン! もういーわよ。サリィ帰る! べーっ、だ!」


 不貞腐れた謎の少女はこちらを一度振り返り、舌を出して去って行った。


「次の世代があれじゃ先が思いやられる。この国の未来は前途多難だな」


 サリィと名乗った少女の過ちを未遂に防いだ俺は、外にある散水用のホースでガソリンを洗い流し、修復した扉の出来栄えに満足しつつ店へと戻った。


 その夜、店は通常通り営業を開始した。本日も大盛況。いつもは厨房に籠っているミーシャも今日は俺と共にホールで接客をする。それほど今日は大入りなのだ。その為、新しくなった扉の開閉がいつもよりも多い。お客が出入りする度に快調に開閉する扉。常連さんに至っては、以前は少し扉が重かったのを知っているせいか、いつも通り開けようとしてそのスムーズな開閉ぶりに体ごと勢いよく中へ持っていかれそうになる人が何人もいた。それを見る度に俺はどこか誇らしい気分になった。


「なーにニヤニヤしてるのよ、京介」


 ミーシャが怪訝な顔で俺の顔を覗きこむ。


「いや、我ながら良い仕事したなぁってさ」

「ああ、扉ね。新しくなったからしょうがないけど、あれじゃそのうち怪我人が出そうね。表に注意書きを貼っといた方がいいわね」

「あ、そういや、昼過ぎに妙な子供が訪ねて来てたぞ」

「子供?」

「よくわからんが、なんか店にガソリン撒いてたからゲンコツしておいた」

「最近の子供は随分デンジャラスなことをするわね。親の顔が見てみたいものだわ。まあ、いいわ。次見つけたらとっ捕まえてちょうだい。危ないイタズラをする悪い子はヴァンパイアのお姉さんが徹底的に怖がらせてあげるから」


 鋭い牙を光らせ、ミーシャは不気味な笑みを浮かべる。子供を脅かす吸血鬼。俺はミーシャがなまはげの格好をしているのを想像して、おかしくなって吹き出してしまった。


 柱時計の針が真夜中の一時を示す頃、店内はようやく平穏を取り戻す。いつもこの時間になると、今までホールに出ていたミーシャは厨房へ戻って皿洗いや明日の仕込みを始め、俺は店内掃除とレジの売り上げ集計を行う。先ほど最後の客が退店したので広いホールには俺一人しかいない。今日はいつも以上に暇だった。


「ふむ。微調整でもしておくか」


 一通りやるべきことを終えたので、客足の途絶えた今の内に気になっていた扉の蝶番部分でもいじってみるとにしよう。そう思い店の扉を開けた瞬間、俺の目の前に見知った顔が飛び込んで来た。


「へ?」


 こちらが急に扉を開けたのでひどく驚いた顔をしている。おいおい、昨日もそんなスピードで入店……もとい、特攻して来たんだろ。勢いがつき過ぎて地面から少し浮いてるじゃねぇか。最初から止まる気ないだろお前。


「おま、顔が近っ! どけどけどけー!」

「はぁ、言われずとも」


 扉を押さえたまま、俺は体を僅かにずらすことで彼女の突進を軽くいなす。勢いを殺さぬまま店へと飛び込んだヘレナは床を転がりながら俺が出しっぱなしにしていたバケツとモップに突っ込んだ。あーあ、せっかく掃除した床が水浸しじゃないか。また拭かないと。


「おいコラ京介! 急に開けるなんてどういうつもりだ!」

「お前こそ一体どういうつもりだ。せっかく直した扉をまた壊すつもりか」


 ヘルメットのようにバケツを頭から被ったヘレナは、強打した尻を擦りながら立ち上がる。いつもの修道服はすっかりずぶ濡れで、髪の毛先からはポタポタと水が滴っていた。

「ちょっと、今の音はなに? って、誰かと思えばヘレナちゃんじゃない。って、ずぶ濡れじゃないの。待ってて、今タオル持って来るわね」

「えへへ、あざーっす。そんでお邪魔してまっス、姐さん」

「んで、こんな時分に何用だ? 忘れ物か?」

「バッカ、ちげーよ! ついさっきこの辺で姐さん以外の強力なヴァンパイアの反応があったんだよ。でも、うち最近感知センサーの調子が悪いから誤作動の可能性も否定出来ないけど……。でもでも、一応姐さんには報せておかないとって思って。もしかしたら、まだこの辺にいるかもだし」

「そんなんで大丈夫か? 吸血鬼退治はお前の本分なんだろ?」

「言っとくけど、うちのセンサーをブッ壊したのお前だかんな」

「はいはい、二人ともそこまで。喧嘩ならどっか余所でやってちょうだい。それと、ヘレナちゃん。あなたのセンサーは壊れていないわ。間違いなく正常よ」


 ミーシャはそう言うとタオルをヘレナの頭に乗せ、近くの椅子に座って足を組んだ。赤い瞳には戦意のようなものが感じられ、その鋭い眼光は俺の背筋をぞっとさせた。


「隠れてないで出てきたら? 言っとくけどバレバレよ」


 ミーシャの声に闇が答えた。店内に響く第三者の笑い声。暗がりが蜃気楼のように揺らめき、それは姿を現すとゆっくりこちらへ近づいてきた。


「ククク、やっと会えたな、女」


 現れたのは目付きが悪く、瞳に狂気を帯びた男だった。ふてぶてしく笑った口元からはミーシャと同じく鋭い牙が生えていた。男はミーシャの元へと近づこうとする。だが、俺とヘレナはそれを決して許しはしない。


「何者かは知らんが、それ以上ミーシャに近づくなら」

「うちらがアンタをブッ潰す!」


 ヘレナが棺桶を構え、俺は男の背後へ移動し手裏剣を構える。この布陣なら、対象を決して討ち漏らすことはないだろう。しかし、男の表情から余裕が消えることはなかった。


「おいおい、勘違いすんじゃねぇよ。俺はお前たちと争いに来たんじゃねぇよ。それとも、この店は相手がヴァンパイアってだけで手荒な接客応対をするのか?」

「気配を消して近づこうとする不審者に限りそれを認めているわ」

「ほんの冗談だよ。俺はただ、本当にあんたと話をしに来ただけなんだよ」


 ミーシャは溜息を一つ吐き、右手を軽く上げた。「下がってちょうだい」の合図だ。俺とヘレナは顔を見合わせ、渋々武器を収めた。


「協力的で助かるよ」

「連続殺人鬼に協力する気なんてサラサラ無いわ」

「なんのことかな?」

「とぼけないで。あなた、血の匂いがプンプンするわ。それも数百数千もの女だけの血。それが意味することは唯一つ。女性ばかり襲ってる証拠よ」

「まぁ、人間共ならまだしも、同族は欺けんわな。だが、殺人鬼と呼ばれるのは心外だな。俺たちはヴァンパイアなんだよ。それ以上でも以下でもねぇ。そうだろ?」

「テーブルマナーの問題よ。惨たらしく喰い散らかすあなたの物差しを押し付けないでくれない? 非常に不愉快だわ」

「そう邪険にすんなよ。お前、あの聖騎士どもから聞いたんだろ? エルダーの話を」

「それが?」

「俺がその後継者だ」


 髪を梳くミーシャの手が止まり、眼だけが男へ向いた。


「んだテメー、いきなり現れて何を言うかと思えば。証拠でもあんのか」

「そういえば、アンたちはエルダーの後継者には紋章があると言っていたな」

「エルダークレストなら、ここにある」

男はそう言うと、シャツの胸部を大きく開いた。彼の左胸には、確かに紋章らしきものが刻まれていた。

「これがエルダークレストだ。誇り高きヴァンパイアの貴族。その末裔が代々受け継ぎし証! そしてこの俺こそが、リゼル・クレセリオの後継者よ!」


 男の胸にある紋章は、紅の三日月と十字架。如何にも吸血鬼らしい家紋だった。


「それでクレセリオ家の若様が、しがない菓子職人に何の御用ですの? まさかお客として来店したわけじゃないでしょう?」

「俺は回りくどいのは嫌いだ。だから率直に言うぜ? 俺のものになれ」


 なんと直情的な口説き方だろうか。だが、些か不躾でもある。ミーシャはただ黙って男を見ていた。


「俺とお前、二人でこの世界を手に入れるんだ。俺たちヴァンパイアの手にかかりゃ、人間どもを家畜同然に支配することもワケねえ。それに、クレセリオ家はヴァンパイアの家柄でも名家中の名家。いずれは、お前を俺の妻として迎えたいとも考えている。どうだ、お前にとっても悪い話じゃねえだろ?」

「ええ、そうね。身に余る光栄ですわ。ですが――」


ミーシャの姿が消えた。


「がはっ!?」


 一瞬にして男の目の前まで接近。握り固められたミーシャの拳は男の顔面に思いっきり叩き込まれた。


「あなたのせいでこっちはあらぬ疑いをかけられて命まで狙われた。あまつさえ、嫁入り前の裸まで見られたのよ。はっきり言って、あたしはあなたにかなりムカついてるの」


 ふっ飛ばされ壁に体を打ちつけた男はゆっくりと立ち上がった。男の首はあらぬ方向へと捻じれており、ミーシャの放った拳が如何に凄まじい威力だったかを物語っている。人間であれば即死だっただろうが、相手は不死身の吸血鬼。頭と顎を両手で押さえ、ゴキン、ゴキンと鈍く痛々しい音を響かせながら折れた首を徐々に元のあるべき位置へと戻した。


「カカカカカッ、いいねぇ。サイコーだよ、お前。ますます気に入った。三日だけ考える時間をやろう。それまでに首を立てに振らない場合、俺はお前の大切なものを奪う」

「さて、今のあたしに取られて困るものなんてあったかしら?」

「それを考える時間も含めての三日だ。よく考えることだな」


 男は踵を返し、二、三歩進んだところで足を止め、振り返った。


「ああ、そういえばまだ名乗ってなかったな。俺の名はラウド。良い返事を期待しているぜ」


 そう言い残すと、高笑いを響かせてラウドと名乗った男は店を出て行った。


「ちょっ、待てやコラ!」

「よしなさい、ヘレナちゃん」

「なんで止めるんスか、姐さん」


 棺桶を引っ提げて今にも飛び出さんとしていたヘレナをミーシャは制止した。


「あいつの求婚を受けるのか?」

「バカなこと言わないで。ただ、少し泳がせたいのよ」

「泳がせる? ああ、エルダーって奴らのことか」

「あのラウドって男が本当にクレセリオ家と関係があるのなら、いずれエルダーの情報を得られるはず」

「なるほど! あのムカつく小娘よりも先にそいつらをどうにかしようって魂胆ですね! で、姐さん。エルダーって何スか?」

「そっか。ヘレナちゃんは途中から来たんだっけ。知らなくて当然よね。ハイ、京介」

「え、俺? あー、俺もアンたちから軽く話を聞いただけなんだけど。何でも、吸血鬼の中にはエルダーと呼ばれるものすごく強い連中がいて、なんでもそいつらを捕まえる為に聖騎士たちが必死になって探しているらしいぞ」

「はっはぁーん、つまりそのエルダーってヤツらをうちらでブッ倒して、聖騎士どもの無能さを証明して鼻をあかそうというわけですね!」

「いや、全然違うわ。そもそも、あたしそこまでアンたち嫌いのことじゃないしね」

「泳がせるって言っても、あまり時間は無いぞ」

「充分じゃない。三日もあれば余裕でしょ?」

 

俺の目を見て軽くウインクするミーシャ。やっぱり俺が行くのか。


「じゃあ、そういうわけだからお願いね。期待してるわよ、京介」


 まったく、人使いの荒い雇い主だ。しかし、あの笑顔を見せられるとどうにも断れない。「まあ、別に良いか」と許容してしまう不思議な魅力があった。ここからは忍としての働き。接客や店内清掃よりよっぽど俺には向いている。


「それじゃ、行ってくる」

「あ、ちょっと待って」

「なに?」

「その……行く前にちょっとしたおまじないをするから、目を瞑って欲しいの。あ、ヘレナちゃんはちょっと席を外しててくれる?」

 ヘレナは元気よく「了解ッス」とだけ言い、素直に店の外へと出ていく。よしよし、今度はゆっくり扉を開けてるな。


「さて、よくわからんがこれでいいか?」


 ヘレナの退店を確認し、俺はミーシャに言われた通り目を瞑る。


「今から行うのは魔除けの儀式みたいなものよ。この儀式でヴァンパイアの洗礼を受けた人間は、そのヴァンパイアの所有物だと他の人外に知らしめることが出来るの。これを受ければ、低級のヴァンパイアやそれらが使役する使い魔に襲われることもないわ。結界と違って一時的なものだから二十四時間を過ぎれば効果が無くなるけどね」

「使い魔を寄せ付けないで済むというのは正直ありがたいね。あいつらは俺の手持ちの武器じゃ倒しきれるかどうか。って、ひょっとして今、結構顔近くない?」


 目を瞑っているからよくわからないが、ミーシャの吐息が頬に当たってこそばゆい。もしかして、このまま俺の首にガブリといくつもりだろうか。


「そんなに体を強張らせなくても噛みつきやしないから安心しなさい。別に痛いことをしようってわけじゃないわ。例えるなら、犬のマーキングに近いかも」


 ミーシャがやさしく俺の頬に両手で触れたところで俺はハッとした。犬のマーキングに近いってことは、まさか……。


「俺に向けて放尿するつもりじゃないだろうな!?」

「んなコトするかぁー!!」


 頬を思いっきりビンタされ、俺は思わず目を開ける。目の前には、顔を真っ赤にして俺を睨み上げているミーシャがいた。


「あたしを変態と一緒にしないで! それともなに? あなた、そういうアブノーマルな願望でもあるわけ?」

「そ、そうじゃないけどさ。犬のマーキングだなんて言われたら普通はそう考えるだろ」

「ま、まあ、あたしの例えも極端だったかも知れないけど……とっ、とにかく、恥ずかしいから早く目を瞑りなさいよ!」

「やっぱ恥ずかしいことなんじゃねぇか! 俺が目を瞑った瞬間に電信柱に見立てて尿をかけるつもりだろ! いくら催したからってそれはあんまりじゃないか」

「失礼ね! したくなったらちゃんとトイレでするわよ! あーもう! めんどくさいわね! ちゅっ」

「んなっ!?」


 俺の懐に滑り込むように飛びついて来たミーシャの唇が、俺の首筋に優しく触れた。


「……なによ。儀式ならもう終わったわよ」


耳まで真っ赤になった顔を背け、不貞腐れたようにミーシャはそう言った。


「……昨日の今日だから、ちょっと躊躇ったのよ。ホラ、もう済んだんだから行きなさいよ!」

背中をぐいぐいと押され、俺は半ば追い出されるように店を出た。


「なんなんだよ。ったく。胸触られても平気だったクセに軽いキスくらいで」


 まだミーシャのやわらかい感触が残っているような気がして、先ほど彼女の唇が触れた首筋ばしょを、そっと指先でなぞる。心なしか、動脈の流れがいつもより早く感じた。

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